キクチミョンサ的

「なれのはて」ということばがよく似合う、ちいさなぼくのプライドだよ

こんなことおもった

あけました。

皆々様におかれましては、本年も相変わりませずよろしくおねがいします。

 

今年の目標については元旦にSNSのほうに挙げましたが、要約すると「よい詩を書くこと、書きつづけること」(一緒じゃねえかとおもわれそうですが微妙に意味合いがことなります。前者は上限、後者は水準の話です)そして「いつでも”わたしはこうおもう”と言える人間であること」。

「みんなが~」「誰かが~」「ファンは~」などとひとりよがりに代弁することでおのが保身に走るのではなく、他人を殴ろうとするなら、こちらも相手に殴られうる距離で、土俵で、個人と個人でしっかりと対峙したい。言論の自由表現の自由、絶対に堅持しなくてはならないものですが、そこを逆手にとって自分勝手な都合で援用するような匿名的人間でなくありたい。仮にもプロの詩人がこう言っちゃっていいのか、若干ためらいはありますが、詩人であり人間として、それだけはわたしにまだしがみついている尊厳考です。記名性、これ、キクチのおそらく生涯を貫くテーマ。

 

年を越した瞬間はふつうにねむっていました。合議制マッチで先生方、関係者が奮闘しておられるなか情けない…けれど数年来、なるべく大晦日は寝るようにしています。20歳ごろまでは家の行事、それ以降は職場(ライブハウス)でも演者としても恒例のカウントダウンイベントという習慣が10年近く続いてきたので、その反動なんじゃないかしら。誰かと遊びにいくのも、なんだか、さえんなあ、とおもう近年です。

 

きのうは夕方から実家に帰りました。

実家、といっても徒歩25分くらいの距離ですが、わたしはふだんからあまり家族と会わず(年に多くて10回程度だろうか)、また連絡もとらないため、しらふでは場が持たない。午前中から焼酎をキメていった。どれだけ家族におびえているのだ、キクチよ…。しかし到着後早々にビールをのみだしたため、それはばれなかったようでよかった。

夕食のあと、はじめて父親と将棋を指した。「では、お父上の振り歩先で」と、人生初の振り駒たのしかったなあ(かわいい)。

こちらは朝にハム将棋に勝ったばかりで意気軒昂(それもどないやっちゅうねん、というレベルの話ではある)、悠々とゴキゲン中飛車に振る。振り飛車がすきなわけではなく、ただ単に原田先生がすきだからお弟子の近藤先生に操を立てている、みたいなところがあります(それもどないやっちゅうねん、以下略)。父は居飛車でじっくり囲う。こちらがガンガン攻め、向こうが受ける展開。しかし「20年ぶりくらいやろか」という父とはそれでもあきらかに手合がちがい、不用意な天使の跳躍からボッコボコにされる。最後のお願い王手ラッシュ!で駒台(テーブルのうえですけど)から駒が消えたのち、感想戦でもボッコボコにされる。父さん、あんた、強いよ…。

しばらくはハムと一緒にがんばりたいとおもいます…(といっても勝ち越しているわけではない)。

 

かつての自分の部屋にふとんを敷いてもらっていたのだけれど、現在は物置き、というか衣裳部屋?となっているそこは禁煙になっていた。着物なんかもあるから当たり前か。キクチ負け犬は「ケッ、たばこ吸えないならいいよ」などとひねくれしょぼくれ居間のソファーでねむったのだった。

 

そして本日。

これは蛇足だなあ、絶対にぜったいに蛇足だろうなあ、とおもいつつ、でもあえて書くのだが、三浦先生の復帰、おめでとうございます。おかえりなさい!

