読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

キクチミョンサ的

「なれのはて」ということばがよく似合う、ちいさなぼくのプライドだよ

しけるいかばね

気がついたら、床で寝ていた。

びっくりした。

ユカと寝ていたわけではない。念のため。ユカって誰だ。

「運転上手は床上手」ということばがある。女性の腰回りあるいはその肉を「ラブ・ハンドル」とする表現もあるので、そこから来ているのかとおもったがどうだろう。ユカ、知ってる?…こたえがない、ただのもうそうのようだ。そもそもぼくには免許がない。車どころか女の子ひとり満足にエスコートできやしない。

 

話は突然in-outする。青いの戻れー!ちがったオレンジのだ。なんせ感性というのは先崎先生いわくの「カードの持ち札」であると同時にぼんやりと時計仕掛けなので。ある、ということは、ないのではない、とは別の概念であるのだよふはは。なぞとうそぶいているわりに存在と時間が構築できていないわけでありましていやあこれは口の中でなんといいますか自責の念がふわっと花開くような…認識の甘さを現実の苦さがこう、カバーして…勇気戻れー!!あと糸谷先生は早くきてください。むしろ。ぼくは知性の持ち駒が足りない。

 

床、といって、万が一「風邪をひいているうえ、こんな季節の変わり目に冷たいフローリングで寝ちゃったミョンサくんかわいそう…」などと心配してくださった全国200人のファンには恐縮だが、ぼくんちは畳である。正確には仕事部屋が畳で、寝室とよくわからない部屋がフローリングである。なぜ3DKに住んでいるのか?それはですね、こうみえてむかしは稼いでいたんですよふはは。なぞと笑っているうちに、あれ、涙が。誤解なきよう。当時一緒に暮らしていたのはユカではなく…おや、誰かきたようだ。

 

なるべく風呂敷よりは話をちゃんと畳んでしまいたいのだが、かつて、わかぎゑふさん(リリパットアーミー主宰)のカンパニーの舞台「畳―TATAMU―」に出演した。乱暴にまとめると、「すこし不思議」なたぐいの近未来SFものである。登場人物はごく簡単なレベルの単語でしか会話ができない。「おれ、めし、くう」といったような。ぼくはそのお芝居のなかで「ふつうの日本語をしゃべる見えないひと」つまり第四の壁を破る存在として、狂言回し、というよりはむしろ司会者のような役柄を得た。

依頼そのものを受けたのがまさに狂言の会の打ち上げの席であり、かつ「おれ、さけ、のむ、おれ、はなし、きく、おれ、にく、くう」状態(焼肉屋)だったので軽い気持ちではあったのだが(そのときは、ですよ)さすがわかぎゑふ、お芝居は大阪で幕を開け、東京でも演じ、さらには沖縄の演劇祭にまで参加した。

その数ヶ月間、ぼくはときどき考えていた。

 

ことばとはなにか。

 

そんな、たとい詩人でなくとも、いままで何千何万回と自問したであろう青くさい命題を、いまさら好きこのんでもてあそぶつもりは毛頭なかった。頭に毛がない、それすなわち不毛である。誰もが通った道ならばなおさら、ぺんぺん草すら生えないのに。

そうやって考えていた秋の夜、ぼくは酒にのまれて踏み外したバーの階段を13段落ちた。中島らもの顔が浮かんだ。死刑囚とは逆に、われわれは落ちてゆくのだな、とぼんやりおもった。強打したはずの頭はスキャンをとっても問題なく、かわりになぜか尾てい骨が折れていた。救急搬送された病院から戻って、おなじ店で早朝までのんだ。

 

ことばとはなにか、と問うことは、自分とはなにか、と問うこととおなじだ、と、そのときはわからなかったけれど、いまならすこしだけ答えらしきことがいえる。

傾蓋故きことひとかたならず、といったかんじだ。

 

退屈には三通りある、とハイデガーは喝破した。

どうやらぼくはそのすべての種類と闘うために生きているようだ。

われながら、わるくない発想だとおもうのだけれど、ねえ、ユカ、どうおもう?

 

へんじがない。

ただのはっそうのようだ。