キクチミョンサ的

「なれのはて」ということばがよく似合う、ちいさなぼくのプライドだよ

詩のはなし、すこし

「どうやったら詩がうまくなりますか」

よく聞く質問です。

そもそも詩なんて書いてる時点で、そして「うまくなりたい」なんておもうならまして、彼氏彼女には愛ある「キチガイ」という称号をおくりたい。いや、これ、皮肉でもなんでもなくって。御同行、沼にはまったね。これから窒息するまで一緒だね、ということです。じつはうれしいのです。うれしいのだけど、そのよろこびを素直に表現すると先述のようなことになる。ほんとうに詩人か、キクチ。

 

「どうやったら詩がうまくなりますか」

そんなとき、わたしは「どんどん書け」と答えます。

ある意味、身もふたもないように感じられるかもしれませんが、100編書けばだいたいの自分の作風がわかり、1000編くらいでそれが(いちおう)固まる。10000編とはいわずとも、そこからはもはや「半玄人」の世界。守破離でいうならそろそろ破ってもいいんじゃない、という進境なわけです。

将棋ふうにいえば「手拍子で書けるように」が近いかしらん。

 

はっきりいって、最初から一編書くのに何日もかけるようなひとは見込みがありません。

例外はあるにせよ、そういう頭のはたらかせ方は、もっと技術や発想を蓄えて、あるいは磨いてからの話だとわたしはおもうのです。将棋なら「待った」はできませんし必ず勝ち負け(持将棋千日手は別)がつきますけれど、詩では何千回でも「待った」ができます。走り出した理由とか、経路、ゴールを考えるのは走り出してからでよいのです。

なので、駄作でも凡作でもなんでもいい、可能ならソネット程度(構成ではなく尺の問題です)の短いものでも日に一、二編は書いてみる、そしてそれを半年つづける。こういうひとは、上達が早い傾向にある。早期に詩に見つけられる可能性がそれだけ高まるわけです。

 

あるとき、バリバリの若手俳人から「詩は自由すぎてなにをしたらいいかわからない」といわれました。同感です。

俳句というのはまず五七五という制約があり、季語という縛りもある。いわばパズルです。すくなくとも17文字のうち3割くらいは季語で埋めてしまえるので(そんな浅いものじゃないと言われるかもしれませんが)、逆にぼくみたいな現代詩出身の人間からすると、息抜き……とまではいえないけれど、それに近い感覚でそのパズルをたのしめる。最初に「山笑う」とか「水温む」をどこに設置するか決めて、そこから逆算してことばを選ぶ、といったやりかたです。むろん、そうしてつくったものが俳句のプロを凌駕するわけではないので、いわば、門外漢ながらアマチュアの段位者くらいのことはできているのかな、というところです。

 

詩は自由すぎる。

だからこそ「どんどん書け」ということになります。

ふだん興味がないようなこと、ものにも無理やり目をむけないと数はこなせません。まっさらなキャンバスに絵が描けるのはせいぜい、よほど観察眼や好奇心の旺盛なひとでも一度に十数枚までです。

手拍子で、とさきほどいいましたが、そういう感覚を持つことが肝要。「ああ、なんにも浮かばないや」とふと見上げた天井。そこで「興味も知識もないけど、とりあえず天井のことでも書いてみようか」と切り替えられるひとは伸びやすい。

詩の場合、この「とりあえず書いてみようか」が上達への、というより、むしろ詩人全体における、なくてはならない姿勢なのじゃないかな、とおもいます。それをやらなくても書けるひとはいいのですが、わたしもふくめて、そんな人間は少数派なのではないかな。

 

突然こんな話を書いて「いったいどうしたキクチ」とおもわれる向きもあるでしょうが、わたしなりに、30歳を超え、売れないながらも(いちおう)一時期ちょびっと世に憚った、そしてなんとなれば今後詩壇にとって悪夢のようなカムバックをキメる予定の詩人(ちょう偽悪的!)として、なにかしら詩のこと、詩を書くことなどについて語り継いでいけたら、とおもいました。