ただ、TLが「ヤマダ電機さんかっこええー」「もう家電はヤマダで買います」的盛り上がりをみせているのにちょっとばかし違和感があり。というのも、ヤマダ電機さんは長年のご協力、またこのご時世に新棋戦を主催してくださるなど、たしかに将棋界にとって得難いスポンサー企業ですが、2014年のブラック企業大賞に選出されていることもまた事実です(当該賞の信頼度は措くとしても)。

で、べつにいいんだ。「三浦先生を信じつづけてくれたヤマダ電機さんありがとう!」「ていうかそもそも将棋界を応援しつづけてくれてるヤマダ電機さんありがとう!」はぼくも賛同。ただ、問題は「それはそれ」「これはこれ」ってちゃんと分けて考えているひとがどれほどいるのだろう、という点。

引き合いに出してしまったヤマダ電機さんには申し訳ないけれど、ずーっと今回の一連の動きのなかでそういった視座をもっている方が異様にすくないようにおもった。波がおしたり引いたり。ゼロか100か。ゼロと100のあいだにある1から99を、まるで意識的に見ないようにしているような言動も目立った。

目の前にある情報だけで見ようとしてもそのものは自分が見たいようにしかうつらず、感じられる勢いや波まかせでは見当違いの方向に流されてしまう。

それは奇しくも、疑惑が湧出したころと第三者委員会の判断、三浦先生の会見、連盟の発表を経た今、主張はどうあれ「見たいものだけ見つづけている」ひとたちの信念なき義、みたいなものとかぶって感じられます。それなら「三浦先生がやるはずないって信じてる」のような感情論に立脚した、けれどゆるぎないスタンスのほうが560倍くらい個人的には共感できる。

わたしは、やれこちらで煙が立ったから薪をくべにいこう(2ch名人なんかでいうところの「燃料」とはぜんぜんちがいます)といった感覚、気軽さ、傷つかないからこその傲慢さで発言するひととほんとうにちゃんと話がしたい。正義の暴力をふりかざす「他人」に。

 

最後に、キクチは、三浦先生と連盟、また棋士や棋界関係者のあいだでできるだけ「当事者たちが」「納得または受容しうる落としどころ」が見つけられることを願います。

先生たちはファンが大事だという。それはしごくまっとうだ(ありがとうございます)。しかし、(ある程度は)ファンのおかげでこんにちの棋界があるかもしれないけれど、ファンのために棋界があるわけではない、とわたしはおもう。

「それはそれ」「これはこれ」。

 

ともあれ、繰り返しになりますが、三浦先生、おかえりなさい!

大向こうから「待ってました!」の声が聞こえているでしょうか。

 

 

 

STAND ALONE

こころを叩いても

応えてくれなくなるのが怖い

ぎゅっと縮んでく

懐かしい戦場の果てに夜が滲んで

ぼくは詩人です

自爆しようったってまわりに誰もいない

踏める地雷も見すえる未来もぼやけたここは安全圏

変な意地張って現代詩なんてこだわるつもりじゃなかった

けれど負けたくない あれは不安おばけだったんだ、きっと

手癖で描いた星でも、星は星だとそれなりに輝いていたもんな

 

歌の向こうに愚者の行進

光はひかりのうちあたたかいが

だんだん冷えるって認められないだけで

欠けて割れてしまった情熱をひとかけ分けて

言い訳したんだ この地団駄がいつかの笑い話になるんだって

歳月はきみのこと誹りも殴りもしないがただ平静

ゆっくりと流れ出してゆく血を止められない

ぼくの夢を見る才能はずいぶん少なくなってしまったな

 

持ってるだけで安心できる武器がほしい

 

気がつけば敵も味方もそれ以外もどこかへ消えている

補給線途絶、感受性応答ナシ いつものやつよりすこしおとなしい

狂える子羊たちのため、耳かき一杯程度の愛を

置いて行かれないように乞い願うよ

 

暗がりをひとり走っては転ぶ、見つけてほしいだけの孤独

エンドロールを待てない戦争ごっこ、ほんとのこころはどこ

そうだ、きみには名前がないな

なにか考えてやらないとな

 

きみのためじゃない、ぼくのためだ

 

 

 

