読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

キクチミョンサ的

「なれのはて」ということばがよく似合う、ちいさなぼくのプライドだよ

将棋雑話

ながらく将棋の家元であった大橋宗家(なんと宗桂から三代のお墓は偶然にもぼくの実家の向かいのお寺にある!)は信長、秀吉と庇護を受け、江戸時代に家康によって将棋所に任ぜられた(ここらへんは本因坊とのあれこれもあって厳密に説明するとめんどくさいので、とりあえずそういうことにしておく)。

徳川家の歴代将軍のなかでもっとも将棋の上手だったのは家治で棋譜も残っており、おおよそ現在のアマ高段者クラスだといわれているが、いっぽう下手の横好きだったのは家光。当時の感覚ではほぼ祖父に等しい年齢の伊達政宗を召し出しては将棋を指す。しかし、政宗、上手い。家光、下手っぴい。それでも「余は生まれながらにしての将軍」であるから、しょっちゅう「待った」をかける。

あるとき、ついに政宗、堪忍袋の緒が切れたか「次に待ったをされたなら(江戸城の)後ろから攻め入りますぞ」。これにはすこし解説が必要なのだが、うつくしい話として扱うならば、若い将軍の自儘を諌めつつ、江戸城の築城上での弱点をほのめかし教えたというようなこと。しかしいまのぼくには「マサ×ミツ」であった。枯れ専萌えー。なにをゆっているのだキクチは。

 

というのも、最近、木尾士目げんしけん」という漫画をがさーっと20巻読んだ。”現”代”視”覚文化”研”究会、すなわち「げんしけん」。語弊をおそれず概略を述べるなら、オタサーの話である。もうちょっと踏み込むと、2000年ごろ~それ以降の「オタク」と「非オタク」の距離感のなかにおけるもやもやした恋だの愛だの青春だののビルドゥングス・ロマン、だ。ん?ロマン…かな…。

そこで、中学生時代の黒れき…いやいや漫画研究部の思い出がぶわっとな。そう、ぶわっとな。まさにあれは2000年にちょっと足りないくらいの、そんな時分であったことよ。この件についてはいずれまた語ることもあろうて。ふぇっふぇっふぇっ。

 

閑話休題

将棋雑話をもうすこし。

 

「将棋は数学だが、その先へいくとリズムになる」と喝破したのは内藤国雄九段。そのうえで「ぼくは四分の三拍子や。それに乗せたらしめたものだ」。「(対局中にしゃべるのは)そのときの調子の物語、リズムだ」とはヒゲの先生(升田幸三)。このあたりは中平邦彦観戦記者著作に拠る。

まったく別口では花村元司九段、弟子の深浦康市少年に「得意科目はなんじゃね」。少年、嘘をつけず「音楽です」。しょんない先生のたもうていわく「そうか、将棋はリズム感が大切だからな」。

旧くは浪曲や謡、そしてクラシック、いまではアニソンやJ-POPまで棋士の好みは幅広いが、中終盤で一心不乱に読みを入れているときのリズムはそれぞれまったくちがう。二拍子、四拍子、八分の六拍子…。なかでも三連符だったり、ハネたり、裏打ちだったり…まったくもって第三者からするとことほどさように対局姿というものは興味ぶかい。もっとも、内藤先生や有吉先生の世代までは、その韻律を、躍動感をぐっと裡に秘めて、獲物を狙う水上のゴイサギのごとく泰然自若とされている棋士も多かったようにおもうけれど。

 

「すきな駒」というアンケートはどうやらぼくの知る範囲で半世紀近く前からあったようだ。わかりやすいのは「大山=金」「升田=角」「丸田=歩」「大野=飛」。どこをどう切ってもそれ以外の回答が想像しづらい。逆にいえば、それだけ棋風というものが厳然として屹立している。なお「二上=銀」は弟子である羽生三冠とおなじで、おもわず、くすっ、となるのだが、「内藤=桂」、これも大甥弟子(でいいのかしらん)の斎藤六段と一緒で、しかし一方は空中戦法、かたや甥は真逆の持久戦好み正統派居飛車。こういうのもなんだかフルエるではありませんか。なお若かりし日の「中原=歩、桂、角」。こういう答え方、あくまで自然流である。

 

いましばらく余話をつづけたいが、王位戦最終局とあいなった。

尽きることのない紙幅を、ひとまず尽きたことにして、中継を見るとしよう。

またいずれ語ることもあろうて。ふぇっふぇっふぇっ。

ドロンパ