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キクチミョンサ的

「なれのはて」ということばがよく似合う、ちいさなぼくのプライドだよ

馬蹄今去入誰家

12月14日。

寝不足としらふで、HPが15/100くらいのところから冒険がスタートしたかんじだ。

乱視はこころなしか常よりひどく、キクチバカオロカの九九がやっとのかわいらしい脳は五の位あたりを行きつ戻りつ。これがほんとの都落ち、じゃなかった都詰め。いやもはや都の雪隠詰めか。なんだそのナヨっちい乱雑粗製ヌルマ湯系誤解釈的合成名称は。

まとめサイトじゃないんだから、自分をしっかり持ちなさいね。とわたしはキクチを抱きしめながら忠告した。もはやキクチとわたしの境界線すらさだかではない。ともあれ彼はこの日、呼吸するロプノール湖と化したのであった。

 

ついに三人目まで出てきてしまったぞ。

というタイミングでキクチは京都駅へ向かう。

夕暮れが数多の悪意や善意についばまれて、だんだんにその輪郭をぼやけさしている。

死んだハクビシンのような目でグルメサイトを巡回しながらカップヌードル・ビッグを啜ったのは二時間前の話だ。死んだハクビシンを見たことのない、というかハクビシン大好きだから死んだハクビシンなんて見たくないキクチにも、爪の隙間からぞわぞわ這い出してくる現実との距離感の違和を通じて、なんとはなしにわかる。「いまの彼は死んだハクビシンの目をしている」「アブナイ」。病気は伝染する。しかし安心してほしい。SARSの宿主だってハクビシンではなかったのだ。なにを言っているのだわたしは。

 

駅のなかにある大手書店では、某作家(言論と思想でひとを殴ることを幼少期から半世紀以上愉楽として甘受してきたひとだと感じる)の小説の映画化キャンペーンで平台。モニターにて、90秒ほどの予告編をエンドレスリピートはまだ許せる。内容が内容なので怒号や爆撃のシーン、必然的に大音量になるのもまだ許せる。しかし許せないのはその隣の文庫棚がちくまや岩波なんだ。やるなら幻冬舎や角川みたいな横でやっていただきたい。

ええと、解説すると、ここいらに来るひとにその作家のキャラも作風も映画の予告編のテイストも受けないとおもうんです。

それを「ちくまや岩波の棚=歴史や文化芸術に興味のある(比較的)硬派な読者=戦中・戦後小説の書き手でなんか政治的な発言も(定見ないけど)すごいしてるし(適当)親和性高いんじゃね?」みたいに書店員さんがもしも、もしもおもってたとしたらもう、うわーんです。キクチ、この作家の作品はなんていうか、否定的なニュアンスではなく「ファッションなんとか」みたいな自分の志向性や個性を認識したうえで、それでええのんや、と割り切って生きていくひとか、あるいは「売れてるらしいから読もうー☆」なひとにこそ合うとおもうよ…。

 

そんな泥のような時代がありまして。

時代じゃない、数十分だ、目をさませ!目を!

而してなるべく他人と目をあわせないように、つったってもとが乱視で近視だから焦点はうわの空。ロンパリならぬ、うーん、適切なたとえがおもいつかないが、「~スタン」各国のちがいがわからない症候群、と仮に命名、ともあれキクチ、新幹線に乗車。東京に用事があったわけで当然ながら東京へと運ばれてゆく。ここでうっかりサンダーバードに乗っちゃったりするドジっ子属性をそなえていればとっくに売れていたはずで…ああ…おおう…。

まわりは人間だらけである。まちがっても死んだハクビシンなどいない。所在なさ昂じて志津屋でカルネふたつとカスクートを買う。ホームで牛タン弁当を買う。

 

もう20年近く物理的にも比喩的にも細く生きているものの、中学卒業間近まで立派な肥満児、デブ、もしくはファットボーイ(近年では”健康優良児”とでも言わねば、”良識”的な方々の”正義”によって粛清されてしまうかもしれないが、自分にむけての形容であるのでご斟酌ねがいたい)として過ごしたわたしは、いまだにストレスのはけ口が本質的には食にいく。食などと気取ったが要はバカ食いなのだ。ピザLサイズとサイドメニューとか、ふりかけで300gのパックごはんをみっつとか、やってしまう。危険なときは夕食ののち、マクドナルドのセット・ポテトLにナゲットつけたその帰り道、チャーシューメン大盛り食べてた。過食と拒食もダンシング・イン・ザ・ムーヴ。