馬蹄今去入誰家

12月14日。

寝不足としらふで、HPが15/100くらいのところから冒険がスタートしたかんじだ。

乱視はこころなしか常よりひどく、キクチバカオロカの九九がやっとのかわいらしい脳は五の位あたりを行きつ戻りつ。これがほんとの都落ち、じゃなかった都詰め。いやもはや都の雪隠詰めか。なんだそのナヨっちい乱雑粗製ヌルマ湯系誤解釈的合成名称は。

まとめサイトじゃないんだから、自分をしっかり持ちなさいね。とわたしはキクチを抱きしめながら忠告した。もはやキクチとわたしの境界線すらさだかではない。ともあれ彼はこの日、呼吸するロプノール湖と化したのであった。

 

ついに三人目まで出てきてしまったぞ。

というタイミングでキクチは京都駅へ向かう。

夕暮れが数多の悪意や善意についばまれて、だんだんにその輪郭をぼやけさしている。

死んだハクビシンのような目でグルメサイトを巡回しながらカップヌードル・ビッグを啜ったのは二時間前の話だ。死んだハクビシンを見たことのない、というかハクビシン大好きだから死んだハクビシンなんて見たくないキクチにも、爪の隙間からぞわぞわ這い出してくる現実との距離感の違和を通じて、なんとはなしにわかる。「いまの彼は死んだハクビシンの目をしている」「アブナイ」。病気は伝染する。しかし安心してほしい。SARSの宿主だってハクビシンではなかったのだ。なにを言っているのだわたしは。

 

駅のなかにある大手書店では、某作家(言論と思想でひとを殴ることを幼少期から半世紀以上愉楽として甘受してきたひとだと感じる)の小説の映画化キャンペーンで平台。モニターにて、90秒ほどの予告編をエンドレスリピートはまだ許せる。内容が内容なので怒号や爆撃のシーン、必然的に大音量になるのもまだ許せる。しかし許せないのはその隣の文庫棚がちくまや岩波なんだ。やるなら幻冬舎や角川みたいな横でやっていただきたい。

ええと、解説すると、ここいらに来るひとにその作家のキャラも作風も映画の予告編のテイストも受けないとおもうんです。

それを「ちくまや岩波の棚=歴史や文化芸術に興味のある(比較的)硬派な読者=戦中・戦後小説の書き手でなんか政治的な発言も(定見ないけど)すごいしてるし(適当)親和性高いんじゃね?」みたいに書店員さんがもしも、もしもおもってたとしたらもう、うわーんです。キクチ、この作家の作品はなんていうか、否定的なニュアンスではなく「ファッションなんとか」みたいな自分の志向性や個性を認識したうえで、それでええのんや、と割り切って生きていくひとか、あるいは「売れてるらしいから読もうー☆」なひとにこそ合うとおもうよ…。

 

そんな泥のような時代がありまして。

時代じゃない、数十分だ、目をさませ!目を!

而してなるべく他人と目をあわせないように、つったってもとが乱視で近視だから焦点はうわの空。ロンパリならぬ、うーん、適切なたとえがおもいつかないが、「~スタン」各国のちがいがわからない症候群、と仮に命名、ともあれキクチ、新幹線に乗車。東京に用事があったわけで当然ながら東京へと運ばれてゆく。ここでうっかりサンダーバードに乗っちゃったりするドジっ子属性をそなえていればとっくに売れていたはずで…ああ…おおう…。

まわりは人間だらけである。まちがっても死んだハクビシンなどいない。所在なさ昂じて志津屋でカルネふたつとカスクートを買う。ホームで牛タン弁当を買う。

 

もう20年近く物理的にも比喩的にも細く生きているものの、中学卒業間近まで立派な肥満児、デブ、もしくはファットボーイ(近年では”健康優良児”とでも言わねば、”良識”的な方々の”正義”によって粛清されてしまうかもしれないが、自分にむけての形容であるのでご斟酌ねがいたい)として過ごしたわたしは、いまだにストレスのはけ口が本質的には食にいく。食などと気取ったが要はバカ食いなのだ。ピザLサイズとサイドメニューとか、ふりかけで300gのパックごはんをみっつとか、やってしまう。危険なときは夕食ののち、マクドナルドのセット・ポテトLにナゲットつけたその帰り道、チャーシューメン大盛り食べてた。過食と拒食もダンシング・イン・ザ・ムーヴ。

