キクチミョンサ的

「なれのはて」ということばがよく似合う、ちいさなぼくのプライドだよ

「せかいのせなか」

 気がついたら戦争はおわっていた。

 いや、ほんとうに戦争があったのかどうかはよくわからない。そもそも、それを戦争と呼ぶべきだったかどうかさえも。

 事件、できごと、トピック、ともかく、なにかたいへんなことが起こって、それがおもっていたよりもあっさり終わってしまったということだった。

 ぼくと朋子さんは大きな物語のしっぽをつかまえられなかったポストモダニストのように魂のぬけた顔をして、鴨川の土手にすわっていた。

 ちかごろの行政はみさかいなしに護岸工事をしてけしからん、と有名な作家がぷんぷん怒っていたような気がするけれど、ぼくにはいったいどこからどこまでが護岸工事なのか判断するだけの知識がたりないので、ともあれ午後のくもり空のしたで面持ちとはうらはらに機嫌よくすわっていた。手持ちぶさたではあったけれど。

 ぼくたちのあいだにはコンビニの袋に入ったまま汗をかいている缶ビールが何本かある。

 立秋からもう一ヶ月以上経ったというくせ、背中にあたるよわよわしい日差しはまだじゅうぶんに夏のにおいをとどめていて、ぼんやりなにかをおもいだすくらいの速さでビールはぬるくなってゆく。傷を負ったひとの身体からゆっくりと血がながれだしていって、死へと近づくということは案外こんなかんじのスピードなのかもしれない。

「おわったねえ」

 うっそりとした目つきで朋子さんがつぶやく。

「おわったよねえ」

 なにがおわったのかはっきりとはしないまま、おうむ返しにこたえた。

 三条大橋の手前、鴨川の支流にかかる石橋をわたってすぐの日なた。四条のほうも、御池のほうも、みわたすかぎりだれもいない。橋のしたをくぐってすこし北へぬければ、芝生がまだあおあおとしている。

「むかしはここにもたくさんひとがいたのにね」

 詠嘆調のにあわないひとが、どことなくしみじみというものだから、ぼくはすこしあわてて足を組みなおした。そのせいで、さっきからぼんやりしていた目や耳が、ほんのすこしずつ明確に色や音をとらえるようになってきた。

 朋子さんをみる。

 茶色いセミロングの髪がなかばかくしている、右の横顔がすきとおるように白い。ふわふわの髪の毛。どうしてだか、ひどくなつかしいひとに出会ったようなかんじがした。なにかがおわってしまったことと、ぼくたちがそのなかでおわれなかったことが、なにかかかわりあっているのだろうか。三日月みたいなかたちをした朋子さんの目は、遠くをみているとき、とても凛々しくひかる。

「ちょりくんはさ」

 遠くをみつめたままで朋子さんがいう。

「置いていかれるの、きらいでしょう」

 ぼくはちょっとだけ首をかしげて、また前をむいた。彼女のほうからみると、うなずいたようにおもえたかもしれない。

 ひと呼吸ののち、わたしもきらい、と、朋子さんはくっきり一語ずつ区切るように発音した。

「置いていかれちゃったねえ。ふたりとも」

 そういうと、笑い泣きしているような表情にみえる。ひかりの加減か、角度の問題かもしれないけれど。朋子さんは隠しごとが親にばれた小学生の女の子みたいに、ちいさく鼻を鳴らしながら眉根をきゅっと寄せた。

 姿はみえないくせ、どこからか鳥の声がきこえる。ひわ。ほおじろ。るりびたき。ごいさぎ。ぶっぽうそう。知っているかぎりの鳥の名前を頭のなかでつぶやいてみる。頭のてっぺんからはじまって、右耳、ほっぺた、あご、それからまたほっぺた、左耳、時計回りにぐるぐる、ぐるぐるするイメージ。そうするとこのねじれた球体がだれかの大きな手のひらでぺしゃんこに押しつぶされて、うすっぺらい円形に変わってゆく気がする。

「世界ってことばがきらいだった」

 ひざを抱えたひょうしに、ふっと、そんなことをいってしまった。

「どうして」

 朋子さんもおんなじようなかっこうをして、こっくりとこちらをむく。右をむく、というより、左下へしずみこむ、という角度で。

「だってさ、世界って、鏡にうつらないでしょう」

 影がじりじりとかたちを変えている。もっと話して、というように朋子さんがうなずく。

 ゆっくりと、ぼくは一行ずつ川へ流すような感覚で声にしてゆく。

「世界をことばのなかへおさめることはできるよ。でも、おさめてしまったその世界は世界にはちがいないんだけど、世界がそれだってわけじゃない。ほら、きれいな夜空とかみてさ、ああ、ここからここまで夜空だなあっておもったってさ、それってしょせん自分の目にうつるかぎりの夜空だからさ、何歩か歩いてからまた見上げる夜空はさっきともうちがうじゃない。四隅がないものにむりやり四隅をつくってさ、それでわかっちゃって、共有できるんじゃないかとか、そういうおもいこみってすっごくばかばかしいとおもう」