 

それで五尺九寸、十六~七貫くらいをキープしているのはしごく単純な理由による。

 

「酒のんでるときはそれでまぎれてる」

 

そう、つまり種々のアレやコレや(たいへん適当な言い方)により、のめない、もしくは、のんだらなんかいろんな意味でアレなケースにおいて発動する…なんていうか…そう…とっておきの、命をけずる、でもあんまり効果ない必殺技だ…。気功砲みたいな…。天さんごめん…。「孫…!」

あんな、ひとつだけつっこむとそれチャオズや。そんで天さんごめんて、それ自爆や。そんで、それひとつちゃう。ふたつや。ついに掛け算から「かずをかぞえてみよう」の世界にバッキンザデイ。

 

 

東京着。かわいていた。

東京がすきなのは誰しも(芸能人はわからないけれど)点景になれるところだ。

ああ、善意や悪意なんてものはいくらその総体が大きくても、ここでは割合としてはラーメンのネギだ。麺にもスープにも、チャーシューや煮卵にもおよばない、永遠なるト書き。ではこの街を覆っているくろぐろとした瘴気はいったいなにかといえば、無関心。ぼくにはときどきそれがひどくここちよい。

四人目も出てきたようですね。

 

結局、弁当もパンもすべて消え失せた。彼の血肉となった。賀すべし、弔すべし。まあこれくらいならちょろいね、と、自分以外うつらないホテルのうつくしく磨かれた鏡にむかってサムズアップしてみせたが、ぼんやりと見えたのはあいかわらず死んだハクビシンのような目だけだった。カザフスタンアフガニスタンウズベキスタンもおんなじであれば、詩人が死人であってもいたしかたあるまい。

 

急激に上下する血糖値のとなりで、そんなことをつぶやきながらわたしは22時まえに布団に入った。浴衣で就寝したはずなのに、午前2時、汗びっしょりで飛び起きる。わるい夢の四本立て。明瞭である、ということの恐怖から逃げるため視力矯正をしないでここまできたのに、単館上映にはもったいないほどのハイクオリティな、クリアリィな、そして爆音の現実的なホラーだった。

 

 

 

12月15日、19時帰洛。こえて16日。

めでたくもない京都で酒をのんでいる。

賈島に逢いたい。

 

 

 

溺れる魚

12月11日。

朝から叡王戦を観る。

控えめに言って最高だ(と言ってみたかっただけ)。焼酎がすすむ。進といえば故・板谷先生の座右の銘は「将棋は体力」。「クロガネの不沈艦」故・坂口先生や、「夜戦になるまではなんとしてでも粘る」故・北村先生など、むかしの先生をおもいだしたりしちゃったりして。

 

なぜだかきゅうに思い立って、昼過ぎ、一乗寺へ。

村島洋一の出演する「DOP」という今年で二回目をむかえるサーキット(複数会場で開催される音楽フェスのことです)を観に。酒精の助けもあって、うきうきしている。そういえば、自分の出ない、純粋なイベントへいち観客として足を運ぶのは1年ぶりだ。

叡山電車にゆられながら、京都精華大時代のことをなんとなくふりかえる。ふりかえってもそこには誰もいないのにな。

 

イベント自体は、あまねくまわったわけでないのでえらそうなことは言えないが、よくいえば地域発信型の手作り感があり、いささか辛辣に見るならサーキットという概念に欠けていた。

たとえば「リハ時は観客追い出し」これは冬の一乗寺(寒い)というシチュエーションを鑑みるにやや不都合であるが、理解はできる。

会場スタッフいわく「ほかのお店でもライブやってますので色々観て行ってください」それもわかる。しかしそのとき、ライブをやっているのは一駅となりの一店舗だけで、タクシーを使って往復すれば次の出演者までにぎりぎり戻ってこられる、というタイミング。つまり動線やタイムテーブルの把握ができていないわけです。