 

それで五尺九寸、十六~七貫くらいをキープしているのはしごく単純な理由による。

 

「酒のんでるときはそれでまぎれてる」

 

そう、つまり種々のアレやコレや(たいへん適当な言い方)により、のめない、もしくは、のんだらなんかいろんな意味でアレなケースにおいて発動する…なんていうか…そう…とっておきの、命をけずる、でもあんまり効果ない必殺技だ…。気功砲みたいな…。天さんごめん…。「孫…!」

あんな、ひとつだけつっこむとそれチャオズや。そんで天さんごめんて、それ自爆や。そんで、それひとつちゃう。ふたつや。ついに掛け算から「かずをかぞえてみよう」の世界にバッキンザデイ。

 

 

東京着。かわいていた。

東京がすきなのは誰しも(芸能人はわからないけれど)点景になれるところだ。

ああ、善意や悪意なんてものはいくらその総体が大きくても、ここでは割合としてはラーメンのネギだ。麺にもスープにも、チャーシューや煮卵にもおよばない、永遠なるト書き。ではこの街を覆っているくろぐろとした瘴気はいったいなにかといえば、無関心。ぼくにはときどきそれがひどくここちよい。

四人目も出てきたようですね。

 

結局、弁当もパンもすべて消え失せた。彼の血肉となった。賀すべし、弔すべし。まあこれくらいならちょろいね、と、自分以外うつらないホテルのうつくしく磨かれた鏡にむかってサムズアップしてみせたが、ぼんやりと見えたのはあいかわらず死んだハクビシンのような目だけだった。カザフスタンアフガニスタンウズベキスタンもおんなじであれば、詩人が死人であってもいたしかたあるまい。

 

急激に上下する血糖値のとなりで、そんなことをつぶやきながらわたしは22時まえに布団に入った。浴衣で就寝したはずなのに、午前2時、汗びっしょりで飛び起きる。わるい夢の四本立て。明瞭である、ということの恐怖から逃げるため視力矯正をしないでここまできたのに、単館上映にはもったいないほどのハイクオリティな、クリアリィな、そして爆音の現実的なホラーだった。

 

 

 

12月15日、19時帰洛。こえて16日。

めでたくもない京都で酒をのんでいる。

賈島に逢いたい。

 

 

 

溺れる魚

12月11日。

朝から叡王戦を観る。

控えめに言って最高だ(と言ってみたかっただけ)。焼酎がすすむ。進といえば故・板谷先生の座右の銘は「将棋は体力」。「クロガネの不沈艦」故・坂口先生や、「夜戦になるまではなんとしてでも粘る」故・北村先生など、むかしの先生をおもいだしたりしちゃったりして。

 

なぜだかきゅうに思い立って、昼過ぎ、一乗寺へ。

村島洋一の出演する「DOP」という今年で二回目をむかえるサーキット(複数会場で開催される音楽フェスのことです)を観に。酒精の助けもあって、うきうきしている。そういえば、自分の出ない、純粋なイベントへいち観客として足を運ぶのは1年ぶりだ。

叡山電車にゆられながら、京都精華大時代のことをなんとなくふりかえる。ふりかえってもそこには誰もいないのにな。

 

イベント自体は、あまねくまわったわけでないのでえらそうなことは言えないが、よくいえば地域発信型の手作り感があり、いささか辛辣に見るならサーキットという概念に欠けていた。

たとえば「リハ時は観客追い出し」これは冬の一乗寺(寒い)というシチュエーションを鑑みるにやや不都合であるが、理解はできる。

会場スタッフいわく「ほかのお店でもライブやってますので色々観て行ってください」それもわかる。しかしそのとき、ライブをやっているのは一駅となりの一店舗だけで、タクシーを使って往復すれば次の出演者までにぎりぎり戻ってこられる、というタイミング。つまり動線やタイムテーブルの把握ができていないわけです。

