キクチミョンサ的

「なれのはて」ということばがよく似合う、ちいさなぼくのプライドだよ

ずれている

トンネルを抜ければそこは雪国かもしれないが、エントランスの外はただの川端通であるからして、天気予報の間隙をぬって傘をもたず家を出た。

はずなのに、てきめんにふられた。

「秋雨じゃ、濡れてまいろう」とひとりごちたら、「よっ!好色五人男!」とでも大向こうから声のかかりそうな按配。つまりずれている。ぼくはたいてい、誤字か脱字か落丁か、絶妙に判じえない程度の行間をふわふわ生きている。だいいち、

 

「生きててよかった、生きててよかった、生きててよかった、そんな夜を探してる」とフラカンのごとく歌えればいいが、あいにく運転免許とはとんとご縁がないもので深夜高速に乗っかることはできぬ。そもそも、筋金入りのアル中であるからして、ちょっとでもそんな考えを起こしたならばそれはすなわち犯罪である。また「消してリライトして」アジカンを気取ってみたところで、YeYe。いや、拒絶しているんじゃない。おじいちゃんなのだ。全身全霊とか超幻想までも。嗚呼、生きていること以上の罪があるものか、などと慨嘆調に沈んでみても、浮かぶ瀬があるわけでなし。

しかしながら寛平ちゃんいわく「わしゃ止まったら死ぬんじゃ」は一面の真理をついてもいて、チョリだかチャーリーだかそんなひとが泥酔酩酊二日酔いの挙句、乾坤一擲の返り咲き、なんてこともあるから世はおもしろうてやがてかなしき。とはいえ文豪もコメディアンもガスには気をつけるよろし。などとブラックジョークにてごめんくさい。

 

読者諸賢にはとっくにお察しのこととおもうが、なんとはなしにはじめないかぎり、なんとなく続けることもできぬため、いささか時期を逸した感はなきにしもあらずながら、性懲りもなくまた断簡零墨のラブ・パレードとあいなった(注:ブログをつくっては飽きる。元旦が半年つづく世界における雑煮くらい飽きる)。ともあれ川端・今のエピソードを引くまでもなく、MY HOUSE IS YOUR HOUSE,YOUR HOUSE IS MINE精神である。筆者は「ペダンチックあげるよ」とか、「そうさ今こそスカベンジャー」などとうっかり口にしては洛陽の紙価を暴落させるたちの、また、そういった世代の人間である。どんなおっさんかとおもいきや、31歳のイケメンなのでその点はご海容願いたい。

 

それじゃまあ、そういうことで。

このめんどくさい文体が一生つづくわけではありませんのでご安心ください。

とはいえこれが、「キクチミョンサ的」