そもそも、大学だけで約10校、小中高もあわせれば数知れず、あと行政民間とわず講義・ワークショップなどやってきたキクチ。もっとさかのぼればネット上で当時はじめて10代限定の研究会や詩のポータルサイトを主催したり、心根が普及育成おじさんなんです。わりと。うそつきました。普及イケメンです。

 

さておき。

このブログではコメント等で詩に関してのご質問を幅広く募集いたします。

なんでもばっちこーい!です。

「お前、そのわりに詩ぜんぜんよくないんだけど」はご遠慮ください。すっごく、泣く。

 

 

 

「Lucky」

ゆうべはうどんを食べて寝た、と書いた「ゆうべ」がおとといのことならば、ゆうべは漬け物を食べて寝た。つぶれた。べっぴんさんを相手にキスもできなかった(したかもしれない)。

つまり記憶がない。記憶がない、ということは、記憶がないということを記憶しているのかもしれない……とハイデガー的境地へ迷い込んでしまいかける自分の手綱をしっかりしめる。はいどうどう。部屋の鍵もちゃんと閉めよう。

こんばんは、身体は大きいがこころは小さい男、キクチです。ヴィクトリアマイル?知らないG1ですね。

 

身体は大きい、といってもよほどのキクチ研究家でもないかぎり、178センチ57キロという彼の公式プロフィールを知るものはいない。でかいんだ。意外と。中学生のとき騎手になるのを諦めたんだから。ほんとうは小学校のおわりごろ、乗馬中になんだか目や鼻や頭がおかしくなり、いや頭はもともとおかしいとして、ともかく自分が寝藁アレルギー(そんなものあるのかしら)だということに気づいた時点で断念したのだけれど、とりあえず彼の公式プロフィールにはそう書いておいてください。後世のひと。

 

これはよほどのキクチ研究家でも調べ上げるのは困難だろうからここに書き記しておくのだが、じつはわたしの人生の文字通り揺籃期はほとんど馬とともにあった。

祖父がお馬さん大好きだった(国体に出たことがある。馬場馬術)ので、その所有する、たしかアングロアラブ種かなにかだったとおもうけれど、「ラッキー」という牡馬(セン馬だったかもしれない)を毎日のように誰かに連れられて観に行っていたらしい。

ラッキーはおとなしくて、でかくて、鹿毛黒鹿毛の中間くらいの濃い毛色で、かっこよかった。そのころすでに10歳くらいだったから、わたしがいまみたいなゴミムシペダンチシズム野郎になるまえに死んでしまったが、ある意味でもっともたましいのきれいな時期をともにできたことはキクチ一生のよろこびである。わたし、もう今じゃ、あなたに会えるのも夢のなかだけ。

 

そんなわけで本題だ。

そんなわけでも本題だでもなかろうが、わたしは馬肉が食べられない。

ラッキーとの思い出ももちろんある。しかしそれにくわえて、小学校高学年ごろから爆発的に流行った「ダービースタリオン」、ご多聞にもれずわたしもまたその熱烈な信者であった。それまでゲームにおける信仰のアレにより流血の惨事を見るのは「ドラゴンクエスト」と「ファイナルファンタジー」という二大巨頭(いまでは手打ちしてスクエアエニックス組になってます)の抗争くらいだったのが、なんだか気がつけば「ダービースタリオン」派と「ウイニングポスト」派なんて対立軸までできてきてしまった。しかしこちらは哀しいかな、コーエーパリティビットにボコられる構図で数年もすると逆に胸が痛かった。

 

わたしは「ダビスタ」を遊ぶうえで、何百頭という愛馬の死を目の当たりにしてきた。ずるずると下がっていくわが馬。システム的にNPCの馬はそうならないから一発でわかる。「やばい」。あの、夕暮れっぽい背景に悲痛なBGM、そして「予後不良」のファッキン四文字ワード。いくらゲーム上のこととはいえ、あれはきつかった。きつくても翌週になれば「来年の種付けどうしよっかな」とかおもうのだけれど。