お店のひとやスタッフの人柄がとてもよい、それはたいせつなことだけれど、これでは人が入れ替わったときに、というか、おそらく毎年ゼロから積み上げなくてはいけない。おもわず「来年あるならぼくボランティアやりますよ」と言ってしまったが、約束は果たさねば。なんというか、おぼこさも中くらいまでは許せるけどおらが冬、というかんじであった。ちゃんと経験と定見のある人間が(上のほうにも、現場にも必要なので難しかろうけれど)参入すればもっといいイベントになると手前味噌ながらおもうんだ。

 

村島のステージはよかった。岡田康孝(コントラバス。余談ではあるがこの2人にドラムの濱崎カズキを加えたバンドでキクチは活動していた)とのデュオ。攻めっ気の強い、正直にいえばあまりフェス・サーキット向けではない内容。とはいえ、やりたいことをやる、己が信ずるところを往く、それがええんとちゃうかな、実際めちゃキレッキレやし…などと頷きつつペンを走らせていたら、最後の曲で突然呼びこまれてセッション。

身体が覚えているぶんだけこころも動いてくれたが、いまだ山麓である。技術面では色褪せずとも、「殺してやる」という気持ちは錆を落とすのにけっこう時間がかかりそう。ましてナメとるやつ全員殺すマンの村島と、音楽愛の伝道師みたいなヤスのうえでマイクを握るわけで、これは早急にメンテナンスおよびブラッシュアップを行わないと、ただひたすらかっこよろしくない三十路の誕生となる。危ない、あぶないぞ、キクチ。日光猿軍団に弟子入りして反省のポーズ。

 

なんだかんだでその後、別の会場へ流れ、なかなか味の沁みているいいオジサンの歌を聴いたり、焼肉をたべたりした。途中からは記憶がない。村島洋一と岡田康孝とサイトウナツミといると、父と母と伯父が一度にやってきたかんじで安心する。安心したって、のみすぎには変わりない。酩酊はともかく、腰が抜けるのダメ、ゼッタイ。

気がついたらどこかで転んでいた。うまく起き上がれなくって村島の肩にすがって歩いた。まだ18時かそこら、とっぷりと暮れた北のちいさな町を、ゆっくりゆっくり。なんとか叡山電車に乗って、つぎに目覚めたら家で寝転がっていた。

 

魚のなかには泳ぐことをやめると死んでしまうものもめずらしくないらしい。将棋界では(おもに順位戦で)「サメ、カツオ、イワシ」という表現がある。順番に昇級候補、中位(昇降級にまず関係なし)、カモ、なわけだ。

つめたくて硬い床のうえに転がっている自分は、いったいなにものだろうとすこし考える。二日酔いをかかえてだらしなく寝そべるこの姿自体が、なにより雄弁な答えなのかもしれない、とおもった。

 

できるだけ早く死んでしまいたいが、まだ死ねない。

それだけはきっと、ほんとうのことのようにおもわれた。

 

 

 

静かに暮らすんだ

望めばどうとでもなるようなことばかりだな

秋の小径、「きみ」とはちがうふうに呼びたかった帰り道

できるだけ呼吸を減らすため煙草で口をふさぐ

ああ

 

無邪気な暴力を、その先にあるはずの虚無を

知りたいんだ

 

駅前、安っぽい油とスパイスのにおい、プライスレス?5時以降の逃避行(心臓の音が遠いよ)、ひとりぼっち主演男優賞、レッドカーペットに降りかかるささやかな夕暮れインマイヘッド、この街はちょっとうるさすぎて、ぼくの地図は白紙です。踏切の向こう側にいるあの犬が言うんだ「さよなら、いつか」

 

つまんない映画でも観に行きたい気分さ

 

最後まで逃げ切れないならせめて

追いつかれるまでは

ふたりじゃなくたっていい

ひとりでなくてもいい

どうってことない家を借りて

静かに暮らすんだ

 