 どうしてだか、しゃべっているうちに泣いていた。川風になでられた頬に、涙はあたたかかった。

 しばらくして、そうだね、だからわたしたち置いてかれちゃったのかもしれない、とひとりごとのように口にしてから、朋子さんはもう一度うなずいた。

「それじゃ、ここは世界の背中だね」

 

 それからすこしのあいだ、しりとりをした。

 すきな食べもの、は、つづけているうちにだんだんほんとうにその食べものをすきなのかどうかわからなくなってきたからすぐおわった。それでも、ひょんなところから飛びでてくる料理の名前が、なんだか十年ぶりに出席した同窓会で会う友だちみたいでたのしかった。いがまんじゅう、なんていつぶりにおもいだしたかなあ、と朋子さんはくつくつ笑った。

 次に、日本のバンド、を何周かまわしたところで自転車に乗った小鳥くんがやってきた。ピンク色のママチャリを石橋のたもとに立てかけて、ゆるやかな傾斜をくだってきた彼の手には中身の重みでしなだれたコンビニ袋がぶらさがっている。

「これ、兄やんにとおもって」

 そういってさしだしたのはサントリーの角瓶だった。

「わたしにはなにもないの?」

 朋子さんが頬をふくらませると、小鳥くんはおおげさに両手をふりながら、いや、姉やんにもとおもって、とあわてていいなおす。ぷん、とウィスキーのにおいがした。よくよくみれば、角瓶はすでにいくらか空いている。うすい日のひかりに見はるかされた飴色の液体は、かたむけるたびガラスのなかでとろりとゆれた。

「あ、まだ飲んではらへんやないすか」

 ぬるくなった缶ビールをみつけて、飲みましょうよ、と、すっとんきょうな声をあげる。あらためてのぞきこむと、ハイネケンが四本。小鳥くんはさっそく二本手にとって、ウィスキー買ってきたしこれおれのー、という。若いなれなれしい野良猫のような小鳥くん。ぼくたちは、むかしから彼のことがとてもいとおしい。

 三人で乾杯をした。なにに乾杯したらいいのかだれもおもいつかなかったので、とりあえず、しりとりの最後に出ていた、ミルクバーというバンドに対して彌栄あれ、と願うことにした。緑色の缶に貼りつけられた赤い星が汗にぬれてきらきらしている。

「ふしぎですねえ」

 最初のひとくちであらかた一本飲んでしまった小鳥くんが感に堪えたようにいう。

「ぼくら、こうしてすわってるとただの点みっつやのに、寝転んだら川の字になるやないすか」

 あまりにもまじめな顔でいうものだから、おもわずふきだしてしまった。

「そりゃあそうだよ。千にも土にもなるよ」

「いや、でもそれやったら無理なかっこうせなあかんやないですか。あくまでふつうに気持ちええなあってごろんてなっての話やもん」

 小鳥くんは生きているなあとおもう。なんというか、あらゆるものごとにおどろき、おびえ、やきもきしているかんじが節々からつたわってきて。

「でも」

 ぷしゅっ、と、あたらしいハイネケンのプルタブを起こしながら小鳥くんがいう。

「おわってまいましたねえ」

「うん」

 ぼくは足元の砂地から顔をだした雑草をいらいながらこたえる。

「おわってしまったね」

 朋子さんはぼくと小鳥くんのあいだで、また遠くのほうに目をやりながらビールをのんでいる。そのたび、白いのどがかすかに動いて、ずっと知っているはずのそのすがたがきゅうになまめかしい生き物のようにおもえた。

「なにか、はじまるんですかねえ」

 小鳥くんはこたえを求めない。いつだって彼にとってたいせつなのは、だれかにつたえるということであって、こたえを求めることではないのだとおもう。

「はじまるかもしれないし、はじまらないかもしれない」

 ふきわたってゆく風のようなそのことばに、ぼくはあいづちともいえないあいづちをうった。

「兄やんは、占い師みたいなことをいうなあ」

「でもねえ」

 親指と人さし指にすこし力をこめると、ほそ長い草はあっけなく途中でちぎれて、緑色の汁が爪を濡らした。

「はじめるためにおわったわけでもないだろうさ」

「ほな、おわるためにおわったんですか?」

「さてね」

 ほんとうに、さてね、としかいえない。未来というのは、それ以外、といってしまうほか形容のしづらいもので、たとえ明日のぶんだけ未来を忘れることはできても、明日がいつまでもただしく明日であるとはかぎらない。

「そんなこといってるとふたりともおじいちゃんになっちゃうよ」

 朋子さんがそういって、ポシェットからハイライトメンソールをとりだす。一本抜いて左わきへ置いたその箱へぼくは手をのばした。体育ずわりをした彼女の足の、三角形のすきまから。こちらへ押しやった指先と指先がふれる。ほんの、まばたきするようなあいだ。ぼくたちのたばこは、おなじ銘柄をしている。

