天使なんかじゃない
十二指腸か胃かわからないけれども、内臓のスクランブル交差点において、たいへんに鈍痛が盛り上がっている。祭り?ハロウィンパーティ?あらまあ、かわいいー!(ぶりっ子)
ともあれ、ここ2日ちょっと、これはもうどちらかというと一揆ではなくって、本能寺の変直後の河尻秀隆みたいな状況に近いのではないか、というような気がしないでもない。いやそれ、すぐ死ぬじゃん。殺られるじゃん。痛くて起きても寝てもいられないので、酒をのむ。どうせ痛い。どっちにしても痛い。でもどうせなら飲んでて痛いほうがましである。岡部正綱のようなテンションでお送りしています。
あんまりちゃんと調べてないのでこの点に関しては話半分で聞いていただきたいのだが、河尻没落の決め手は徳川からの使いに疑心暗鬼を抱き(いや、それは結果論として正しいような感もあるが)手厚くもてなす体をしつつヤッチマッタ、というのが大きいらしい。そのヤラレチマッタひとり(正使だったか副使だったかは失念)本多百助は苗字からも察せられるとおり徳川譜代の家来であって、彼にはちょっとしたエピソードがある。
百助に男子が生まれたとき、その子は兎口(みつくち=サッカー選手のロナウジーニョをイメージするよろし)だった。いろんな種類があるのだが、ざっくりいえば口唇口蓋裂となる。しかし、ほんとかどうかはわからないが、武田家の名将・山県昌景もおなじく兎口だったがゆえ、武田びいきの権現さま(家康)いわく「彼にちなんで名をつけよ」そしてなぜか「本多山県」という名前になった…という。ほんまかいな。山県、それ苗字…あと…もともと飯富さんとこからの養子…。
とはいえ、戦国時代に兎口と伝わる武将は多い。福島(正則)家の家老にもいた(問題は、新興である福島家は血縁か、あるいはそうじゃなくても近しいひとに福島の姓を与えているため、家老のほとんどが「福島なんとか」で、どのひとだったかしら、状態)し、今ちょっとぱっと出てこないからまったく説得力がないのだけれど、なんだかんだ多い。あ、あれだ。宇喜多家のわりと上位のポジにもいたはず。
いやあ、河尻・岡部というよくわからない地点からはじまって、なぜか甲信越・東海をなぞってそして着地点がないきょうのブログでした。
ええ、胃だか十二指腸だかもうよくわかんないけど痛いんだ…。
「生存報告でいいじゃねえか」
と、こないだ真田丸でナレ死された清正パイセンが言うてる気がするので、したらば、また!