キクチミョンサ的

「なれのはて」ということばがよく似合う、ちいさなぼくのプライドだよ

あたらしい世界じゃなくても(3)

11月19日、「聖の青春」を観た。

個人的な好みは措くとして、あだやおろそかにできない映画、という感想である。

そもそもキクチは映画通ではないし(DVDやネット上で年間30~40本程度、といったところ)特段自分のなかに体系立った”映画観”のような評価軸をももたない。すきか嫌いか、というそれのみだから。

それゆえか、また気持ち悪い将棋ファンだからか、「田中章道」「田村壮介」「遠藤正和」といった役名の小ネタ(?)や、故・河口先生や故・真部先生の風貌に似た棋士(台詞もとくにない、端役的な扱いではある)をみつけてはキャッキャしていた。キャッキャってなんだ。32歳なめたらいかんぜよ。名人になったら土佐の中村に引っ込むから教えを乞いにきなさい。あ、ちがった、それ森違いでケイジ先生や。村山先生は名人になって早く引退したい、だった。ぼくは早くお星さまになりたい。死ぬとかうんぬんかんぬんではなくて。比喩として。叙情として。あるいは韜晦として。なるべくきれいで、弱々しい光のやつ。

 

京阪電車でゆっくり家に帰った。

大学生がたくさんいて、彼らの醸し出す、なまぐささ、みたいなものはきらいじゃない、とおもった。

それから夕方にかけて、酒をたくさんのんだ。気持ちよく酔っぱらって、ねむった。

 

翌日、夜中につらい話があった。ぼくはばかなので突然「風俗にいこう」とおもう。脈絡はない。脈絡などあってはいけない、とおもったので。午前5時前に木屋町について、小一時間を焼鳥屋のカウンターで捻りつぶした。ビールの味がしない。そもそもプレミアムモルツはきらいだ。ガラケーで日の出を調べてみたら6時32分だった。6時から開くじゃん、と、ちょっとばかし笑った。

 

敵娼は22歳というからきっともうすこし上かと邪推したら、どうもほんとうにそのようだった。ひょんなことで、ミュージシャンだと知る。共通の知人の話でなぜか盛り上がってしまう。午前6時の風俗店で、お互い裸で、関西の音楽業界の未来を話し合っているのがふしぎ。ふいに「ユキちゃん」という曲をおもいだす。ん?エミちゃんだったか?ぼくの記憶中枢はまったく働いてくれない。

帰宅。なんだかやりきれない気持ちになって、またしても酒をのむ。詩を一編。焼きそばを食べてぜんぶ吐く。歯磨きをする。そしてまた酒をのむ。なぜかタクシーを呼んでまた木屋町へ。二度目の風俗。今度の子は褒め上手だった。幸あれかし、とおもいつつ、もう自分で自分のことがよくわからない。自分という人間を理解できないことはそこそこあるけれど、自分の行動を言語化できないなんてそうとうひさしぶりだ。

 

そして気がついたらまた「聖の青春」を観ていた。

12時40分の回。

今度は、中盤、三段リーグ最終節の描写になるまえに、耐えきれなくなって席を立ってしまった。

 

いつも死んでしまいたいとおもっているし、狂いたいとおもっているのに、生きているし、すくなくとも狂っているとまでは判じえないし、なんとなく、手の届く安心ばかり買っているような気がしている。

 

これを書いているいまも、風俗によくある種類のボディソープのにおいがする。

ぼくはばかで、詩人で、アル中で、32歳だ。

それ以外のなにかしらはあまり必要としていない。

one of them、みたいな。

孤独だけがやけにやさしく響いてきやがるので、もうちょっとくらい、つきあって齢をとってやりたいとおもう。