お店のひとやスタッフの人柄がとてもよい、それはたいせつなことだけれど、これでは人が入れ替わったときに、というか、おそらく毎年ゼロから積み上げなくてはいけない。おもわず「来年あるならぼくボランティアやりますよ」と言ってしまったが、約束は果たさねば。なんというか、おぼこさも中くらいまでは許せるけどおらが冬、というかんじであった。ちゃんと経験と定見のある人間が(上のほうにも、現場にも必要なので難しかろうけれど)参入すればもっといいイベントになると手前味噌ながらおもうんだ。

 

村島のステージはよかった。岡田康孝(コントラバス。余談ではあるがこの2人にドラムの濱崎カズキを加えたバンドでキクチは活動していた)とのデュオ。攻めっ気の強い、正直にいえばあまりフェス・サーキット向けではない内容。とはいえ、やりたいことをやる、己が信ずるところを往く、それがええんとちゃうかな、実際めちゃキレッキレやし…などと頷きつつペンを走らせていたら、最後の曲で突然呼びこまれてセッション。

身体が覚えているぶんだけこころも動いてくれたが、いまだ山麓である。技術面では色褪せずとも、「殺してやる」という気持ちは錆を落とすのにけっこう時間がかかりそう。ましてナメとるやつ全員殺すマンの村島と、音楽愛の伝道師みたいなヤスのうえでマイクを握るわけで、これは早急にメンテナンスおよびブラッシュアップを行わないと、ただひたすらかっこよろしくない三十路の誕生となる。危ない、あぶないぞ、キクチ。日光猿軍団に弟子入りして反省のポーズ。

 

なんだかんだでその後、別の会場へ流れ、なかなか味の沁みているいいオジサンの歌を聴いたり、焼肉をたべたりした。途中からは記憶がない。村島洋一と岡田康孝とサイトウナツミといると、父と母と伯父が一度にやってきたかんじで安心する。安心したって、のみすぎには変わりない。酩酊はともかく、腰が抜けるのダメ、ゼッタイ。

気がついたらどこかで転んでいた。うまく起き上がれなくって村島の肩にすがって歩いた。まだ18時かそこら、とっぷりと暮れた北のちいさな町を、ゆっくりゆっくり。なんとか叡山電車に乗って、つぎに目覚めたら家で寝転がっていた。

 

魚のなかには泳ぐことをやめると死んでしまうものもめずらしくないらしい。将棋界では(おもに順位戦で)「サメ、カツオ、イワシ」という表現がある。順番に昇級候補、中位(昇降級にまず関係なし)、カモ、なわけだ。

つめたくて硬い床のうえに転がっている自分は、いったいなにものだろうとすこし考える。二日酔いをかかえてだらしなく寝そべるこの姿自体が、なにより雄弁な答えなのかもしれない、とおもった。

 

できるだけ早く死んでしまいたいが、まだ死ねない。

それだけはきっと、ほんとうのことのようにおもわれた。

 

 

 

静かに暮らすんだ

望めばどうとでもなるようなことばかりだな

秋の小径、きみとはちがうふうに呼びたかった帰り道

できるだけ呼吸を減らすため煙草で口をふさぐ

ああ

 

無邪気な暴力を、その先にあるはずの虚無を

知りたいんだ

 

駅前、安っぽい油とスパイスのにおい、そこかしこにこぼれている笑顔を断固として疑った、こころが素直でもそのこころ自体はぼくのものじゃない、速度がちがう、隔壁があるなまだちょっとこの街とは、知ったふりをしない、ささやかな夕暮れインマイヘッド、清冽な欲望を汲もうとする、けれど一秒先に足をとられて

 

つまんない映画でも観に行きたい気分さ

 

最後まで逃げ切れないならせめて

追いつかれるまでは

ふたりじゃなくたっていい

ひとりでなくてもいい

どうってことない家を借りて

静かに暮らすんだ

 

望めば与えられるようなことばかりだな

炭酸の抜けたサイダー、ぬるい愛と情にひたした

くちびるごしのメンソールちょっと苦いだけで味はしなかった

なあ

 

