独と隣
素直になれない。
と、のうのうと書いてしまうあたり、じつは意外と素直なのか、一周半くらいして帰りたいのか、われながらよく解せぬ18歳と164ヶ月である。おまわりさーん!ここにへんなひとがいます!
どうも自分のスタンスは「MUGO・ん…色っぽい」らしく、それがためにずいぶんと齟齬を生んできてしまった。あくまで対話は「目と目で通じあ」ったあとのダメ押しであり、コンセンサスの確認作業でしかない。そして色っぽい、はこの際あんまり関係がない。というかぜんぜん関係ない。なお経歴詐称を疑われる可能性があるので、キクチのささやかなる名誉のために付け加えると、この曲発売時、3歳である。
わかりやすくいえば、ぼくのこころは「だれかのしあわせや不幸」そのものにはさして響かないが、「だれかのしあわせを喜ぶひと」や「だれかの不幸に悲しむひと」に弱い。いったいなんだというのだ。これがいわゆる中二病なのか。だとしたら14歳と21(以下略)。
これにはおそらく、自分の育ってきた環境が大きく作用している。夏もセロリも好きだけれど(いったいどこのどいつだというのだ)(「ドイツ村」「二度目ー!!」)(わかりづらいネタ出しだなあ)。
出自についてはなんとなくこれまでのあれやこれとか、twitter等をご参照いただければわかるとおもうのでまあ気楽に読んでください。いい馬の骨です。
で、素直になれない。二度目ー!もう一回あるよ。
すこしばかりまじめに、かつ簡潔に書くと、小さいころからとことん大人社会で育ってきたのですね。それも「親の友だちがよく家に遊びにきた」とかそういうことではなく、親ほど、なんなら祖父ほどの年齢のひとたちに(揶揄的な言い方かもしれないが)崇め奉られ…は過言だな、しかしそれに近いような立場で日々を送っていた。
当然、「社会」というものは就学前の子どもごころにも見えてくるわけ。ごくごく狭い範囲で(たとえばそれが町工場の十数人の従業員と、お得意先などあわせてせいぜい数十人くらいの常連さん)の世界ならばまた性質はちがったかもしれない。ただ、賀すべきか弔すべきか、わが実家は規模としても社会的地位としても大きすぎた。
その後継者として目され、またそうなるべく遇され、教育されるうえで、ぼくははやばや道を間違えてしまう。
たとえば「テストでいい点をとること」を目指すのではなく、「テストで赤点をとってもなるべく怒られないやりかた」に重点をおくようになる。「怒られないために自分のここを改善する」よりも「次におなじ轍を踏んだとき、比較的軽傷で済ますためにはどうするか」に興味をおぼえる。
親や周囲の大人への対症療法の専門家、といえばかっこよろしすぎるが、しかし内実そうであったのだから、誇張はともかく、否定や言い訳はできない。
つまりは、怒られないよう、叱られないよう、なるべく評価の下がらないよう、自己を運営することにばかり注力してしまった。小学校低学年のころから。
とりあえず瑕瑾がなければ問題ではない、という伝統文化の家だったことを逃げ道にしてはいけないが、これが芸能やお商売屋さんの話であれば、万事ソツがない子より、多少のクセは見受けられても才気感ずる人間が(時期にもよるだろうが、一般には)重宝されるはずだ。芸事の上手下手や商いの能力は個々のものであるし、逆に伝統文化というものはなにより「血」と序列を重んずる。そこに道や流派の存在意義を見出すからである。
だから、といってはさすがに環境に責任を押しつけすぎだろうけれど、ともあれ、そんなふうに陶冶されたキクチの人格はやはりさんじゅ…あ、ええと、18年と何ヶ月歳を過ぎても変わらなかった。幼少期はまだしも、ことこれに関してはひとえにわが不徳のなすところである。
ぼくはバンド時代、よくメンバーを叱った。演奏面ではおそらく一度もない。
いわく、「楽屋に誰もいないからといって寝たり荷物を広げるな(あとからきた対バンが遠慮して出ていってしまうかもしれない)」「物販やらないなら物販席で椅子に座るな(たいていひとバンドあたり一脚なので、対バンの誰かが弾きだされることになる)」「お客さんの前でおれをからかったりするな(メンバーに軽んじられているフロントマンという印象がつきかねない)」等々。
今おもいだすと「うわあ、キクチ、ゴミだ」と感じる。別にどうでもいいじゃん、とすら、おもう。しかし、ぼくは必死だった。自分たち(ひいては自分)がどう見られているかがいちばん大事で、それ以外はそこまでたいしたことじゃないようだった。そしてその内心を、そんなふうに考える理由を、ちゃんとメンバーに伝えてはいなかった。
演奏ならば「目と目で通じあ」えるのだけれど、日常は、生活は、習慣や各自の常識、価値観はそういうものじゃない、とまったく理解できていなかったのだ。
素直になりたい。
あれ?
「三度目ー!」がなかった。
仏の顔までもう一度くらい、予防線をはっているのだ。たぶん。
それでは、アウフ・ヴィーダーセーン!