キクチミョンサ的

「なれのはて」ということばがよく似合う、ちいさなぼくのプライドだよ

ストライクス

スマホキクチは最近、「スクスト」というゲーム(アプリというのかしら?)をやっている。スクールストッキングではない。スクールガールストライカーズの略だ。2014年にサービス開始(なんだかいやらしいですね)とあるから、こういった一連のゲームのなかでは古参というか、ずいぶん長くつづいているほうだろう。それをなにをいまさら、とはおもっても口に出さないでくれまいか。

 

かつてRTでまわってきたツイートでどなたかが「所詮ブラウザゲームとかアプリとか、数年もすれば終了するんだから、それなら無課金で将棋指そうぜ」とおっしゃっていて、いや、ほんそれ、ほんそれ!と理性ではわかっているのだけれど、わたしの感性というか激情というかオッチョコチョイな部分は「一期は夢よ、ただ狂え」であり「遊びをせんとや生まれけむ」であって、まったくもって痛痒を感じないのだった。

 

スクストは、なんかようわからんけど、女子高生たちが異形の敵と戦うゲームである。そういった内容は生涯において「みよし」のラーメンくらい経験しているので、すでに店の前を通ってにおいを嗅いだ瞬間、精神的げっぷが出る。しかし同時になんとはなし懐かしい感覚を思い起こさせるのもたしかである。

 

とまれ、このスクスト、おもしろいのは、キャラクターがいわゆるガチャで得られるわけではないというところ。ガチャ対象はあくまで装備品(攻撃力やHPなど)であって、しかしそれが同時にヴィジュアル面においての装飾的意味合いも兼ねているから、あだやおろそかにはできない。キャラは自然に揃う。

キクチはそこらへん大家でないのでうまいこと説明できないが、そうとう鍛えの入った着せ替えゲームである。これ。

などとおもわず血道が上がってマジメに説明してしまったが、要するに最近ハマっている。うん。きっぱりと断言したおっさんかっこいい。ただし、いまのところ無課金である、とも申し添えておこう。それなりに、その枠内での話だ。競馬やパチスロ沼に沈んでいくひとたちとだいたいおなじことを言っていますね。わかります。

 

ただ、問題がある。

スクストには30人以上のキャラクター(ほぼ女子高生)が登場するのだけれど、びっくりするくらいアニメ、またはその筋の漫画耐性の希薄な自分とは縁遠い女の子たちばかりなのだ。

たとえばまずロリっ娘である。ツンデレである。ボクっ娘。委員長タイプ。双子のオッドアイ

見事なまでに類型化された(褒め言葉です)キャラ別のカタログが、これでもか!と並んでいる。

正直なところ、わたしはそこで「わーー!!きゃっわゆーい!!」とおもえない側の人間なので、若干引き気味に目をそらしながら彼女たちのレベル上げをしている。「隊長さーん?」なんて舌っ足らずの甘々にしゃべりかけられても、こころは解凍されない。ロリとかボクっ娘とか興味ないよ。だって、知らないよ、そういう世界の方程式。

 

そんなこころが癒されるのはいおたんとハヅキ姐さんだけなのだった。

だって、ふつうじゃん。(まだしもこのなかでは)ちょうふつうじゃん。そこらへんにいそうじゃん。

このふたりだけ、悪魔のようにレベルが上がっているのは、きっと、気のせいじゃない。

しかし、まさかあの、谷川俊太郎さんと何度も共演したり、詩の最優秀新人賞をとったり、メジャー(流通)デビューしたり、2000人規模のフェスでメインステージを張ったなんとかというひとが、暮夜、いおたんにナース服を着せてひとり撮影会をしていたり、ハヅキ姐さんに「おや…?今日はえらく積極的だねえ」なんていわせたりしているわけはないだろう。

ああん。

嘘だと言ってよジョー…。

 

そんなこんなで、わたしのスマホからは容量の関係で「日本将棋連盟モバイル」「将棋ウォーズ」「詰パラ」「ぴよ将棋」等が去って行った。

だって、更新できないんだもん。

なんたる不届きもの。将棋ファンの風上にも置けん。いずれ、キクチレベルの将棋ファンになってしまった、といわれてプッツンした誰かに灰皿投げられっぞ。だいじょうぶか。わたし。