つまんない映画の感想を言い合うのはよして

ビールでも飲もうぜ

 

どこかしら遠吠えのような声が聞こえたらそれは

最後まで逃げ切ることを諦めたぼくのうただよ

 

 

 

小さく死ぬ

ねむたくってねむたくって仕様がない。ひとと会ってしゃべってエネルギーを発散させすぎてしまう、というか、小さい子どもがはしゃいで熱を出すことってあるでしょう。まさしく今ぼくはそんな状態なのである。

だから先崎先生のことばを拝借すると「ときどき部屋のなかで小さく死ぬ」。

そういったひと呼吸おかないと、外へ出るのもなかば自傷行為にちかい。旧交を温めたい飲み屋は多々あれど、ひとりで、となるとあいかわらずDD、CAPO、ONZEの三角食べみたいな日々になる。要するに七割方、村島洋一かサイトウナツミに会いにいっているようなものだ。

 

唐突だが、村島洋一は燃える水である。もしくは、凍った炎である。

 

はじめて会ったのは2009年6月3日水曜日だったろうか。VOXhall2年目のぼくが彼のバンド(そろそろ時効だろうと信じて言うが、音源を聞いたときはいまひとつ、ふたつ、しっくりきていなかった。「地元の20歳ちょっとにしては悪くないなあ」くらいである。不明を恥じている)をブッキングしたのだ。いまやトレードマークともなった長髪も当時は旧帝大生のように短く切りそろえられていて、ハコ入りしてまず事務所に挨拶にきた彼の第一印象は「ニコニコしていて礼儀正しいし、言葉遣いも品がある。いいやつ」。

 

ところが、おどろいたね。

数時間後、ステージに上がった村島は、あきらかにぶっ飛んでいた。それも、”ぶっ飛んでいるあいだはなにも考えなくていい”類の、いわば合法的にラリっちゃってる系のそれではなく、”考えては忘れ、拾っては棄て”を瞬息のうちに繰り返す、なんとも生々しい、持ち重りのする混沌。力技ではない、技術と鍛えの入った、あるいはそうあろうとする表現だった。

 

ぼくはすぐに次のライブをオファーした。7月末、chori(キクチの昔の名前です)3rdアルバム「地図をつくる」リリースパーティ。これはVOXhallにて平日5日連続で開催するという、演者の立場からの欲望と、ブッカーとして日を埋めなくてはならない葛藤、そのいびつな落とし子めいた企画だったのだけれど。

村島はやっぱりニコニコしながら(会うのは二度目だ)駄菓子の詰め合わせをプレゼントしてくれた。「”地図をつくる”なんで」と、チーズ味の。正確にはメンバー発案だったらしいが、ふふふ、うれしいでんがな。キクチはこういうのに弱いんでおます(何弁や)。

 

ときは流れ、なんだかんだでバンドに参加してもらい、フェスのメインステージに出演したり、海外公演をしたり、そこそこは世にはばかったのだが、そのバンドも休止し、しばらく村島とは気高き馴れ合いの仲、とでも言うべき酒友関係になった。彼のほうもメンバー脱退やらで(すでに出会ったころのベーシストもドラマーもいない)いろいろと変化がある。

光陰だけがぼくらを撃ち抜いてゆく。

出ない杭、嚢中のままの錐。冴えんなあ。冴えんなあとしか言えないままふたりとも30代に突入していた。

 

そして「浮かむ瀬」である。

ぼくらはふたたび、なんかようわからんけどそれはすばらしいことかもしれませんね、というタッグを組んだ。いや、タッグははじめてか。スタイナー・ブラザースのような、ロード・ウォリアーズのような。

 

ドラマはかならずしもドキュメンタリーのなかにだけ見いだせるものではない。遍在する嘘や虚構、ひりつく皮膚の赤味、帰り道のひとり語り、きのうより薄い夕焼け、辻占の箴言、韜晦と後悔、一瞬が断続的な永遠におもえるとき。しかしぼくはそれをモキュメンタリーにもフィクションにもしたくない。

ただそこにある常識と狂気が、そこで起きる現象が、拾ったり棄てたり、考えたり忘れたり、その先に息づいていればどこを切り取ってどう味わってもらおうと本望である。

疑って疑って疑った先に歌があればいい。

 