ただ、現実でもおんなじようなことは起こる。しょっちゅうといえばしょっちゅう起こる。それでも、日曜のうららかな午後3時、ミルクティーとクッキー片手に「ドリーム競馬」観覧中、向こう正面でサイレンススズカの姿がふいに消えたとき、やめてくれ、神さま、おれサイレンス買ってないけどそれでもやめてくれ、と頭をかきむしったりした(※中学生は馬券を買ってはいけません)。

モノの本によると、まずそもそもサラブレッド(いわゆる中央競馬で走っているお馬)は競走用につくりだされた品種なので食用には向かない、とか、安楽死処分は薬を使うのでその肉を市場に出すことはない、とか、いろいろあったので、理性としては「ああ、別にこれで明日の夜に木屋町の居酒屋で”新鮮馬刺し!”なんてことにはならないんだな」とはわかっているのだが、感情というのはやっかいなものですね。

 

ぜんぜん本題じゃなかった。

ただ単に、わたしは馬刺しが食べられない。食べたくない。ので、そこらへん、あらかじめお含み置きください、後世というかこれから出会うであろうひと。とくに信州とか熊本とか会津とか、馬刺しのおいしいところのひと。

 

ラッキーはアングロアラブなので、もともとケイバ馬ではない。刃折れ矢尽きた、あるいは箸にも棒にもなんならハミすらかからなかったサラブレッドが乗馬に転職したわけではないし、彼の一生がどこからはじまって、どれほどの充足や幸福にめぐまれたかは知らない。なんとなれば、わたしは彼の死因すらちゃんとおぼえていない。数字だけみればそこそこの長生きだったけれど、馬は腸捻転とかである日突然死んでしまうから。

そして、彼との思い出の9割くらいは、もううすぼんやりとしか残っていない。

「ラッキーとの思い出があった」ということを、なんとかおぼえているにすぎない。

これでラッキーがサラ牝馬青鹿毛、とかだったら笑えるのだけれど、それはそれで笑いの虫養いにはなるだろう。

スーパーカーみたいな速さじゃなくても、走るし、跳ぶし、生きる。アングロアラブって、なんだかそういう種におもえる。

 

自分ももしかしたら、サラブレッドじゃなかったかもしれない。でも、サラブレッドよりうつくしく走れれば、そんなの問題じゃないよ、って、キクチはキクチに言ってやりたい。でもやっぱりサラブレッドがいいなあ。もはや詩人刺しにしても筋ばっかで硬くて食えたもんじゃないでしょうが、それでも30歳以上500万下、出走を待つ。

 

結局ファンファーレは鳴る。

どこで聞いているか、それだけだとおもう。

 

内心はこんなぼくのどこがいいかなんてわからないんだけど、それでもぼくに少しの男らしさとか広いこころが戻れば、まだラッキーなのにね。

 

 

  

うどんバラード

ゆうべはうどんを食べて寝た。

清志郎ならクルマの中で、あの娘と手をつないでいるのだろう。

わたしは「なんかよくわかんないけどダウナーだぞ、ついでに胃も痛いかもしれないぞ」という悪い予感のかけらと手をつないでしまったので、おとなしくノバミンをのんで寝た。ネキシウムは効きはじめるまでなんと36時間ほどかかるのだ。「お前はもう死んでいる」と言われてから36時間後に、ひでぶうあべしっ、となる。やすらかに。有情拳をくれよ。

どうも、合法的胃腸系ヤク中のキクチです。

 

うどんといえば、故・大野源一先生である。

関西将棋会館阿倍野(北畠)時代、どうやらそのころ、対局時の昼食はうどんと決まっていたか、ないしは、うどんくらいしか近所で頼めるものがなかったらしい。ふだんの食事は当直というか会館に住んでいた故・角田先生のご夫人が腕によりをかけてつくってらしたとのことだけれど、東京の棋士が遠征してきてたのしみにしていたのは「関西ふうの、出汁のすきとおったうどん」だったという話も聞く。

