キクチミョンサ的

「なれのはて」ということばがよく似合う、ちいさなぼくのプライドだよ

she

さみしい、のかたちに

折り重なって死んでゆく

ひとりごとのなかに

わたしと似た顔をみつけた

 

タイムラインの流れにそって

点々と血が湾曲している

スワイプ、画面越しの愛撫

暗がりでしか光らない祈りもある

 

そのうち屍が増えすぎて

さみしい、はずいぶん崩れてしまった

読み取れないこともない

日焼けした余白に

そっと息を吐く

殺し合いのようなセックスがしたい

 

 

   

独特の孤独

でろでろである。バック・トゥ・ザ・フューネラル。

ステータスのほとんどは墓石流死間飛車に振っておりますキクチです、こんばんは。盤上のストロベリー・フィールズ。誰だポーン埋めたの。ちがったポールだ。

 

どれくらいでろでろかというと、という話を、現実にでろでろの人間が説明してもあんまり意味がないようにおもうのだけれど、物理的にワイン2本空けている。ん?物理的?物理以外にそれをなんか忖度せざるをえない態度を読者諸賢に強要すんの?とひとり自己批判したりした。金左上がる。さておき。もしかしたらビールも最初にのんだかもしれないなあ、とおもいながら、いま、ビールをのんでいる。

 

初夏のにおいがすきで、なんとなく初夏もぼくのことをすきなような気がしている。いいんだ。カン違いはそれなりにうつくしくありさえすれば映える。あとは抱き合うだけ。

 

そんなふうにしてコンビニへ出かけた。

とくに用事はなかった。

補充しとくなら、たばこもワインもほしいな、という状態ではあったけれど、べつに明日起きてからのLIFE(スーパー)でいいのだもの。

 

帰り道のために、アサヒスーパードライを1本。

コンビニ前の喫煙所ではその内容から長いこと話し込んでいるであろう若い男の子と女の子がいた。あれはしらふか、ずっと前にお酒が抜けたか、ともあれ、そんな按配だろうなあ。道路をはさんだ向こう側、鴨川からはときおり大学生らしき集団の嬌声が風にのって流れてくる。

 

午前4時。

街は、しずかに動いていた。

どくどく。どく、どく。

 

恋がしたい、とはおもわないが、恋をしているひとの風景をひさかたぶりに注視したいなあ、なんてある意味罰当たりなことを考えているうち家に着く。

 

やるべきことはたくさんあるのだけれど、まあ、急ぐ旅じゃなし、お酒でものみましょうよ、と、でろでろの自分に甘えて新しいワインを開ける。

目を閉じていれば人生はたやすい。ってポールがいってた。ジョンか。そうか。

 

鏡を見て。

むかしの恋人より髪が伸びていることに気づく。

 

 

  

今夜のぶんだけワインを買って

今夜のぶんだけワインを買って

うちへ帰りたい

きみに仮借した表現でいえば

69本は余裕があるけど

そういうことじゃない

 

点滅する光の端と端をぐっと握って

無理やりむすんでしまえるような

最後の合言葉

ほんとうに聞こえなかった

王様は星座をつくり

ぼくは地上で酔いつぶれる

 

今夜のぶんだけワインを買って

うちに帰りたい

うっかり

回収日をまちがえて

ゴミに出した

気持ちみたいな澱が増えた

 

あしたの朝

うっかり

となりでねむっていたら

手をつないでいようね

ちがう血と血の輪郭がすこし

馴染むように

 

王様の星座は消えて

ぼくは地上で酔いつぶれている

 

 

 

詩のはなし、すこし

「どうやったら詩がうまくなりますか」

よく聞く質問です。

そもそも詩なんて書いてる時点で、そして「うまくなりたい」なんておもうならまして、彼氏彼女には愛ある「キチガイ」という称号をおくりたい。いや、これ、皮肉でもなんでもなくって。御同行、沼にはまったね。これから窒息するまで一緒だね、ということです。じつはうれしいのです。うれしいのだけど、そのよろこびを素直に表現すると先述のようなことになる。ほんとうに詩人か、キクチ。

 