村島が凍った炎ならば、ぼくは燃える水。

村島が燃える水ならぼくは凍った炎。

 

部屋のなかでは小さく死ぬが、板の上では、おっきく死ぬよ、おれたち。

 

 

 

Living is easy with eyes closed

12月6日。いつものDD。

風邪との千日手模様はどうにか打開したものの、全体的にあんまり調子がよくない。故・升田幸三先生いわく「わしはたしかに体は悪いが気は病んでおらんから”病気”ではない。”病体”じゃ」。キクチはどちらかといえば病気である。

 

この日も、バーテンたる村島にナオキ、オーナー、常連客ひとり、そして自分という、ふだんであれば楽に接せられる、家族的な面子だったのだが、心気鬱々として酒神降臨するあたわず、さして酔えぬ。てっぺん前に出る。それでも三条をぶらぶらしながら「そのうち気が変わるかもしれない」とおもい、再度来店。もうすこしのむも、結局午前1時すぎに帰宅。

 

どうも、年余長々と掲げてきた「人生お休み中」の表札をこのたび取りかえることとなり、自分でじぶんに居心地のわるさを感じているらしい。要するに「はやくライブしたい」であり「なのになぜスケジュールが未定なのだ」であり、「おいおいもっと騒ぎ立ててくれよ詩人の帰還を」といった駄々もこねているのだ。ドリームがカムしてトゥルーにならなかった日々にさえ何度でも何度でも朝がまたくるというのに、たいそうわがままなことに、待ちきれないのだ、きっと。未来予想図はひとから与えられるものではないのにな。

 

12月7日。

朝から破壊衝動がとまらず、けれどぼくは物理的になにかを殴る性癖はないため、ついつい通りすがりの小言を「売られた喧嘩」に仕立て上げてしまう。プロボクサーや相撲取りが一般人と喧嘩をしては絶対にいけない、という金科玉条を、詩人として破ってよいのか。いやまあしかし、これは詩で殴っているわけじゃない、あくまで言説で殴りかかっているのである、とわけのわからないことを言い聞かせていたら腹が減った。

最寄りのラーメン屋は豚骨・細麺好きのキクチにぴったりだし、量も少な目でちょうどよいのだが、店主はじめスタッフがやたら愛想がよく、またそこに厭味がないので、精神状態のよろしくないタイミングで行くとそのやさしさやあたたかさに逆にダメージを受けることもあり、ずいぶん足を運んでいなかった。

しかし、ええい、ままよ、と飛び込む。チャーシューメンを食べる。うまかった。しかし体調はよくない。帰宅してのびきった麺のようになった。恒例の脳内ひとり二万字インタビューを繰り返しているうち、自嘲とともに気がついたらねむっていた。

 

12月8日。

生きてゆくことが苦しい、と感じたことはさしてないが、生きていることは苦しいとよくおもう。存在の耐えられない重さ。人生が双六のようなものであればいいな。

めぐまれているから、苦しいのだ。

なにを贅沢な、と、あなたは憤るかもしれない。それはなんら間違っちゃいない。けれど、ぼくのほうだってひとつも間違っちゃいない。

ぼくらはすれ違えるだけでじゅうぶん幸福だ。すれ違ったことにすら気づかぬままに、一生を第三者同士として過ごしてゆくことをおもえば。

 

なんにせよ、根っこの部分で、ぼくはどっちだっていいのさ。

 

 

  

浮いたり沈んだり

キクチミョンサ×村島洋一のバンド「浮かむ瀬」はデビュー戦を飾った。

生きたり死んだりする(これは口ぐせ)のにも疲れたなあ、とおもったころで、ちょうど湿度の高い冬の日はそんなチューニングと馴染んでいた。平静の情熱。

 

setlist

1.カデンツ

2.きれいですね

3.静脈

4.海鳴り

 

詩人がじぶんの詩について詩そのもの以外のかたちで語る機会はなるべく少ないほうがいい、とおもっているので、自戦解説は控えるが、箇条書き的に当日のことをつれづれに。

 