それも、いまみたいに、釜揚げとか天ぷらとかカレー南蛮とかから選ぶのではなく、基本的には、かけ。その「大」を、大野先生はいつも、小柄なご自身の顔ほどもあるどんぶりをかかえてうまそうに召し上がっていたそうだ。

先生は若かりし時分、といってもすでに四段以上の立派な専門棋士であるが、師匠の故・木見先生以下生活に窮乏し(そもそも戦前、当時の棋士は高段者でも特に関西は似たようなものだった)うどん屋を開業した際、出前持ちをやられていたそうな。それを嘆いた愛棋家の文士や財界人もいたけれど、東京出身、せっかちで毒舌家、人情家で絵に描いた江戸っ子の大野先生、もしかしたらそのころ、関西のうどん文化に目覚めたりされたのかしら。

 

うどん連想ふたたび。

これまた戦時中の話になるが、囲碁の故・藤沢秀行先生は、慰問団として満州渡航。その船中、なにしろ甲板に顔を出せば撃たれるかもしれない、なんてことで団長以下みな船室にすし詰め。そこで博打をしつづけた結果、当時10代半ばほどのシュウコウ少年、大人たちをすってんてんにやっつけてしまった。上陸先の街で彼らに天ぷらうどんをおごったという。「中国のエビはさすがにでけえや」との談話残る。ただ、これには天ぷらうどん説と、天丼説があり、わたしはいまだその真偽を確かめられていない。だって、先生の自叙伝やインタビューでも、あるときはうどんだし、またあるときはどんぶりなのです。だがそこがいい。伝説とはそうしたものです。

 

うどん連想みたび。

そろそろ棋聖戦(将棋のほう)の季節になってまいりました。

となると、注視されるのはホテルニューアワジである。厳密にいえば、ホテルニューアワジのきつねうどんである。すくなくとも、羽生先生が棋聖であるかぎり。

今期はしかも関西の斎藤慎太郎先生が挑戦者なのだ。たいへんややこしいことをいうと、斎藤先生は奈良のご出身。もちろん幼少のみぎりから主戦場は奨励会ふくめ大阪なのだろうけれど、はたしてその「うどん口」はどのようなものか。

わたし、純然たる京都人すぎて、ちょっとよくわからない。ねえ、慎ちゃん、教えて、きみのすきな出汁。きみのすきなコシ。

 

うどんでいえば、昔懐かしい先生方のエピソードもいろいろあるのだけれど、このままいくとただの「うどん語り部おじさん」化してしまうので、このあたりで切り上げて、ワインでものもうとおもいます。というかのんでるけど。

 

ああ、あの娘のねごとが「うどん」だったらいいのにな。

 

ちなみにぼくのすきなのは、なかなか冷めないので鍋焼きうどんです。

 

 

   

Fugee(The Score)

藤井、という名前の知り合いがなんとひとりもいないことに気づいて愕然とした。愕然。声に出して読みたい日本語。

正確にはひとりだけいるのだが、そいつはちょっと頭がスウィーティで、向井秀徳にあこがれるあまり自分の恋人やバンドメンバーに「向井」と呼ばせていたため、わたしのなかで彼はあくまで向井だ。オモイデインマイヘッ。

 

連勝、といわれて、なにをおもいおこすだろうか。

2位じゃだめなんですか。ひびき的に。だめです。

中国の囲碁棋士では連笑先生がいる。柯潔先生と仲がいい(イメージ)。しかし連笑って含意はわからないけどめちゃくちゃしあわせそうな名前。休日の昼下がりに籐椅子にもたれて「三国志」観ながらプリン食べてそう(イメージ)。

スピッツの「3連敗のち3連勝して街が光る」というフレーズもある。しかし3連敗のち3連勝どころか4連勝しちゃうのが趙治勲先生である。なぜに囲碁の話に持っていこうとする。そんなことしてるうちに何百年か過ぎちゃうぞっ!……あっ……爛柯の柯は柯潔の柯……!