「どうやったら詩がうまくなりますか」

そんなとき、わたしは「どんどん書け」と答えます。

ある意味、身もふたもないように感じられるかもしれませんが、100編書けばだいたいの自分の作風がわかり、1000編くらいでそれが(いちおう)固まる。10000編とはいわずとも、そこからはもはや「半玄人」の世界。守破離でいうならそろそろ破ってもいいんじゃない、という進境なわけです。

将棋ふうにいえば「手拍子で書けるように」が近いかしらん。

 

はっきりいって、最初から一編書くのに何日もかけるようなひとは見込みがありません。

例外はあるにせよ、そういう頭のはたらかせ方は、もっと技術や発想を蓄えて、あるいは磨いてからの話だとわたしはおもうのです。将棋なら「待った」はできませんし必ず勝ち負け(持将棋千日手は別)がつきますけれど、詩では何千回でも「待った」ができます。走り出した理由とか、経路、ゴールを考えるのは走り出してからでよいのです。

なので、駄作でも凡作でもなんでもいい、可能ならソネット程度(構成ではなく尺の問題です)の短いものでも日に一、二編は書いてみる、そしてそれを半年つづける。こういうひとは、上達が早い傾向にある。早期に詩に見つけられる可能性がそれだけ高まるわけです。

 

あるとき、バリバリの若手俳人から「詩は自由すぎてなにをしたらいいかわからない」といわれました。同感です。

俳句というのはまず五七五という制約があり、季語という縛りもある。いわばパズルです。すくなくとも17文字のうち3割くらいは季語で埋めてしまえるので(そんな浅いものじゃないと言われるかもしれませんが)、逆にぼくみたいな現代詩出身の人間からすると、息抜き……とまではいえないけれど、それに近い感覚でそのパズルをたのしめる。最初に「山笑う」とか「水温む」をどこに設置するか決めて、そこから逆算してことばを選ぶ、といったやりかたです。むろん、そうしてつくったものが俳句のプロを凌駕するわけではないので、いわば、門外漢ながらアマチュアの段位者くらいのことはできているのかな、というところです。

 

詩は自由すぎる。

だからこそ「どんどん書け」ということになります。

ふだん興味がないようなこと、ものにも無理やり目をむけないと数はこなせません。まっさらなキャンバスに絵が描けるのはせいぜい、よほど観察眼や好奇心の旺盛なひとでも一度に十数枚までです。

手拍子で、とさきほどいいましたが、そういう感覚を持つことが肝要。「ああ、なんにも浮かばないや」とふと見上げた天井。そこで「興味も知識もないけど、とりあえず天井のことでも書いてみようか」と切り替えられるひとは伸びやすい。

詩の場合、この「とりあえず書いてみようか」が上達への、というより、むしろ詩人全体における、なくてはならない姿勢なのじゃないかな、とおもいます。それをやらなくても書けるひとはいいのですが、わたしもふくめて、そんな人間は少数派なのではないかな。

 

突然こんな話を書いて「いったいどうしたキクチ」とおもわれる向きもあるでしょうが、わたしなりに、30歳を超え、売れないながらも(いちおう)一時期ちょびっと世に憚った、そしてなんとなれば今後詩壇にとって悪夢のようなカムバックをキメる予定の詩人(ちょう偽悪的!)として、なにかしら詩のこと、詩を書くことなどについて語り継いでいけたら、とおもいました。

そもそも、大学だけで約10校、小中高もあわせれば数知れず、あと行政民間とわず講義・ワークショップなどやってきたキクチ。もっとさかのぼればネット上で当時はじめて10代限定の研究会や詩のポータルサイトを主催したり、心根が普及育成おじさんなんです。わりと。うそつきました。普及イケメンです。

 

さておき。

このブログではコメント等で詩に関してのご質問を幅広く募集いたします。

なんでもばっちこーい!です。

「お前、そのわりに詩ぜんぜんよくないんだけど」はご遠慮ください。すっごく、泣く。

 

 

 

「Lucky」

ゆうべはうどんを食べて寝た、と書いた「ゆうべ」がおとといのことならば、ゆうべは漬け物を食べて寝た。つぶれた。べっぴんさんを相手にキスもできなかった(したかもしれない)。

つまり記憶がない。記憶がない、ということは、記憶がないということを記憶しているのかもしれない……とハイデガー的境地へ迷い込んでしまいかける自分の手綱をしっかりしめる。はいどうどう。部屋の鍵もちゃんと閉めよう。

