キクチミョンサ的

「なれのはて」ということばがよく似合う、ちいさなぼくのプライドだよ

羊の木

金曜の夜。

夢日記を書き終えてぼんやり焼酎をなめていると、お客のみなみちゃんより「橋村さんの取り置きにキクチさんの名前ありますけど来ないんですか」というメール。ああああ。うかつである。橋村恭平は「京都人の”行けたら行く”は”行かない”」という民族性をいまだ知らぬ純朴な土佐の男だった。ぼくはなんだか、はりまや橋でかんざしを買うたところをしっかり見られてしまった坊さんのような気恥しさをおぼえ、「1時間はかかるけど行く」と返信。風呂に入り、光速のドライヤーで髪を乾かし、生乾きのままでタクシーに飛び乗る。40分後にライブハウス着。こういうのは宣言より早くゆくのがよい、という、これもまた京都人特有のみみっちい矜持である。

 

舞台ではアパート(原田和樹)が演奏中。はじめての店だったのだが、店長は知り合いだった。さすがに音楽をこれだけやっていると、百万都市レベルではほとんどどこへ行っても知り合いのひとりふたり働いているので悪いことができませんの法則、をあらためて実感。おとなしくビールをのむ。

転換になると、出演者もお客さんもわらわらと集まってきて「わあ!幽霊だ!」という顔で迎え入れてくれた。たしかに、生気のない死人より活きのいい幽霊のほうがいい。かわはらだゆうま「ぼくのライブとっくに終わっちゃいましたよー」とニコニコしながら笑う。尾上陽「ちょりさん…ちょりさん…ちょりさん…」と3回繰り返して絶句(※キクチはかつてchoriという名前で活動をしていたのです)。愛いやつめ。橋村はよろこび庭かけめぐり、原田は「ちょりさんがステージから見えたんで緊張しました」と言いつつも飄々。お前それ絶対お世辞だろ。

トリを尾上が締めて、打ち上げに混ぜてもらう、というより、打ち上げに混ざるつもりが七割だったので、齢をとるというのは厚顔なものですね。

メンバーは、出演者4人と、ツバクラメのサポート勢(浅井元、あっちゃん、ゴタンダクニオことみなみちゃん)、そしてキクチ。大宮のお好み焼き屋で350円のメガハイボールをのむ。薄い。けれど、人間が濃いからよいのだ。打ち上げとはただ酒をのむ場ではなく、人間を味わいつつ(と書くとなにかヒワイだなあ)酒をのむ場なのである。

彼らはおおよそ23~27歳くらいで、もちろんぼくがひとり年上なのだけれど、いちばんつきあいの短いやつでも3年ほど、長いのは10年近くなったかあ、としみじみ羽化登仙した。

 

タクシーで2人ほど送り、ぼくはまたいつものバーへゆく。やはり仕舞いまでのんで、バーテンの友人(村島洋一という)とその後輩と、やはりまた焼肉屋へ。

これで2週間弱で6回目のアフター(と書くとやはりヒワイだなあ)。いささか指しすぎな感は否めないが、音楽人界隈ではほぼ1年間引きこもっていた反動と好意的に解釈してくれることを祈りつつ、でももしちょびっとうっとうしがられていたらどうしよう、と心中ひそかにおののきつつ、ビールと焼酎をあおる。気がついたらお金が足りず、村島に借りる。ごめん。

 

午前9時前の京阪にのって、彼は南へ、ぼくは北へ。

ぞんぶんに活きたり死んだりしよう、とおもった。

そうおもいつつ、土曜はずっと死んでいた。十二指腸潰瘍がひさびさにぎりぎりのセンまで復活の予感。でもギリギリじゃないとぼくダメなんだよ。入院時にもらった薬はあるけれど、薬ならあるけれど。

 

いがらしみきお「羊の木」を読む。

登場する元受刑者たちが、どうにもこうにも、自分とかぶってしまって、まいった。