収拾がつかないのでさっさと仕分けられてしまえ、とおもいます。

 

きょうはリハだった。

いつもの店、しかし、気がつけば、ふつうのリハスタだったその場所はいつのまにか「一八番(おはこ)」という名前のライブハウス(スタジオ兼用)と化していた。おおお、17連勝のあとに18とはこれまた。

セッティング中の村島洋一に話しかける。

「なあなあ、おれやったらこれ”一八番”やのうて”一八香”って書いて”おはこ”って訓ませるわ」

「どういうこと?」

「”香”でもなんとか”こ”って主張できるやろ。そんで、一八に香車が上がってるってことは穴熊や。この穴倉っぽい広さにめっちゃ合うてるやん」

村島は最高の笑顔を浮かべた。

「(その話題、それ以上拡げんなや)」

わたしは、

「(……はい)」

胸のうちで素直に返事をした。

ヘボのこちらより彼は大駒2枚は強い。強さは正義。

ほんとうは、番だとなんとなく縦線が駒柱立ってそうで不吉だ、飛車みたいに割れそうだ、とか、ここに迎え入れるお客さんあなたたちはつまり王様なんですよ!とか、いろいろ言い募りたかったのだが、沈黙が金で雄弁は銀なら、そりゃ、金のほうがいいよね。なーんてな(かわいい)。

 

とくにオチのない話をつづけているのだけれど、気づいたらおれはなんとなくばつが悪かった。向井秀徳といえばいつぞやの福島でのフェス、旅人くん郁子ちゃんとのローリンローリン……ローリンヒル……そんなわけで本エントリのタイトルは逆算的に決まった。だからどうだってんだ。

 

自分から、締め切りを抱えた自分へ最後にツッコませていただきたい。

 

囲うより、書こう。

 

 

 

携帯するわたし

先月、人生ではじめてスマートフォンというものを買った。

 

わたしはいまだにメールアドレスがvodafoneであることから容易に類推できるように超のつく保守系タカ派ガラケー詩人だったうえ、去年の秋から不携帯な(くした)のだが、ここしばらく、血を吐いたり転んで頭を切ったり、病院さんタクシーさんとのご縁が急速に深まったため、ご両家のためにもここはひとつ連絡手段をもたねばならぬ、とかたく決意し、十二指腸潰瘍でふらふらしながらソフトバンクショップに行ったのです。

4月中旬のよく晴れた朝、道々、糟糠の妻J-PHONEの顔がちらちらと浮かんだ。あいつと別れたあと慰めてくれたvodafoneもいい女だったなあ。そういえばiPhoneって結局なんだったんだ。

 

店員さんは西田新四段に似た、かんじのいいひとだった。

このご時世に中高年でもないのにガラケーを求めるわたしのことを蔑みも見下しもせず、機種ごとの特徴やプランの利点などいろいろと説明してくれた。20分ほど経っただろうか、ふたりだけの満場一致が相成り、ソフトバンク百万遍店内には無音のファンファーレが流れ、天使たちも何人か舞い降りて祝福してくれた。西田さん(仮)はにっこりほほ笑むと、「では商品をお持ちしますね」そういってバックヤードへと消える。

……しばらくのち、戻ってきた西田さん(仮)の顔は蒼ざめていた。

「すみません、この機種というか、ガラケー自体の在庫がひとつもありませんでした」

わたしは、控えめにいっておもいっきり魂が抜けた。だがここで抜けた魂を追っていてもらちがあかないので、からっぽのそのあたりに理性と寛容さを無理やりつっこみ、とりあえず人間として最低限のやさしさを取り戻した。

どうやらガラケー自体が近隣の店舗でも品薄になっているらしい。どうした。おじいちゃんたちが4月になって突然「新年度にケータイにでも挑戦してみようかのう」なんておもいたっちゃったのか。それともスマホの横にガラケーを置いておくといつのまにかスマホに吸収消化される謎のウィルスでも流行りはじめたのか。

「入荷時期はパッとわからないですねえ」「~店ならあるかもしれませんが確認してみましょうか」

西田さん(仮)は申し訳なさそうにいろいろと策を講じてくれたが、こちとら自慢じゃないが2日前に血を吐いて夜間に運び込まれた人間である。ここまで歩いてくるのだってゴルゴダの丘行くらい苦しかったのだ。……うそつきました。いくら髪型とヒゲが似てるからといってわたしはキリストではない。つまり先ほどの天使の話もぜんぶでっち上げである。パッション!