 ふたすじの煙がふわふわと空へのぼってゆく横で、たばこを吸わない小鳥くんははやくも二本目のビールを空けて、いったんはぼくに渡した角瓶を手元へ引き寄せている。

「みんな、いなくなっちゃいましたねえ」

 小鳥くんはそういうと、ひどく厳粛な顔のままげっぷをした。やだあ、といって朋子さんがこころもちこちらへ身体をかたむけてくる。

「むかしはもっとたくさんいたんだけどな」

 そうこたえてはみるものの、実際そんなにたくさんのひとがここにいたのかどうか、いまとなって考えてみると、はなはだこころもとない。

「結局あれはなんやったんでしょう」

 小鳥くん。ぼくはたぶん、わかる。それがなんだったのかはわからないけれど、それはなんでもなかったのだということが、わかる。戦争や、事件や、できごとといった名前をつけてしまったが最後、ほとんどすべてがこぼれおちてしまうものだということを。ただ、それをだれかにつたえるための適切な表現をみつけられない。何日もねむりつづけたあとにベランダから見下ろす水たまりに似ている。類推はできるのだけれど、といった話。

「ようわからんくなりましたわ」

 ぼくはビールをあましたまま、小鳥くんの角瓶をすこし舐めた。たばこはひどくゆっくりと燃えてゆく。そのたびに、すこしずつ指先と熱が近づいてゆくかんじがすきだ。たまに、じぶんの指から自由に火とか煙を出せるようになったらたのしいのに、とおもう。きっとたいした役には立たないけれど、そういうのって、なんとなくおもしろがるに足る、とおもう。中身の想像のつかない創作居酒屋の品書きに似ている。

 小鳥くんはひとつ大きく伸びをしてまた話しはじめた。

「さんぼんがわの川って、さみしいっすね」

「さみしい?」

 朋子さんのたばこはあらかた燃えてしまって、彼女はそれをきゅっとつぶしてのみおえた缶に入れる。

「遠くからみたら仲よさそうやのに、ようみたらいっこいっこ全然ちがうやないですか」

 たとえばさんぼんがわの左側が、といってから、あかん、めんどくさいわ、と頭をかいた。

「仮に、左側を寺田くんとしましょう。で、まんなかが梶谷くん。右側が北小路くん」

 なんで北小路くんなのぉ、と朋子さんが笑う。いや、なんとなくイマジネーション、と小鳥くんは角瓶をかたむける。

「寺田くんはまとめ役ですね。いつも目立たないけどちゃんと自分の意見をもってる。だからめぐりめぐって顕れるのは彼の理性とか存在感だったりするわけです。梶谷くんは末っ子キャラで、わがまま放題まっすぐにわが道をゆく。でもけっして出すぎないんですね。そこへいくと北小路くんはいちばんマイペースなようでいて、最終的にしっかりかたちとして三人を留めているというか」

「結局仲いいんじゃない」

 ぼくも根元まで灰になったたばこを消した。

「わたしたちはどうみえてるんだろう」

 朋子さんの声ごしに、向こう岸へぽつりぽつりと日だまりが落ちているのがみえる。よく似た大きさの円がいくつもつづいていて、そのあたりだけふっと火がともっているようでもある。あれは、ひかりが落ちているのか、それとも影が落ちているのか。そのどちらでもないのかもしれない。

「兄やんがいいたいのは」

 もう小鳥くんは瓶をはなさない。

「いま、たとえばその話をきいて、おお、寺田くんとは友だちになれそうだぞ、とだれかおもったとしましょうよ。でももしかしたら寺田くんがほんとうは北小路くんという名前だったとしたらどうだろう」

「というより」

「わかってますって。あれやん、馬鹿の語源」

「なに、なに」

 あいかわらず体育ずわりの朋子さんが訊く。えたりとばかりに小鳥くんはこころもち前のめりになってつづけた。

「秦の二世皇帝がね、これから排斥しようとしている大臣のまえに側近をならべて、鹿を献上さしたんですよ。そんで、これは馬だ、といったの。大臣はいや陛下、これは鹿でございますと。そしたら側近たちは事前に意をふくめられていて、いやいや大臣、これは馬ですって」

「それは語源じゃなくて訛伝だけどね」

 ぼくはウィスキーを奪い返してのんだ。ええ、そうなんやあ、と小鳥くんはさしておどろくでもなく首をふって、まあ、おわったことですからねえ、としかつめらしい顔をしていった。

「でもそうだね、ナチスドイツだったか中野学校だったかの実験であったよ。その日の天気が晴れだと、被験者に雨だっていうってのが」

「なんかそういう映画もありましたねえ」

「あんまりよくわかんないんだけど、なんか底のぬけた紙袋みたいなお話」

 どうしてだか、いつもふわふわしている朋子さんはこういうところでするどい。小鳥くんもぼくも、ことばで話すときはどこかで安心しきっていて、どこかこずるい。水たまりみたいなのは、ぼくらのほうかもしれない。