たいてい土曜のレイトショーなんてろくなことがない、眠りこけるお隣のお友だち。こころ、たましい、でばかり語ろうとする男は哀しい。日替わりで誰かの身代わりになって「きみが笑った」に救われる(気味悪ぃな)、黄身が割れたベーコンエッグ、何テイク、精根尽き果てて朝になっていく

 

望めば与えられるようなことばばかりだな

炭酸の抜けたサイダー、ぬるい愛と情にひたした

くちびるごしのメンソールちょっと苦いだけで味はしなかった

なあ

 

つまんない映画の感想を言い合うのはよして

ビールでも飲もうぜ

 

 

  

 

小さく死ぬ

ねむたくってねむたくって仕様がない。ひとと会ってしゃべってエネルギーを発散させすぎてしまう、というか、小さい子どもがはしゃいで熱を出すことってあるでしょう。まさしく今ぼくはそんな状態なのである。

だから先崎先生のことばを拝借すると「ときどき部屋のなかで小さく死ぬ」。

そういったひと呼吸おかないと、外へ出るのもなかば自傷行為にちかい。旧交を温めたい飲み屋は多々あれど、ひとりで、となるとあいかわらずDD、CAPO、ONZEの三角食べみたいな日々になる。要するに七割方、村島洋一かサイトウナツミに会いにいっているようなものだ。

 

唐突だが、村島洋一は燃える水である。もしくは、凍った炎である。

 

はじめて会ったのは2009年6月3日水曜日だったろうか。VOXhall2年目のぼくが彼のバンド(そろそろ時効だろうと信じて言うが、音源を聞いたときはいまひとつ、ふたつ、しっくりきていなかった。「地元の20歳ちょっとにしては悪くないなあ」くらいである。不明を恥じている)をブッキングしたのだ。いまやトレードマークともなった長髪も当時は旧帝大生のように短く切りそろえられていて、ハコ入りしてまず事務所に挨拶にきた彼の第一印象は「ニコニコしていて礼儀正しいし、言葉遣いも品がある。いいやつ」。

 

ところが、おどろいたね。

数時間後、ステージに上がった村島は、あきらかにぶっ飛んでいた。それも、”ぶっ飛んでいるあいだはなにも考えなくていい”類の、いわば合法的にラリっちゃってる系のそれではなく、”考えては忘れ、拾っては棄て”を瞬息のうちに繰り返す、なんとも生々しい、持ち重りのする混沌。力技ではない、技術と鍛えの入った、あるいはそうあろうとする表現だった。

 

ぼくはすぐに次のライブをオファーした。7月末、chori(キクチの昔の名前です)3rdアルバム「地図をつくる」リリースパーティ。これはVOXhallにて平日5日連続で開催するという、演者の立場からの欲望と、ブッカーとして日を埋めなくてはならない葛藤、そのいびつな落とし子めいた企画だったのだけれど。

村島はやっぱりニコニコしながら(会うのは二度目だ)駄菓子の詰め合わせをプレゼントしてくれた。「”地図をつくる”なんで」と、チーズ味の。正確にはメンバー発案だったらしいが、ふふふ、うれしいでんがな。キクチはこういうのに弱いんでおます(何弁や)。

 

ときは流れ、なんだかんだでバンドに参加してもらい、フェスのメインステージに出演したり、海外公演をしたり、そこそこは世にはばかったのだが、そのバンドも休止し、しばらく村島とは気高き馴れ合いの仲、とでも言うべき酒友関係になった。彼のほうもメンバー脱退やらで(すでに出会ったころのベーシストもドラマーもいない)いろいろと変化がある。

光陰だけがぼくらを撃ち抜いてゆく。

出ない杭、嚢中のままの錐。冴えんなあ。冴えんなあとしか言えないままふたりとも30代に突入していた。

 

そして「浮かむ瀬」である。

ぼくらはふたたび、なんかようわからんけどそれはすばらしいことかもしれませんね、というタッグを組んだ。いや、タッグははじめてか。スタイナー・ブラザースのような、ロード・ウォリアーズのような。