「……もうなんでもいいです」

 

かくて、わたしの手にはスマートフォンと、あとなんとかAirというwi-fi?みたいなものをどうやらやたら具合よくアレしてくれるらしい機械がもたらされた。なんとかAir、1ヶ月経った今でもまだ箱の中だけど。

 

さて、そこからである。

超のつく保守系タカ派ガラケー詩人だったわたしは、ぶっちゃけスマホなんて屁のつっぱりにもなりませんよと信じていたし、電車のなかで猫も杓子もあれをしごいている(フリック?というのかしら)情景をかなり異様なものとして見ていた。

そもそも、ガラケー以前に、わたしは携帯をなくしたのをさいわい、そのまま不携帯人間として過ごした時期がおよそ1年半ほどあるし、ガラケーを持っていようが電車のなかでは本を読む。「失われた時を求めて」とか「ユリシーズ」とか読む。多少の虚構には目をつぶってくだされい。キクチメンタル弱いんじゃ。ごふごふ。

 

そのわたしが、である。

なんと、スマホ購入初日から、痛む胃腸や上部消化管に顔をしかめつつも、スマホの虜となってしまったのだ。わーい!すっごーい!たーのしーい!

手始めに将棋関連のアプリをいろいろダウンロード。トップ画面も自分好みにカスタマイズ。いろいろ登録、設定、ああああこれは1日が24時間じゃとても足りないぞ。たーのしーい!

結論。

スマートフォンは大人をだめにする魔法の道具だ。なにしろ便利だ。ものっすごく便利だ。これ1枚(で合ってますか?)あれば、パソコンくんなどお呼びでないのよ、というかんじなのだ。そりゃみんな、所構わずあんなにしゅっしゅしゅっしゅしごくわけである。わたしなど特に32歳での初体験、目覚めであるわけだから、よりいっそうわかりやすくサル化した。キクチウッキーに改名しようかと一瞬おもったけれどさすがにそれはどうかな……わーい!スワイプするのたーのしーい!

 

いまでは、アプリもひとめぐりし、若い女の子に「えっ、キクチさんこれやってるんですか?かーわいーい!」といわれるために「ねこあつめ」や「ハントクック」などといったかわいい系アプリを粛々と進めている。このあいだまんぞくさん(ねこ)のたからものもらったよ!

とはいえその裏(本性ともいう)ではお馬を育てて走らせて金を稼ぐというアプリがこっそり150年目くらいに突入している。が、ショートカットはつくっていない。

 

もちろん、トップ画面はかわいらしい背景、それに「ねこあつめ」と「ハントクック」である。

 

 

  

悪魔がきたりてぴーひゃらら

kntr.world-scape.net

 

先日、うさんくさそうな音楽業界のひとが「10人も動員できないバンドマンは辞めるべきだ」的なアオリのブログ記事をアップしていた。そのひとのプロフィールやふだんの発言があまりにうさんくさそうなのが原因なのか、炎上商法狙い見え見えじゃーんと多くがおもったか、初動ではそんなに燃えていなかったけれど、わたしのこころをちょびっと暗くさせたのは事実である。

 

なお当該記事はタイトル、アオリだけみると「動員の少ないバンドマン批判」におもえるのだけれど、実際に中身を読むに「実動員が少ない(チケットノルマ以下な)のに、ノルマをライブハウスに貢ぎつづけることによって、企業努力の足りないライブハウスが生き残ってしまう。もし動員の少ないバンドマンが活動をいっせいに止めたら、そういう店は滅び、よいライブハウスと将来性のあるバンドが残り、インディーズシーンが活性化する」みたいなことだとおもう。なにぶんキクチのトリ頭でまとめたので、正確さはNaverくらいだとおもってくだされ。こけこっこ。