 

 すこしのあいだ、三人で黙って川面をみていた。

 この水も、流れる場所次第で加茂川とか淀川とか大阪湾とか呼ばれるのだな、とおもった。

「兄やん」

 みょうに真剣な顔をするからなにかとおもったら、腹へりました、と小鳥くんが切実そうにいった。

「朝からなんも食べてへん」

「どうせ二日酔いだったんでしょ」

 ええ、どうせ二日酔いですよう、と口をとがらせる。

「きみは伯夷叔斉でも気取ってなさい」

 朋子さんが、わたしはビールがのみたいな、とつぶやく。

 小鳥くんとぼくは歴史の話がすきだ。正確には、クロスワードのように知識をもてあそぶのが。死んだひとが生き返らないということや、起こったことは消えないということが、ときおりひどくぼくらを安堵させる。守らなくてもいい約束の気楽さに似ている。

 ウィスキーは半分くらいなくなってしまって、まだ誰も立ち上がろうとしない。

 ぼやぼやと話しているうち、すこしだけねむたくなってきた。もうずいぶん、のびやかな夢のなかへお邪魔していない気がする。それとも気がついていないだけで、じっさいはねむっていたのか。かさぶたみたいに貼りついていた疲れがきゅうになにもかもを重たくさせるようだ。自分がいてなにかが欠けているのではなく、なにか欠けてしまった自分がいる、というかんじがある。そのなにかをおもいだせるかどうかわからないけれど。

どうやら、まだここを発てそうにはない。

「さっきさ。寺田くんとかの話をしたじゃない」

 小鳥くんは角瓶をらっぱのみしながら目だけでうなずく。

「そうなるって、なんかさ、台詞をうたっちゃうよね。しゃべれなくなってるっていうか」

「これは鴨川、みたいなことすか」

「地図を」

「つくってまう!」

「うれしそうな顔すんなよな」

 引き取られてなんとなくぼくは苦笑い。

「てことは、山とか川とかでええんか……いや、それもちゃうなあ。あすこに頂がある、水が流れてる……もちゃうか」

「ちゃうなあ」

 わざとへんてこなイントネーションでいってみた。ふへへ、と彼はくずれそうな笑い方をした。

「やっぱ慣れへん、兄やんの関西弁」

 それをしおに、またしばらくしずかになった。

 角瓶の飴色はこころなしか鈍く変わって太陽より先に沈むようだ。

 あやふやなことをおもいだす。アイルランドスコットランドのウィスキーは地層のなかにふくまれたピートの成分でこういう色になるという。くらべて、清涼飲料水のいくらかはみんなりんご味らしい。それへくわえる香料によって、商品名がかわる。小鳥くんや、朋子さんや、ぼくといったひとびとが、ほんとうのほんとうに彼ら彼女らである理由があるとしたら、それはいったいどこにあるのだろうか。

 ハイライトに火をつける。

「きみたちは詩人だね」

 とっぴょうしもなく朋子さんがいった。

「詩人の話はまわりくどいしめんどくさいうえに堂々めぐりだもんね」

 まんざらいやそうなわけではなかったけれど、どこかへぐさりと刺さる。

 

 いくらかして、酔っぱらった小鳥くんは大の字になってねむってしまった。規則ただしい寝息をすくいあげるように水際に気持ちのいい風がふいている。朋子さんとぼくはすわりこんだまま、またしりとりをはじめた。きっと上からはできそこないのモールス信号みたいにみえるのだろう。

 ミルクバー。アークティックモンキーズズータンズズボンズ(ここで朋子さんはにやりと笑った)。ズクナシ。ショートカットミッフィー。イギーポップ。プライマルスクリーム。ムーグ山本、はだめ?と訊くと、だめ。バンドじゃないから。にべもなくいわれた。村八分ブランキージェットシティ。イヌガヨ。ヨラテンゴゴダイゴ。えー、またゴ?

 名づける、という行為も、名前を呼ぶ、という行為もどこかそらぞらしくて、でもどうしてだかほんのちょっぴりいとおしい。のみほせばなくなってしまうとわかっていながらグラスに水をそそぐようなかんじ。グラスは残る。けれどいつかは割れる。

 ゴーイングステディ。イロハ、というと朋子さんは知らない、という。いたんだよ昔、京都のバンドで、ちょうど鴨川をうたった「初夏」っていうのが名曲でさ、そのあとガロンって改名したんだけど。あ、それならわたし知ってるかも。ハンバートハンバート。「おなじ話」いいよね。うん。トリモデル。オオタくん元気かなあ。ルードボーンズ。ずうとるびビートルズ。そうくるとおもってた。ズームユース。スマッシングパンプキンズ。えー。

 もうそろそろ夕暮れにさしかかろうかというのに、空はいつまでたっても暗くなるようすがない。

 そういえば、ここのところずっとこうだったようにもおもう。

 電池の切れそうになった秒針が、それでものこされた力をけんめいにふりしぼりながら、ふたつの目盛りのうえをずっとふるえているような。とてもぶさいくな永遠。その盤上に、だれか名前をきざんでやればいいのに。

