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キクチミョンサ的

「なれのはて」ということばがよく似合う、ちいさなぼくのプライドだよ

たまに笑ってみたり

まったくもって笑いごとではないのだけれど、22日またも病院のお世話になってしまった。読者諸兄におかれましては「まーたキクチのバカオロカ伝説のご開陳がはじまったなァ」などとおもわず、「あーブログのネタがないのね」とご理解をいただければさいわいである。

 

21日のぼくはそれはそれは気持ちよくのんでいた。昼前から焼酎をごくごくしながら「黒ウィズ」というクイズゲームに没頭していたのだ。ひまなのか。うん、ひまだったのだ。なにが悪いって、ひまがわるい。このキクチをひまにしておくような社会の責任といえよう。…すみませんチョケました。しかし希望的観測ながら、これは方言ゆえほとんどのひとには通じず、したがって「キクチじゃなくて社会が悪い」と信じつづけてください。おねがいだから。

 

夜になって、twitterをひらくと某バーの店員がなんと数時間後に誕生日をむかえるというではないか。めでたいめでたい。そしてケータイをみれば美女Cちゃん(仮名)から「どっかでのんではります?」とのメールが。おお、よきかなよきかな。さらにはズッ友のM(あえて仮名)もどうやら某バーに出勤していそうな気配がする。キクチは純粋培養のバカオロカなのでなけなしの万札をひっつかんでタクシーに飛び乗ったのだった。

 

以降はおそらく容易にご想像いただけるような按配である。

痛飲し、通院。

やめておけキクチ。さすがにそれは40歳をすぎてからしか言ってはいけないたぐいのギャグだ。

 

こけた。とにかくものすごい勢いで、ものすごくなんにもない道で、ものすごく意味もなくこけた。後頭部をやったのはちょうど2年前にもあったとはいえ、そのときは階段を下まで落ちたわけで、ある程度セーフ(なにがだ)であった。まさか自分がものすごい勢いで、ものすごくなんにもない道で、ものすごく意味もなくこけるだなんて、そして病院に運ばれるだなんて、ゆめにもおもっていなかった。当たり前か。

援けてくれたMとNには足をむけてねむれない。起きているときでも南西の方角にはいつも掌をあわせています。なんのこっちゃ。

 

ともあれ、CTスキャンの結果「まあ大丈夫だとおもうんですがいちおうこういう症状が出てくるようでしたらまたご来院くださいねー」と立て板に水調でいわれ「ハハーッ」と平伏した。

まさかその半日後にそういう症状が出て、いや、そういう症状というのは嘔吐としびれなんだけども、嘔吐(けっして二日酔いとかのあれではない)自体はそも上部消化管やら十二指腸を痛めつけすぎているぼくのことなので日常茶飯事につき、さほど気にはしなかったが、コンボで突然全身のしびれが起こったときにテンパってしまった。なにしろ、動けないのだ。ケータイに119を打ち込むのに30秒くらいかかり、電話口で症状を説明するときも舌がまわらない。舌というか、顔全体がけいれんしているようなかんじ。

乗ったことは何度かあれど、うまれてはじめて、これは自宅に救急車を呼ばざるをえない、とおもった。

 

かくて2時間ほどが経った。

 

平身低頭したいことに、再度のCTスキャンおよびもろもろの検査の結果、「とくに異状なし」であった。どうも過呼吸は起こしていたようだけれど、脳自体には新たな血腫や出血などなし。因果関係不明。消えてしまいたい、と、担当してくれたべっぴんさんのナカムラさんに謝らねばいかん。2回分の費用約8000円を払い、キクチは塩をかけられたなめくじのようにタクシーに乗ってしおしおと帰宅したのであった。

しかし、これほど病院嫌い(これだけ運ばれていると説得力がないなァ…)のぼくをしてなお「あ、これ、死ぬのかも」とおもわせたしびれはいったいなんだったのだろう。「おまえ、死ぬぞ」「でもまだ藤井新四段の順位戦みるまで死にたくないだろ」「もうちょっと身体をいとえ」という将棋ファンの神さまからのシグナルだったりするのかしら。などと都合のよいことを考えながらまだ生きている。

 

できうるなら空気のように生きていたいのだけれど、うしろまえ公園のような人生である。