とはいえこのあたりはSDカードさえ手に入れれば解決する話らしいので、それは次回を待て!である。

 

ただまあ、当たり前ではあるけれど、どれだけほうっておいても拗ねず、だらだらと話を聞く必要もなく、家も出ていかず、そういう女の子たちとヴァーチャルのなかででも過ごすのはわりと悪くない。

しかしその「悪くない」から怖い、とおもってしまうのが、世代なのかもしれませんね。あまりたましいを受け渡すとコールドターキーになりそうだ。

 

現世のスペアとしてはちょうどいい。

そんなところかもしれない。

 

 

  

すこし足りないな

半袖というのは、長袖に対する有徴の存在なのだろうか。あるいは長袖が半袖の延長線上の不完全なるものなのか。それでは七分袖は。タンクトップは。

またぞろよくわからないことを考えだしてしまった。初夏とはいえ、半袖ではすこし肌寒い夜ですね。キクチだ(えらそう)。

 

ここ最近のぼくだったらだいたい午前8時か9時まで遊んでるといえば岡村ちゃんなわけだが、もはやファミコンもディスコも現世にはないし、カルアミルクやバーボンソーダはあんまり性に合わないので、午前8時か9時までワインの沼でちゃぷちゃぷしている。

余話として、六本木は江戸時代そのあたりに「木」のつく大名家が六つあったから、とモノの本には書いてある。一柳とか片桐とかですね。そのなかの河内松原・丹南藩の高木(元子爵家)がわが母方にあたる。戦後の混乱のなか、大好きだった稀少な昆虫標本が空襲で焼けたり、残ったものも困窮のため売っ払わざるをえなかった絶望ののち、「自然と融解するんじゃあああ」というエキセントリックな遺書をおいて奥多摩山中へ消えた正得さんがキクチのひいじいちゃんである。

ちなみに、ひいじいちゃんには申し訳ないが、わたしは、虫がむり。ちょう無理。「苦虫を何百匹かまとめて噛みつぶした」的な表現をはじめてしたのはだれだろう。田中芳樹な気がするけれど、村上春樹かもしれない。あと、リアルに噛みつぶした瞬間、たぶん死ぬ。自然と融解できないんじゃあああ。

 

まったくもって、帯に短し襷に長し、という季節である。

梅雨入り前のゆううつ。梅雨に入ったらそれはそれでまたゆううつなのだけれど、だいたい気持ちが滅入る材料を探すのがわれながら上手すぎて笑ってしまう。

絶望は絶望のままにしておいてあげたほうがいい塩梅にしゅんでくるのだが、そもそもそれ以前にただの日常的な不安と踊っている。日常的な不安とは、そもそも半袖か、長袖か、半袖なら上に一枚羽織るものがあればいいのかしら、選べない。といったニュアンスである。しれっと季節のせいにしたけれど、わたしの本然こそ帯に長し襷に短し人間なのだ。あれっ、なんかおかしいぞ。

「笑えるうち笑え、いつかきっと泣くときがくる」と故・升田幸三先生はおっしゃったけれど、たどりきていまだサンジュウニ。錯覚いけないよく見るよろし。インスタントな感情でも大事にあつかってやればそれなりにいい味が出るものだ。

 

電話なんかやめてさ、どこで会おうか。

 

きょうは将棋仲間のべっぴんさんが東下し、聖地・将棋会館へ行ってきたらしい。キクチは厚顔にも「扇子!おみやげに扇子!」とだけ連絡した。いったい彼女はなにを買ってきてくれるのか。元来プロの先生の好き嫌いがない(ように努めている)ので、もちろんどの揮毫でもうれしいのにはちがいないが、ちょっとそのセレクトがたのしみだったりする。選べないがゆえの昂揚もある。

 

半袖はやっぱり寒いな、とおもって、なにか羽織るまえに、でも、パソコンがあったかいからいいか、とおもいなおした。

そういえば、きみの隣はすごくあたたかかったな。細くて薄い身体のひとだったな。

女の子ってか弱いもんね、だから庇ってあげなきゃだめだよできるだけ、だけどぜんぜんきみにとってそんな男になれずじまいでごめんなさい、と口をついて、それが誰に対してのものか、わからなくなる、午前4時のあとさき。

 

すこし足りないな。

袖の長さも、アルコールも。

待っていなくとも、そろそろ夜は明ける。

 