前夜から朝。ほとんどねむれなかった。横にはなっていたので、1時間か2時間弱くらいはうつらうつらしたとおもう。酒は日付の変わるまえに止めた。午前4時くらいから、ぼんやりと夜の明けてゆくのを眺めていた。紅茶を4杯のんで、ヨーグルトをたべた。まだ暗いうちにコンビニまで散歩をして牛乳を買う。あんまり寒くはなかった(睡眠不足で火照っているのだとおもいこんでいたが、のちに風邪だと判明)。

 

11時半、ハコ入り。

勝手知ったるライブハウスだが、今回の出演者はお笑いや芝居などの、とくに学生さんが多く、いくばくかのアウェー感も。しかしおそらく彼らにとっても似たようなものだろう。スタッフワークについてはたいへんおもうところがあったのだが、主催者も20代後半ではあるし、おじさんが先輩づらをふかして言っても仕方ないか、とおもって傍観していた。苛々はした。けれど、一面の真理として「全員がそれぞれの信ずるところというか好きなように生きてれば、まあ、すくなくとも特定の誰かにとって致命的な傷にはならない」というのもあるので、みんなで痛みを分け合いましょうね、という気持ちで、過度には苛々しないようにつとめた。将棋の本をたくさん読んだ。ぼくはきょう、ハコの人間でもなければ、スタッフでもないので、自分だけに直接影響のあるような事態さえ起こらないかぎり、緘して黙するのみ(しかし、これがいちばんむずかしい)。最終的に、すこしだけ口を出してしまう。けれど、それはイベントとして必要なたぐいの問題だったので。などと言い訳。

 

12時半、顔合わせから1分押しで開場。

14時半、洋ちゃんとスタジオ。初合わせだったが、よきかなよきかな。当たり前だが、お互いの基礎体力と共通言語の存在というのは大きい。気分よく1時間。

 

16時半、いささかメートルの上がらない状況もあいまって、小雨そぼ降るなか、数軒となりの立ち飲み屋へ。サンタカの東、小さな筋を入ったところにある、「友立ち」という家。店名がそこはかとなく卑猥ですてき。生中とグラスになみなみの焼酎を1杯ずつのんで、マグロユッケ、鶏皮ポン酢、タケノコ刺身。これでひとり900円ちょっと。この時間でも7~8割がた埋まっていたが、さすがにダークダックスのポーズまではいかずにすむ。こんなときはがらにもなく雨に感謝したい気持ちになる。小一時間過ごして、もどった。

 

小島基成がすごいステージをやっていた。

ああもう、このひとはぼくとは表面的には道を別ったけれど、それでもまたどこかでうっかり合流しそうだな、でも単純にかっこいいな。そうおもう。彼が地図に赤ペンでマルをつけながら進むなら、こちらはスマホで検索をかけて次の道筋を知る。基成はテーゼを正面からぶつけられる詩人だ。というか、そういうことしかできない、そんな不器用さにありありと鍛えが入って、まっすぐな道でもきっとさみしくない。ぼくは受けてかわすタイプだ。知識、情報量、経験の絶対値で勝負する、なんでもできる体を醸し出しつつ、実際はそこまで手が広いわけではない。ただし、「器用にみせる」能力だけは異常に発達している。元来、器用なわけじゃないのにね。でもそれはそれでキクチミョンサというひとの魅力だ。

 

この日の「若者のすべて」というイベントは、原則としてハッピーなイベント、というか、「ハッピーにしようぜ」といった雰囲気のイベントだった。そもそもごっちゃ煮ではあるし、語弊があるかもしれないが、お客さん<出演者≦スタッフのための、という印象だ。「スタッフ(関係者)のためのイベント」という思想(そうでもなくて結果的にキクチにはそう見えた、という可能性はあるにせよ)自体は別に悪くもなんともないのだが、いささかそのあたりのさじ加減というか、発信の仕方がおぼこいような気もした。後味は別段悪くなかったので、関わったひとたちがみんなしあわせならよいのだけども。

 

・総計40~50人程度が出演する(スタッフ込み)のに、楽屋が10畳ぶんくらいしかない(フォーラムは現在使えないのだが、スタジオを押さえるとかできなかったものか)