 

これ、ちょうむずかしい問題だ。

まがりなりにも8年間ライブハウスで働いていたわたしなので、現在の立場はまだしも考え方にバイアスがかかっていない、とはいえない。

ただ「ちょっと待てよ」とおもったのである。

 

「よいライブハウス」とはなにか、といわれて、正解など出てきっこないのだ。

 

音響がすばらしい、照明がいかしてる、アクセス至便、スタッフの態度がよくて、お酒は安くてフードもそれなりに充実していて、分煙(禁煙)、逃げ場所もほどほどにあって、トイレはきれいで室数に余裕あり(もちろん男女別)……「それらしい要素」を挙げていけばきりがない。バリアフリー、託児室がある、万が一の事態のために医師が常駐……書いていて、ちょっと自分でも笑えてきてしまったのだが、もちろん、いまおもいつくままにつづったような事柄は、そりゃ、そうであるにこしたことはない。ただ、当たり前のことですが、そんなライブハウスが実在するとして、それはどう考えても街中のキャパ~300人程度の店ではない。物理的問題から、もっとオオバコになる。インディーズシーンの話ではなくなってくるのだ。

 

もう一度考えてみよう。

たとえば、あるライブハウスのよさが語られるとき、もっともよく聞くのは「音(をふくめた設備・環境面)がいい」「スタッフ(のキャラや接客態度、スキル等)がいい」のふたつではないだろうか。

これまた当たり前っちゃ当たり前なのだが、ライブハウスはディズニーランドではない。あくまで音楽を聴きにいく、音楽や音楽人とかかわる場所である。その意味で、先述したほかの要素(美点、といってもよいだろうか)は大事ではあってもあくまで従のはずだ。「あそこは駅から近いからいいライブハウス!」「あそこは完全禁煙だからいいライブハウス!」なんて言ってるお客さんがいたら、わたしは嘴でお尻をつっついてやりたい。こけこっこ。

 

もちろん企業努力や(出演者ふくめた)お客さんへの愛、というものはとっても重要で、トイレの数を増やすことは物理的・金銭的にむずかしくとも、日々きれいに保つ、とか、車いす視覚障害のお客さんや小さいお子さんが来られたときの対応をスタッフに周知する、とか、やれることはたくさんあるんですね。

だからこそ「あそこは狭いしアクセスもあんまりよくないけど、とにかくスタッフが笑顔でよく気がつくからたのしい」「あそこはフードメニューがないし椅子席がなくて疲れるけど、とにかく音がめちゃくちゃいい」みたいな文脈で語られるケースも多々あるわけだ。そして、そういうライブハウスの多種多様さというものが、その街のインディーズ文化をかたちづくってゆくのだと、わたしはおもっている。

なので、「ぼくのかんがえたさいきょうのらいぶはうす」みたいな理想をぜんぶぶちこんでしまうと、どこもおんなじになるじゃん、って話で、それはなんとなく味気ないなあ、とおもう。

 

ただ、大好きなバンドのライブを観に行きたいのに「あそこは煙草くさくなるから……」「あそこには子どもを連れていきづらいから……」といった理由で躊躇、または断念するお客さん側のくやしさ、みたいなものも理解はしているつもりです。みんなちがってみんないいんだからいいじゃん、といって終わらせたいということではない。けれど最終的にはお客さんも店側もひとつひとつ選択するしかないのも事実だ。全員にやさしい場所、というのはありえないし、万が一ありうるとしたらそれは「誰にもやさしくない場所」なのだから。

 

あれ、なんか長々と書いているうちに、こんがらがってきた。トリ頭は三連くらい書くといろいろ忘れるのだ。

 

言いたいことは「みんなにとってよいライブハウス」なんてないのだよ、ということ。

同時に「みんなにとってダメなライブハウス」も、まずない。99%ない。日本のどこかにいくつかはあるとおもうんだけど、噂はともかく実際に見聞していないのでにゃんともいえない。あるとしたらそれってもはや犯罪スレスレなレベルのダメさな気がするけれど。