 しりとりのたねが尽きたころ、ビール買ってくる、といって朋子さんが立ちあがった。

 もう会えないかもしれないなあ、とはふしぎにおもわなかった。

 

 小さなさざなみが目の前を左から右へ流れている。

 流れる、というよりは飛び跳ねている、といったほうが近いかもしれない。

 それは川底からひょっこり突き出た、ひとかかえほどもある石のあたりで渦になり、やがて大きな流れのなかへのみこまれてゆく。その一連のうごきは、いっそ、川、というより、大きな水、とでもいってしまったほうがしっくりくるくらい、ゆるぎなくしなやかな約束にもみえた。

 ひとりでぼうっとすることがすきだ。

 むかしから、ひまをぬすんでは、なるべく部屋にとじこもってぼうっとするくせがあった。それがたとえ、選択しないというかたちの選択であり、関与しないという種類の関与であるとしても。

 それから、いろんなものを読んだ。そこからしゃべることを知識だというひともあったけれど、いまはそうはおもえない。二十七歳になった。たくさんな有名人が死んだ年だ。二十八歳になったところできっとおなじようにみんなが死んでいるだろうけど、とおもう。年上の朋子さんも、年下の小鳥くんもきっとそういうだろう。

 世界らしきものはたしかに刻々とうごいてはいたけれど、ぼくはつとめてそのなかの点景であろうとしていたようにおもう。書割りは文句をいわないし、またいわれるすじあいもない。

 何時間かまえに、朋子さんが口にした世界の背中、ということばが耳にひっかかっている。背中は、みえない。たぶん自分の背中をこの目でみる機会は一生ないんだとおもう。指さきから火を出せるようにでもなったらわからないのだけれど。鏡にしかうつらない背中。ぼくの目がとらえられるものにはかぎりがある。おなじように、きっと世界がとらえられるものにも。

 ハイネケンを忘れていた。缶の底にのこったビールは生ぬるさをとおりこして、ごわごわと舌にからみ苦かった。ひと舐めしてから顔をあげると、向こう岸に花火ちゃんが立っていた。

 

「なにしてるの」

 そういったときのぼくの顔は、きっと、あとからみたら恥ずかしくなるくらい茫洋としていた気がする。おどろく、という反応がとっさにどうもうまく表情につながらない。

「なんにもしてないよ」

 花火ちゃんはこころもちうつむき加減に、ふふ、と笑った。笑うと、お人形さんみたいな顔がくしゃっとくずれて、ああ、血のかよった女の子だ、とおもえる。

 かたちのいい、小ぶりのお餅のうえを黒もじですっと切ったようなふたえまぶたが、淡い日だまりのなかで場ちがいにくっきりしている。なにもかも見透かすようでいて、なんにもうつしていない目だ。

「あなたはどうしてるかな、っておもってさ」

 そういうと彼女は草むらに腰をおろした。白黒ボーダーのカットソーの袖口からのぞく手首がまぶしいほどに細かった。

 白黒。なんだか、この世の中のありとあらゆる希望と絶望を交互に敷きつめたような。花火ちゃんはいつも、だれといるときも、セックスがおわったあとのような声でしゃべった。

「ねえ」

 川をはさんでずいぶんと遠くにいるはずなのに、吹きわたる風にも水音にもさえぎられず、その声はやけにはっきりときこえてくる。

「さみしかったでしょ」

 スカートのすそのほつれを気にしているようなそぶりをみせながら、そんなことをいう。

「さみしいというより、どうしたものか、っておもったよ」

 ハイネケンの最後のひとくちをのんでしまいながら、こたえた。これはわりあい正直な気持ち。

「あれから何年経つかねえ」

 そういうと、花火ちゃんはちょっといやそうに顔をしかめた。

「何年経とうが、おわっちゃったものはもうはじまらないのよ」

「そうかなあ」

「おわりつづけている、というのは、おわっていない、ということとはちがうの」

 話しているうちに、だんだんとおもいだしてきた。ぼくは、あるとき、この子のことがひどくすきだった。

 吐息のような声。ふちのまるまった貝殻みたいなつめ。ちいさくてやわらかい身体。

 それはわれながら性懲りもなく子どもじみた欲求で、めぐりめぐって登場人物のだれひとりとして落ちつくべきところへ落ちつけないたぐいの情熱だった。そうして、なんでだかぼくは、毎年、夏がくるたび病み犬のようにおもいだしては吠え、夏がおわるとすぐ忘れてしまうのだった。

 七月、新宿。ネオンがほとんど消えていて、いままで何度も来たはずなのに、ぜんぜん知らない街みたいだった。そこを歩いた。黙ってずっと歩いた。ひとびとはしんと静まりかえっていて、チカチカ光る星がやけに贋物っぽくみえた。