・それを受けて、「荷物は棚や小部屋(があります)に」といったアナウンスができなかったこと(結果、数のかぎられた椅子が荷物置き場になり、出演者の多くは楽屋で座ることもできない)

・主催者が非喫煙者なので会場内禁煙。それはいい。ただ、喫煙場所を階段踊り場につくったことで動線として楽屋(スタッフは常駐しているわけではない)直通、セキュリティ的に「万が一」があったときの対応を考えていたのだろうか

・オールジャンル結構。しかしそのため、はじめてライブハウスに来るひとや、会場の構造を知らないひとが階をまちがえて楽屋に来る事例しばしば(ぼくが目撃しただけで30分ほどで3組いた)。インフォメーションのありかた、出演者への周知のしかた

・雨予報にもかかわらず、また出演の約半分がお笑い、芝居、映像など、通常座って観るものなのに途中まで椅子席が会場になかった(いちばんうしろのバーカウンター除く)。いくらなんでも冬のこの時期、しかも雨で、地べたに直接お客さんを座らせる長丁場のイベントは観る側からすれば厳しい(お目当てが終われば帰ってしまいかねない)

・スタッフ間の連携のとれていなさ。ブッキングおよび連絡の窓口としては「音楽担当」「展示担当」などでいいとおもうが、当日、現場レベルでの指揮系統、責任の所在がはっきりしていない。当然ながら出演者は「どの(イベント)スタッフに言えばいいのか」「どの(ハコ付き)スタッフに言えばいいのか」などでこんがらがることになる

 

みたいなことを、個人的には考えた。

多少は運営側に直接言ったものの、こうしてあらためて文章というかたちで残すのは、覚書という側面もあるけれど、ちょびっとだけ、「あれ、このイベントって、スタッフが主役で、お客さんや出演者はそのあとなのかしら」と(雰囲気ではあるけれど)感じたこともある。もちろん「出演者やお客がスタッフより優先されるべきだ」なんてことじゃない、バランスの問題。スタッフをステージに上げてねぎらうこと、結構。ただ、もしもそれによって学園祭感というか、よくない意味でのシロウト感が強調されてしまったならばきっと主催も本意ではないだろう。お金をとって、そこそこのメンツも呼んでいるなかではあるが、もちろんはなっから「いや、これはこういう性質のイベントなんです」とエクスキューズがあればみんな納得して参加、出演するだろうから、よけいに。

 

いくらこころを無にしてステージのことだけ考えようとおもっても、こういうところに気がいっちゃうあたり、自分もダサいなあ、とおもうんだけど、でも、もうこれは病気だ。病気といえば許されると多寡をくくっているわけでなし、されど、まだまだ煩悩は消えない。「そのケーキ、イチゴのっけたほうが絶対おいしいやん」みたいな日々を小言幸兵衛のように生きているのでした。

 

とっぴんぱらりのぷう。

 

 

 

かなしい夢なら見ずにすむだろう

コンビニ店員の薄ら笑いに慣れた

論外のメソッドは見ないでそっとレシートと一緒に捨てればいい

暴虐には暴虐を、揶揄には揶揄を

なまぬるい独創性を描いた

それでも人はそれなりに集まるもんだ

 

大好きな曲を再生する、頭のなか、歩く

はにかんだって、かじかんだ手

わたしの命はあと5分間だけ

ドアを開ける

その重さは問題じゃない

 

最初きらいだったきみのハンドクリームのにおいが

いつのまにか気にならなくなってた

 

そういうふうに日々をめくっていける幸せ

けれど鏡の前に立てばまだ薄ら笑いのぼくが見える

消えるなよ、血が涸れても、脳味噌だけはこのスピードで

まわれ

 

陳列棚には馴染みのない商品がずいぶんと増えた

あたらしい名前あたらしいかたち、なんにもうれしくない再会

会いたいかと問われれば

会いたくはない

でもお互いそれとわかったうえですれ違いたい

 

暴虐には暴虐を

揶揄には揶揄を、

 

最初きらいだったきみのハンドクリームのにおいが

いつのまにかすきになってた

あれは

冬のおわりだった