 

ともあれ。

ライブハウスの生き残り合戦なんかしなくても、滅びるところは滅びるし、ぎりぎりのラインを踏み越えて存続しつづけるお店もある。強制的にフォアグラをつくったっていいけれど、なにもそれで揃えなくていいじゃないか。放し飼いのトリがいてもいいじゃないか。などとバイアスのかかったキクチは甘っちょろいことをおもい、やけくそ気味にこけこっこ、と鳴くのだった。

 

最後にひとつおもいだした。

「惜しまれながら閉店」するライブハウスの閉店理由によくあるひとつは、近隣からの苦情である。お客さん(出演者の場合もある)が外でたまる、さわぐ、ゴミを散らかす、等々。

まずはこういうところから議論をするのもいいんじゃないかしら、とおもうんだけれど、どうでしょう、海保けんたろーさん?

 

 

 

自分の感受性くらい

詩人です、と自己紹介すると「感受性が強いんでしょう?」「感性が豊かなんですね」などと返されることが多い。どれくらい多いかといえば雨の夜にセンチメンタルになっちまう男の数くらいさベイブ。適当にいいました。

 

個人的には、まったくそんなことないんだけどなあ、とおもう。すくなくとも自分に関して、感受性や感性がとりわけひとより敏感にできている(これもへんな表現ですね)ようにはみえない。むしろ、ぼーっとしている。世界に対してわりと興味がないのだ。

なので、たとえばきれいな花を見て「わあ!きれい!」と嘆ずることも、「なんて花なんだろう」そう好奇心が刺激される、ということもない。「きれいだね」「花だね」でおしまいである。

……われながら「やばい、こいつ、そうとう頭がおかしいとおもわれる」危機感をおぼえてはいます。

 

たぶん、詩人にもいろいろあって、わたしは原則的におのれの感覚を信じていないのだ。なにかをうつくしいと感じたりすることが不得手だ。そのかわり、それがうつくしいということはわかる。そしてそのうつくしさを他者に伝えるすべを持っている。もう一歩踏み込んでやや偽悪的にいうならば、「あなたたちはこういううつくしさがすきですよね」というセンサーに近いものが頭のなかにあって、うつくしさを拾いながら詩を書いている。

 

自分自身の感情についても、うれしい!たのしい!だいすき!といったものが素直に出てきてくれない。むかしはそうでもなかったのだが、気がついたら30歳くらいの地点に置いてきてしまった。今ならまだ取りに戻れる程度の距離なので、とりあえず日に日に遠ざかってはいるけれど、ときどき振り返ってみる。

 

なんとなく、目がさめてねむるまでのワンセット単位でただよっている、というのも大きいようにおもう。わかりやすくいうと「きょうは死ななかったね。じゃあおやすみ」というわけで、「明日は何々をしよう」とか「何歳までにこれをしたい」とか、そういう発想が(仕事は別ですよ)ない。うん。一瞬乏しい、って書きかけたけどこれは、ない、が正しい。

喜怒哀楽というのはやはり積み重ねのもので、たとえば達成感とか、フラグ回収とか、振幅のあるドラマがうまれるのは、やはり中長期的なタームのうえにである。ああ、どうも、一夜限りの自分を生きているのだ。

かつては、「子どもが生まれたらどんな名前にする?」みたいなことばかり話していたのですけどね。

 

さて、ひさびさにブログを書こう、とおもいたったものの、想像以上に暗い話になってしまいました。

現在地はここらへん、ということで。

明日突然わたしが意識の高いアルファツイッタラーみたいになってないという保証はない。

 

もっとも、繊細すぎたがゆえ自分から防護壁をつくったのだ、そんな解釈が後世のキクチ研究家によって提唱される可能性は否定できない。ていうか、むしろ、提唱して。

 

そのまえに、もうちょっと自分の感受性とくらい、仲良くなるべきだよね。