こんばんは、身体は大きいがこころは小さい男、キクチです。ヴィクトリアマイル?知らないG1ですね。

 

身体は大きい、といってもよほどのキクチ研究家でもないかぎり、178センチ57キロという彼の公式プロフィールを知るものはいない。でかいんだ。意外と。中学生のとき騎手になるのを諦めたんだから。ほんとうは小学校のおわりごろ、乗馬中になんだか目や鼻や頭がおかしくなり、いや頭はもともとおかしいとして、ともかく自分が寝藁アレルギー(そんなものあるのかしら)だということに気づいた時点で断念したのだけれど、とりあえず彼の公式プロフィールにはそう書いておいてください。後世のひと。

 

これはよほどのキクチ研究家でも調べ上げるのは困難だろうからここに書き記しておくのだが、じつはわたしの人生の文字通り揺籃期はほとんど馬とともにあった。

祖父がお馬さん大好きだった(国体に出たことがある。馬場馬術)ので、その所有する、たしかアングロアラブ種かなにかだったとおもうけれど、「ラッキー」という牡馬(セン馬だったかもしれない)を毎日のように誰かに連れられて観に行っていたらしい。

ラッキーはおとなしくて、でかくて、鹿毛黒鹿毛の中間くらいの濃い毛色で、かっこよかった。そのころすでに10歳くらいだったから、わたしがいまみたいなゴミムシペダンチシズム野郎になるまえに死んでしまったが、ある意味でもっともたましいのきれいな時期をともにできたことはキクチ一生のよろこびである。わたし、もう今じゃ、あなたに会えるのも夢のなかだけ。

 

そんなわけで本題だ。

そんなわけでも本題だでもなかろうが、わたしは馬肉が食べられない。

ラッキーとの思い出ももちろんある。しかしそれにくわえて、小学校高学年ごろから爆発的に流行った「ダービースタリオン」、ご多聞にもれずわたしもまたその熱烈な信者であった。それまでゲームにおける信仰のアレにより流血の惨事を見るのは「ドラゴンクエスト」と「ファイナルファンタジー」という二大巨頭(いまでは手打ちしてスクエアエニックス組になってます)の抗争くらいだったのが、なんだか気がつけば「ダービースタリオン」派と「ウイニングポスト」派なんて対立軸までできてきてしまった。しかしこちらは哀しいかな、コーエーパリティビットにボコられる構図で数年もすると逆に胸が痛かった。

 

わたしは「ダビスタ」を遊ぶうえで、何百頭という愛馬の死を目の当たりにしてきた。ずるずると下がっていくわが馬。システム的にNPCの馬はそうならないから一発でわかる。「やばい」。あの、夕暮れっぽい背景に悲痛なBGM、そして「予後不良」のファッキン四文字ワード。いくらゲーム上のこととはいえ、あれはきつかった。きつくても翌週になれば「来年の種付けどうしよっかな」とかおもうのだけれど。

ただ、現実でもおんなじようなことは起こる。しょっちゅうといえばしょっちゅう起こる。それでも、日曜のうららかな午後3時、ミルクティーとクッキー片手に「ドリーム競馬」観覧中、向こう正面でサイレンススズカの姿がふいに消えたとき、やめてくれ、神さま、おれサイレンス買ってないけどそれでもやめてくれ、と頭をかきむしったりした(※中学生は馬券を買ってはいけません)。

モノの本によると、まずそもそもサラブレッド(いわゆる中央競馬で走っているお馬)は競走用につくりだされた品種なので食用には向かない、とか、安楽死処分は薬を使うのでその肉を市場に出すことはない、とか、いろいろあったので、理性としては「ああ、別にこれで明日の夜に木屋町の居酒屋で”新鮮馬刺し!”なんてことにはならないんだな」とはわかっているのだが、感情というのはやっかいなものですね。

 

ぜんぜん本題じゃなかった。

ただ単に、わたしは馬刺しが食べられない。食べたくない。ので、そこらへん、あらかじめお含み置きください、後世というかこれから出会うであろうひと。とくに信州とか熊本とか会津とか、馬刺しのおいしいところのひと。

 