 

 

TOKYO SKYWALKER

たましいが、なにかぼんやりしているので、外へ出てみたら寒かった。

寒いといっても最低気温15度やぞキクチ、そういえば、つい2ヶ月前なら15度もあれば「わー、あったかーい!」と喜んでいたものだ。ことほどさようにわたしは相対的にできている。逆にテンションが上がって半袖のまま「わー、さむーい!」といいながらコンビニへ走った。

 

5月31日。東京。

どうしたことか、窪塚洋介さんと会った。2時間ちょっとおしゃべりをして、ワインをのんだ。なんとなく、お会いするまえから、自分の目盛りでははかれないひとのようにおもっていたけれど、想像していた以上にやわらかな余白だった。語彙の崩壊したわたしは脳内で「マジヤベエ」と56回くらいつぶやきながら、実際は一緒にフリースタイルをしたり、わりといつものキクチであった。

話の流れで、窪塚さんが千利休のことを「ちょりくんのじいちゃん」と何度もおっしゃるので、その都度リアルじいちゃん(存命中)と混同しかけつつ、ああ、でも、これリアルじいちゃんに置き換えてもだいたい合ってる、じいちゃんすげえ、などとおもった。これは余談。

とてもおおきな茫漠。掴まないと感触のつたわらない背骨。明るい深海魚。しいてなにかことばを弄するなら、そんなひとだな、とおもった。たいそうたのしかった。

 

辞してからは電車を乗り継ぎ、ひとり渋谷ふらふら道中。TOKYO TRIBEかよ。

行きたかったラーメン屋の場所がすっかりわからなくなり、泊まるつもりのネットカフェの影もかたちも見当たらず。せっかくスマホにしたのだから調べなさい、とはいうものの、あんまりそういう気分でもなく、行ったり来たり。井の頭、宇田川町、文化村、道玄坂、松濤。

むかし「TOKYO SKYWALKER」という詩を書いた。9.11の直後くらいだったとおもう。渋谷で風俗を探して2時間くらい歩いた、みたいなセンテンスがあるのだが、そのときほんとうは風俗など探していなかった。ただ迷っただけで、それでもいまではなんとなくそんな記憶に上塗りされている。ぼくらは地に足がつかないから、どこへでもゆける。

ぼくらって、なんだっけ。

結局、目についたネットカフェに入る。朝まで「嘘喰い」プロトポロス編を読んで、ああやっぱり夜行さんは柳沢教授にしかみえぬ…などとおもうわが感性やいかに。小雨に濡れながら、6時過ぎの新幹線で帰洛。

 

棋聖戦の対局開始にどうやら間に合う。

そこからは一瞬だった。田村先生の解説にはもれなく定期的な呼吸音が挿入されるので、農耕民族たるキクチはそのリズムでどんどんねむたくなる。とある将棋ファンの姉さん(ダンサー)が「寝るまえに田村先生の動画を観る」とおっしゃっていたが、ちょうわかる。それ。そんなわけでワインをのみつつ、定期的にねむり、定期的に起き、またワインをのみ、以下同文。繰り返すは嘘と罪悪感。

 

結果は個人的にせつないものだったので、なにかトチ狂った頭で「棋聖戦残念会」をひらいた。ひらいた、たってひとりである。

6月1日から2日にかけて、ワインを5本のんだ。逆にいえば、その程度ですんだ。だってまだ第1局だもの。

しんちゃんは、もとい、斎藤先生は、おうちへ帰って味噌汁をつくったりしたんだろうか。それとも、ワイングラスを積み上げたんだろうか。

すくなくともキクチの部屋にはワインがボウリングのピンのように並んだ。スカさんならストライクを取ってくれるだろう。

 

 

6月3日。

いまもどこかしら、ふわふわしている。

コンビニで納豆とネギを買った。電気代を払った。

生活めいたものはそれなりにつづいてゆくのだ。跳ぶんだろ兄弟?