 花火ちゃんは歌をうたうひとだった。

 彼女が恋みたいな気持ちをうたうときはいつも、それが自分へむけられた手紙のような錯覚をおぼえた。ぼくは読まずにむしゃむしゃ食べた黒山羊さんをわらえない。そして、そういった黒山羊さんたちはずいぶんとたくさんいた。

 ぼくたち、と書いてしまえば、ぼくたち、として浮かび上がるはずのひとかたまりのなかにぼくたちなんてものはおらず、ただ、ぼくと花火ちゃんだけがそれぞれにいた。居酒屋で、ライブハウスで、電車のなかで、夜明けの舗道で、ずいぶんとたくさんの時間をすごしたはずなのに、ぼくたちはなににも共有されることなく、ゆっくりこちら側とあちら側へわかれていった。

 すこしずつ、空が暮れる。

 群青、は、群れた青と書くのだ、と気づいた。

「はじまってたのかなあ」

「さて、どうでしょう」

 いたずらっぽく答える、これがクイズ番組ならぼくは司会者を殴りつけてそのまま壇上へ上がってしまいたい。

「でも、おわったってことは、なにかがはじまってたわけじゃない?」

 のどがかすれた。

 いやにはっきりと水音が鼓膜へまとわりついて、声が遠くなる。

「最初からおわりつづけてたのかもよ」

 ぼくの背を抱いたゆびが対岸の青草をつまんでいる。

 あれは、いつの話だったのだろうか。

「あなたはいつだって内側にいたからなあ」

 花火ちゃんのつめはきらきらと光る。

「こっちへきたいなら、くればよかったの」

 手元に目線を落としながら、あなたは自分だけが逃げ水みたいだっておもってるでしょ、と彼女はいった。そんなことないのに、と動かないくちびるが語ったようだった。

 

 そのとき、ああ、この子はいってしまったんだな、とおもった。

 きゅうに、ぼくのなにかがやぶれる。そこからことばがあふれる。それは寺田くんや、梶谷くんや、北小路くんのような顔をしているくせ、まじりあってもう誰ともわからない。

「さみしかった」

 からになった缶ビールを川岸へ置くと、小石にあたったのか、かつん、と高い音がひびいて、いきおいあまったそれはくるりとまわって砂地へと倒れた。今度は鈍く。

「さみしかったとおもう」

 なにかにすがりつくように、もう一度口にだした。主語も述語も動詞も形容詞もみんなひとつの場所へまじりあってただの気持ち、みたいなものになった。

 水は規則ただしいリズムをたもったまま流れ、どこかでまた鳥が鳴いている。ひわ。ほおじろ。るりびたき……。

「おんなじになりたかった」

 つかのま、口ごもる。

「でも」

「無理だとおもった。でしょう?」

 こちら側はこちらで、あちら側はあちら。

「花火ちゃん」

「なあに」

 ただの気持ち、みたいなものを突き破って、今度ははっきりと。

「ぜんぶ、うそだよ」

 きっと。ぜんぶ、うそだよ。だれもかれも記号のなかに棲んでいた。ことばとことばのお見合いで世界は充満していた。概念は概念という事象ではなく概念ということばになって、偽りは偽りということばになって。そのまんなかで、ぼくをみていたのがあなたで、あなたをみていなかったのがぼくで。うそだと知っていもしないくせ、うそをもてあそんでいたのは、ぼくだ。それが露わになったでしょう。ある日。どうしてあんなことでそうなったかいまでもよくわからないけれど。ただ、なんでだか大勢のひとがそうおもってしまった。そのためにいま肩身をせまくしている水の一滴がある。とりあえずまとまって川になってしまえばあとは勝手に名前をつけてくれるなにかがいる。そうやってある日がおわってからはなにもはじまっていないなバベルの塔がくずれたのとまったく反対に。

 みんな、ひとつのことばをもってしまった。

 みんな、ひとつのことばをもつことがいちばん楽だと知ってしまった。

 

 花火ちゃんの歌がきこえた。

 今までにきいたことのない曲だった。

 それは、川の向こうへぼんやりと浮かぶ山々の稜線をなぞるようにのぼってゆく、とても懐かしいメロディーだった。

 ぼくはうすい草の先で指を切った。

 笑い皺みたいにほそくほそくきざまれた一文字のうえにうっすら血がにじんで、それがなにかのささやかな国境線のようにおもえた。

 歌は吐息のようでいて、すずやかにつらなってゆく。

 うたっている内容はききとれないけれど、どうしてだか、届いた段ボール箱を切りわたってゆくカッターナイフのしなやかさに似てこころ弾んできこえた。

 

「よくできました」

 だいぶんたってから、向こう岸で、花火ちゃんが、かすかにほほえんだ気がした。

「でも、あなたはまだおえられないのね」

 ぼくは、砂まみれになったビール缶を立てる。のどがからからになっていた。

「たぶんね」

 ひきつったような声で答える。

 だからここにいるのだ、と漠然とおもったけれど、ことばにはできなかった。さようならだ、ということも。

「花火ちゃん」

 いいさして、たばこを一本くわえる。風が強まってきたせいか、たばこにはなかなか火がつかなかった。ようやく火をつけて顔をあげたら、彼女のすがたはもうみえなくなっていた。