ラッキーはアングロアラブなので、もともとケイバ馬ではない。刃折れ矢尽きた、あるいは箸にも棒にもなんならハミすらかからなかったサラブレッドが乗馬に転職したわけではないし、彼の一生がどこからはじまって、どれほどの充足や幸福にめぐまれたかは知らない。なんとなれば、わたしは彼の死因すらちゃんとおぼえていない。数字だけみればそこそこの長生きだったけれど、馬は腸捻転とかである日突然死んでしまうから。

そして、彼との思い出の9割くらいは、もううすぼんやりとしか残っていない。

「ラッキーとの思い出があった」ということを、なんとかおぼえているにすぎない。

これでラッキーがサラ牝馬青鹿毛、とかだったら笑えるのだけれど、それはそれで笑いの虫養いにはなるだろう。

スーパーカーみたいな速さじゃなくても、走るし、跳ぶし、生きる。アングロアラブって、なんだかそういう種におもえる。

 

自分ももしかしたら、サラブレッドじゃなかったかもしれない。でも、サラブレッドよりうつくしく走れれば、そんなの問題じゃないよ、って、キクチはキクチに言ってやりたい。でもやっぱりサラブレッドがいいなあ。もはや詩人刺しにしても筋ばっかで硬くて食えたもんじゃないでしょうが、それでも30歳以上500万下、出走を待つ。

 

結局ファンファーレは鳴る。

どこで聞いているか、それだけだとおもう。

 

内心はこんなぼくのどこがいいかなんてわからないんだけど、それでもぼくに少しの男らしさとか広いこころが戻れば、まだラッキーなのにね。

 

 

  

うどんバラード

ゆうべはうどんを食べて寝た。

清志郎ならクルマの中で、あの娘と手をつないでいるのだろう。

わたしは「なんかよくわかんないけどダウナーだぞ、ついでに胃も痛いかもしれないぞ」という悪い予感のかけらと手をつないでしまったので、おとなしくノバミンをのんで寝た。ネキシウムは効きはじめるまでなんと36時間ほどかかるのだ。「お前はもう死んでいる」と言われてから36時間後に、ひでぶうあべしっ、となる。やすらかに。有情拳をくれよ。

どうも、合法的胃腸系ヤク中のキクチです。

 

うどんといえば、故・大野源一先生である。

関西将棋会館阿倍野(北畠)時代、どうやらそのころ、対局時の昼食はうどんと決まっていたか、ないしは、うどんくらいしか近所で頼めるものがなかったらしい。ふだんの食事は当直というか会館に住んでいた故・角田先生のご夫人が腕によりをかけてつくってらしたとのことだけれど、東京の棋士が遠征してきてたのしみにしていたのは「関西ふうの、出汁のすきとおったうどん」だったという話も聞く。

それも、いまみたいに、釜揚げとか天ぷらとかカレー南蛮とかから選ぶのではなく、基本的には、かけ。その「大」を、大野先生はいつも、小柄なご自身の顔ほどもあるどんぶりをかかえてうまそうに召し上がっていたそうだ。

先生は若かりし時分、といってもすでに四段以上の立派な専門棋士であるが、師匠の故・木見先生以下生活に窮乏し(そもそも戦前、当時の棋士は高段者でも特に関西は似たようなものだった)うどん屋を開業した際、出前持ちをやられていたそうな。それを嘆いた愛棋家の文士や財界人もいたけれど、東京出身、せっかちで毒舌家、人情家で絵に描いた江戸っ子の大野先生、もしかしたらそのころ、関西のうどん文化に目覚めたりされたのかしら。

 

うどん連想ふたたび。

これまた戦時中の話になるが、囲碁の故・藤沢秀行先生は、慰問団として満州渡航。その船中、なにしろ甲板に顔を出せば撃たれるかもしれない、なんてことで団長以下みな船室にすし詰め。そこで博打をしつづけた結果、当時10代半ばほどのシュウコウ少年、大人たちをすってんてんにやっつけてしまった。上陸先の街で彼らに天ぷらうどんをおごったという。「中国のエビはさすがにでけえや」との談話残る。ただ、これには天ぷらうどん説と、天丼説があり、わたしはいまだその真偽を確かめられていない。だって、先生の自叙伝やインタビューでも、あるときはうどんだし、またあるときはどんぶりなのです。だがそこがいい。伝説とはそうしたものです。