ルーク・スカイウォーカーのTシャツが抱くひとはここにいないけれど、ぼくは。

地に足がついてないからどこへだっていける。まだまだ、いける。

 

 

 

忘れたころにかえってくるよ

腕を切らなくするのが

ずいぶんとうまくなった

彼女の

シャンプーの

においの横でねむる

ひっかき傷がふさがるくらいのあいだ

夜と朝を交換した気分で

うすい耳たぶを噛んだ

おもったよりしょっぱかった

懐かしい、以外どこかへ出かけていって

戸惑ってしまう

ぼくはまだ知らないけど

かなしみも苦しみも

忘れたころにかえってくるよ

 

朝食のかわりにすこしだけ長いキスをする

 

 

あなたの住む街は

あんまりきれいだから

嘘や勘違いでできているとわかる

さわってみなくても、わかる

かさぶたのように乾いて

何気ない顔で濡れている

はなしのつづきはほどほどにして

裸のまま踊りたい

 

 

ぬるいコーヒーを淹れて

天気予報をぼんやり追っていた

きのう外れた明日の雨も

遠くへいったあの季節も

ぼくがまだ知らないだけの

かなしみや苦しみも

忘れたころにかえってくるよ

 

 

 

she

さみしい、のかたちに

折り重なって死んでゆく

ひとりごとのなかに

わたしと似た顔をみつけた

 

タイムラインの流れにそって

点々と血が湾曲している

スワイプ、画面越しの愛撫

暗がりでしか光らない祈りもある

 

そのうち屍が増えすぎて

さみしい、はずいぶん崩れてしまった

読み取れないこともない

日焼けした余白に

そっと息を吐く

殺し合いのようなセックスがしたい

 

 

   

独特の孤独

でろでろである。バック・トゥ・ザ・フューネラル。

ステータスのほとんどは墓石流死間飛車に振っておりますキクチです、こんばんは。盤上のストロベリー・フィールズ。誰だポーン埋めたの。ちがったポールだ。

 

どれくらいでろでろかというと、という話を、現実にでろでろの人間が説明してもあんまり意味がないようにおもうのだけれど、物理的にワイン2本空けている。ん?物理的?物理以外にそれをなんか忖度せざるをえない態度を読者諸賢に強要すんの?とひとり自己批判したりした。金左上がる。さておき。もしかしたらビールも最初にのんだかもしれないなあ、とおもいながら、いま、ビールをのんでいる。

 

初夏のにおいがすきで、なんとなく初夏もぼくのことをすきなような気がしている。いいんだ。カン違いはそれなりにうつくしくありさえすれば映える。あとは抱き合うだけ。

 

そんなふうにしてコンビニへ出かけた。

とくに用事はなかった。

補充しとくなら、たばこもワインもほしいな、という状態ではあったけれど、べつに明日起きてからのLIFE(スーパー)でいいのだもの。

 

帰り道のために、アサヒスーパードライを1本。

コンビニ前の喫煙所ではその内容から長いこと話し込んでいるであろう若い男の子と女の子がいた。あれはしらふか、ずっと前にお酒が抜けたか、ともあれ、そんな按配だろうなあ。道路をはさんだ向こう側、鴨川からはときおり大学生らしき集団の嬌声が風にのって流れてくる。

 

午前4時。

街は、しずかに動いていた。

どくどく。どく、どく。

 

恋がしたい、とはおもわないが、恋をしているひとの風景をひさかたぶりに注視したいなあ、なんてある意味罰当たりなことを考えているうち家に着く。

 

やるべきことはたくさんあるのだけれど、まあ、急ぐ旅じゃなし、お酒でものみましょうよ、と、でろでろの自分に甘えて新しいワインを開ける。

目を閉じていれば人生はたやすい。ってポールがいってた。ジョンか。そうか。

 

鏡を見て。

むかしの恋人より髪が伸びていることに気づく。

 

 

  

今夜のぶんだけワインを買って

今夜のぶんだけワインを買って

うちへ帰りたい

きみに仮借した表現でいえば

69本は余裕があるけど

そういうことじゃない

 

点滅する光の端と端をぐっと握って

無理やりむすんでしまえるような

最後の合言葉

ほんとうに聞こえなかった

王様は星座をつくり

ぼくは地上で酔いつぶれる

 

今夜のぶんだけワインを買って

うちに帰りたい

うっかり

回収日をまちがえて

ゴミに出した

気持ちみたいな澱が増えた

 

あしたの朝

うっかり

となりでねむっていたら

手をつないでいようね

ちがう血と血の輪郭がすこし

馴染むように

 

王様の星座は消えて

ぼくは地上で酔いつぶれている