 花火ちゃんのてのひらはちいさくて、いつも火照ったように熱かった。

 ぼくは、待っている、とか、またね、とか、きっとそういう返事を期待していたのだとおもう。

 次に目をあけた瞬間に、なにかが劇的にかわっていればいいのに、とおもいながら目をとじる。

 

 しりとりは、ぼくだ、とおもう。

 誰かが口にしたことばになにかをつけたして、それで安心してしまう。そのルールのなかでは、かならずつぎになにか返ってくる。ぼくはただ、ゆるやかに制限された輪郭のなかでそれなりの感情をはじきつづけていればいい。ここでは、魔法も使えないかわり、ほかのだれかが魔法を使うこともない。

 日本語は、愛からはじまって和音におわる。

 むかしどこかでそんな文章を読んだ。

 和音は、和声は、約束ごとでできている。約束をやぶるばかりの人生だったなあ、と述懐してみて、はなから約束をあきらめていたのだ、とやるせなく気づいた。

 愛、だってわかりはしない。そもそもぼくにはわからないという理由で手放してきたものがあまりに多すぎる。

 なんだかんだで、神さまは留守をしている。たぶんずいぶんむかしから。その家のまえでずっと待っているのがぼくだ。あるいはずっと待っているふりをしているのがぼくだ。朋子さんはたばこを吸う。小鳥くんは吸わない。この川の水はあふれない。そんないつ崩れるともしれないおもいこみのうえでへらへら笑っているのがぼくだ。

 いまここにあるのが、仮にとんでもなく場違いな宇宙だったらどうだろう。流れているのが鴨川でもなく、すわりこんでいるのがぼくでもないとしたら。

 足を組みなおしたら、膝に当たってなにかがことりと倒れた。

 まだ開いていないハイネケンだった。

 数をかぞえまちがっていたのか。どうか。ぬるい緑色の缶を手にとり、急いでプルタブを起こして口をつけると、なんだかとても甘い泡の味がした。ほとんどひといきにそれをのんだ。のんだという気さえ起こらなかった。

 

 花火ちゃん。

 つぶやいてみても、だれもこたえてはくれなかった。

 ああそうだ、とおもう。

 しりとりは、ん、からはつづかない。

 

 しばらくして、足音にふりむくと、ビールを両手いっぱいにかかえた朋子さんが帰ってきた。

「なにへんな顔してるの」

「べつに」

「だれかいたの」

「いたけど、もういっちゃった」

 首をふりながら、朋子さんのかかえるビールの数をなんとはなしに目で追った。六本、までかぞえたところで、むかしのことをおもいうかべて、なんでだか、またちょっと涙がでた。

 

「わたしね、すきなものがたくさんあるの」

 朋子さんがビールをのみながらいう。

 今度はキリンラガーだった。缶の白地のまんなかに、古めかしい赤色で描かれたギリシャ文字のシータのような意匠。その中心を横切る直線の上半分に麒麟のイラストがおさまっている。もともとの由来は知らないけれど、ともあれ冷えたビールはのどにこころよかった。

「たとえば、冬の夜のシチューとかさ」

 このひとはいつも、あたかも、いまここが冬で、目の前にそのシチューがあるような調子で話をする。いつだって、ふとんのなかで母親に絵本を読んでもらっているのと近いかんじがある。

「ものすごく、家族のしあわせな食卓っていう気がしない?」

「わかる」

 ぼく自身にそういったじっさいの体験はないけれど、小さいころテレビで見たシチューのコマーシャルで彼女がいうような情景を目にした記憶はある。たしかに、あれはしあわせな家族の食卓というイメージ以外のなにものでもなかった。

「それで、すきなひとにもそうやってつくってあげたくなるんだけど、でも決して相手にもそういうふうにしてもらえることがしあわせとはおもわないの」

 とんとん、と、たばこの灰を落としながらつづける。

「わたしは冬の夜のシチューがすきだけど、シチューにもわたしをすきになってほしいとはおもってないっていうか。わかる?」

「うん。たぶんね」

 どれくらいこうしているのかわからないけれど、ずいぶんな量のお酒をのんだようにおもう。それでも、気がつけばハイネケンの空き缶も角瓶も風にさらわれたようにどこかへ消えてしまっていて、手元にはのみさしのビールと、いつまで吸っても減らないたばこと。

「朋子さんのことなら、たいていわかる」

「またそんなこといって」

 ぷかりと煙をはきながら、彼女は、しょうがないなあ、というふうに苦笑いをうかべる。ふたりとも、右頬だけの片えくぼなので、並んでいるといつもどちらかのえくぼがみえない。

 