 

ドラマはかならずしもドキュメンタリーのなかにだけ見いだせるものではない。遍在する嘘や虚構、ひりつく皮膚の赤味、帰り道のひとり語り、きのうより薄い夕焼け、辻占の箴言、韜晦と後悔、一瞬が断続的な永遠におもえるとき。しかしぼくはそれをモキュメンタリーにもフィクションにもしたくない。

ただそこにある常識と狂気が、そこで起きる現象が、拾ったり棄てたり、考えたり忘れたり、その先に息づいていればどこを切り取ってどう味わってもらおうと本望である。

疑って疑って疑った先に歌があればいい。

 

村島が凍った炎ならば、ぼくは燃える水。

村島が燃える水ならぼくは凍った炎。

 

部屋のなかでは小さく死ぬが、板の上では、おっきく死ぬよ、おれたち。

 

 

 

Living is easy with eyes closed

12月6日。いつものDD。

風邪との千日手模様はどうにか打開したものの、全体的にあんまり調子がよくない。故・升田幸三先生いわく「わしはたしかに体は悪いが気は病んでおらんから”病気”ではない。”病体”じゃ」。キクチはどちらかといえば病気である。

 

この日も、バーテンたる村島にナオキ、オーナー、常連客ひとり、そして自分という、ふだんであれば楽に接せられる、家族的な面子だったのだが、心気鬱々として酒神降臨するあたわず、さして酔えぬ。てっぺん前に出る。それでも三条をぶらぶらしながら「そのうち気が変わるかもしれない」とおもい、再度来店。もうすこしのむも、結局午前1時すぎに帰宅。

 

どうも、年余長々と掲げてきた「人生お休み中」の表札をこのたび取りかえることとなり、自分でじぶんに居心地のわるさを感じているらしい。要するに「はやくライブしたい」であり「なのになぜスケジュールが未定なのだ」であり、「おいおいもっと騒ぎ立ててくれよ詩人の帰還を」といった駄々もこねているのだ。ドリームがカムしてトゥルーにならなかった日々にさえ何度でも何度でも朝がまたくるというのに、たいそうわがままなことに、待ちきれないのだ、きっと。未来予想図はひとから与えられるものではないのにな。

 

12月7日。

朝から破壊衝動がとまらず、けれどぼくは物理的になにかを殴る性癖はないため、ついつい通りすがりの小言を「売られた喧嘩」に仕立て上げてしまう。プロボクサーや相撲取りが一般人と喧嘩をしては絶対にいけない、という金科玉条を、詩人として破ってよいのか。いやまあしかし、これは詩で殴っているわけじゃない、あくまで言説で殴りかかっているのである、とわけのわからないことを言い聞かせていたら腹が減った。

最寄りのラーメン屋は豚骨・細麺好きのキクチにぴったりだし、量も少な目でちょうどよいのだが、店主はじめスタッフがやたら愛想がよく、またそこに厭味がないので、精神状態のよろしくないタイミングで行くとそのやさしさやあたたかさに逆にダメージを受けることもあり、ずいぶん足を運んでいなかった。

しかし、ええい、ままよ、と飛び込む。チャーシューメンを食べる。うまかった。しかし体調はよくない。帰宅してのびきった麺のようになった。恒例の脳内ひとり二万字インタビューを繰り返しているうち、自嘲とともに気がついたらねむっていた。

 

12月8日。

生きてゆくことが苦しい、と感じたことはさしてないが、生きていることは苦しいとよくおもう。存在の耐えられない重さ。人生が双六のようなものであればいいな。

めぐまれているから、苦しいのだ。

なにを贅沢な、と、あなたは憤るかもしれない。それはなんら間違っちゃいない。けれど、ぼくのほうだってひとつも間違っちゃいない。

ぼくらはすれ違えるだけでじゅうぶん幸福だ。すれ違ったことにすら気づかぬままに、一生を第三者同士として過ごしてゆくことをおもえば。

 

なんにせよ、根っこの部分で、ぼくはどっちだっていいのさ。