 

うどん連想みたび。

そろそろ棋聖戦(将棋のほう)の季節になってまいりました。

となると、注視されるのはホテルニューアワジである。厳密にいえば、ホテルニューアワジのきつねうどんである。すくなくとも、羽生先生が棋聖であるかぎり。

今期はしかも関西の斎藤慎太郎先生が挑戦者なのだ。たいへんややこしいことをいうと、斎藤先生は奈良のご出身。もちろん幼少のみぎりから主戦場は奨励会ふくめ大阪なのだろうけれど、はたしてその「うどん口」はどのようなものか。

わたし、純然たる京都人すぎて、ちょっとよくわからない。ねえ、慎ちゃん、教えて、きみのすきな出汁。きみのすきなコシ。

 

うどんでいえば、昔懐かしい先生方のエピソードもいろいろあるのだけれど、このままいくとただの「うどん語り部おじさん」化してしまうので、このあたりで切り上げて、ワインでものもうとおもいます。というかのんでるけど。

 

ああ、あの娘のねごとが「うどん」だったらいいのにな。

 

ちなみにぼくのすきなのは、なかなか冷めないので鍋焼きうどんです。

 

 

   

Fugee(The Score)

藤井、という名前の知り合いがなんとひとりもいないことに気づいて愕然とした。愕然。声に出して読みたい日本語。

正確にはひとりだけいるのだが、そいつはちょっと頭がスウィーティで、向井秀徳にあこがれるあまり自分の恋人やバンドメンバーに「向井」と呼ばせていたため、わたしのなかで彼はあくまで向井だ。オモイデインマイヘッ。

 

連勝、といわれて、なにをおもいおこすだろうか。

2位じゃだめなんですか。ひびき的に。だめです。

中国の囲碁棋士では連笑先生がいる。柯潔先生と仲がいい(イメージ)。しかし連笑って含意はわからないけどめちゃくちゃしあわせそうな名前。休日の昼下がりに籐椅子にもたれて「三国志」観ながらプリン食べてそう(イメージ)。

スピッツの「3連敗のち3連勝して街が光る」というフレーズもある。しかし3連敗のち3連勝どころか4連勝しちゃうのが趙治勲先生である。なぜに囲碁の話に持っていこうとする。そんなことしてるうちに何百年か過ぎちゃうぞっ!……あっ……爛柯の柯は柯潔の柯……!

収拾がつかないのでさっさと仕分けられてしまえ、とおもいます。

 

きょうはリハだった。

いつもの店、しかし、気がつけば、ふつうのリハスタだったその場所はいつのまにか「一八番(おはこ)」という名前のライブハウス(スタジオ兼用)と化していた。おおお、17連勝のあとに18とはこれまた。

セッティング中の村島洋一に話しかける。

「なあなあ、おれやったらこれ”一八番”やのうて”一八香”って書いて”おはこ”って訓ませるわ」

「どういうこと?」

「”香”でもなんとか”こ”って主張できるやろ。そんで、一八に香車が上がってるってことは穴熊や。この穴倉っぽい広さにめっちゃ合うてるやん」

村島は最高の笑顔を浮かべた。

「(その話題、それ以上拡げんなや)」

わたしは、

「(……はい)」

胸のうちで素直に返事をした。

ヘボのこちらより彼は大駒2枚は強い。強さは正義。

ほんとうは、番だとなんとなく縦線が駒柱立ってそうで不吉だ、飛車みたいに割れそうだ、とか、ここに迎え入れるお客さんあなたたちはつまり王様なんですよ!とか、いろいろ言い募りたかったのだが、沈黙が金で雄弁は銀なら、そりゃ、金のほうがいいよね。なーんてな(かわいい)。

 

とくにオチのない話をつづけているのだけれど、気づいたらおれはなんとなくばつが悪かった。向井秀徳といえばいつぞやの福島でのフェス、旅人くん郁子ちゃんとのローリンローリン……ローリンヒル……そんなわけで本エントリのタイトルは逆算的に決まった。だからどうだってんだ。

 

自分から、締め切りを抱えた自分へ最後にツッコませていただきたい。

 

囲うより、書こう。