「わたしずっと、テレビがすごくこわかった」

 しばらく向こう岸をみつめていた朋子さんが、つかのまの沈黙をやぶった。

「あの四角い画面にいろいろなものが映っているでしょ。それはきっと、まちがいなくそこで起こっていることなのよ。でも、その画面より一ミリでも外にあるものは絶対に映らないの。それなのに、わたしたちは目にみえている部分だけをすくいとって、おそろしいねえとかかわいそうだねえとかいっているの。それってどんなかなしい事件よりかなしいことなんだなっておもってしまって」

 彼女には似合わず、ひといきにはきだすようにいう。

 それからまた、すこしの間。

 ぼくはほんのすこし身体を朋子さんのほうへむけながら、つまさきの草をさわっている。さっきちぎってしまった草の根元を、蟻が何匹かはいまわっている。

「でも、よく考えたらテレビだけじゃないの。わたしもだれかといるとき、このひとはこうだ、ってどこかでおもってしまってる。このひとは女だからこう、このひとはいくつだからこう、なんて。そうやって、いろんなふうに映るそのひとをどんどん型押ししていって、いちばん重複する、まちがいがすくなそうなところでみているのかもしれない」

 おかしいよね、と、こっちをむいた朋子さんの顔はくしゃくしゃになっていた。

「おかしくないよ」

 ぼくもそうだ、とはいえなかった。いってしまえば、それがうそに染まってしまいそうで。おかしくない、とはいえるくせに。

「ビール、のもうよ」

 キリンラガーを手渡す。まだほのかにひんやりとした手触りの残るそれを、朋子さんが開けるといきおいよく泡がふきこぼれた。

「ばかみたい」

 やっぱりくしゃくしゃのままで、彼女は困ったような表情をして、少女が湯呑茶わんを両手でつつみこむようにしてひとくちすすった。

麒麟ってさあ」

 意味もなく照れくさくなって、おもわずそんな見当ちがいのことを口にしてしまった。

「ほんとにいるのかな」

「どっちだとおもう?」

 朋子さんは大事そうにビールをもうひとくちのむ。

「おれがおもうに、たぶん、どっちもなんだよね。麒麟がいる証拠も、いない証拠もない」

「いた証拠も、いなかった証拠もない?」

「でもそもそもこれは麒麟じゃないかもしれない」

「結局なんなのよ」

「っていう話」

 いい年をしてかわす会話でもないとおもうけれど、ふたりして顔をみあわせて、ほんのちょっぴり笑った。

 もしかしたら、今目の前にいる朋子さんも、ねむっている小鳥くんも、鴨川も、ビールも、ぼくも、みんなほんとうはここにいないのかもしれない。そもそも、ここ、ですらあったのかどうかわからない。

「あ」

 きゅうにすっとんきょうな声をあげたものだから、朋子さんはビールを口へはこびかけた手をとめた。

「なあに」

「しりとりがさ」

「うん」

「ん、で終わるっておもってたけど、いたの」

 おかしくてたまらない、という気になった。ぼくは、いま、どんなふうに彼女の目にうつっているのだろうか。

ンジャメナンジャメナ、ってバンドがいたよ」

「へんな名前」

 おもわず朋子さんがふきだす。

「アフリカ語で休息の地って意味なんだって。ンジャメナっていうのが」

「でも、じゃあしりとりがおわらないね。休めないね」

 うん。でもなんか、ちょっとした希望だね。

 口にはださずそうおもった。

 

「なにかがおわっちゃったっておもってるじゃない」

「おわってなくてもいいよね」

「うん」

「おわってなくってもいいよね」

 彼女は目を三日月にしてくりかえす。

 あいづちを、うつ。

 

「ちょりくん」

 朋子さんがぼくの名前をよぶ。

「おわっちゃったねえ」

 今度は、いままでとはちょっとちがった気持ちでそういう。あらためて、はればれとするようなことなんてひとつもないけれど、ちょっとだけちがった気持ちで。

「うん。でもわたしもきみもまだおえられないね」

 ふっと、花火ちゃんとまた会うことはあるだろうか、とおもった。この川べりで、隣同士になってしゃべることがまたあるのだろうか。この世界の背中で。

 

 それから長いあいだ、朋子さんと手をつないでビールをのんだ。

 ゆっくりと、それでも夜はようようにやってきて、街灯がうすぼんやりと照らす鴨川の夜はただしく暮れていった。

 彼女の指はすこし荒れていて、でもそれがいとおしいとおもった。

 真っ暗になるすこし前に小鳥くんが起きてきて、兄やん姉やん飲みましょう、とまたすっとんきょうな声でいった。消えてしまったはずのウィスキーは気がつけばまたそこにあって、けれどもうほとんど残っていなかった。誰がのんだのだろう、とふとわからなくなった。

 とりあえずビール買ってきなよ、といって、それからまたしばらくのあいだ、ふたりで手をつないで対岸のあかりをみていた。

 

 

 

 

 

 

 

2012年4月18日脱稿