キクチミョンサ的

「なれのはて」ということばがよく似合う、ちいさなぼくのプライドだよ

悪魔がきたりてぴーひゃらら

kntr.world-scape.net

 

先日、うさんくさそうな音楽業界のひとが「10人も動員できないバンドマンは辞めるべきだ」的なアオリのブログ記事をアップしていた。そのひとのプロフィールやふだんの発言があまりにうさんくさそうなのが原因なのか、炎上商法狙い見え見えじゃーんと多くがおもったか、初動ではそんなに燃えていなかったけれど、わたしのこころをちょびっと暗くさせたのは事実である。

 

なお当該記事はタイトル、アオリだけみると「動員の少ないバンドマン批判」におもえるのだけれど、実際に中身を読むに「実動員が少ない(チケットノルマ以下な)のに、ノルマをライブハウスに貢ぎつづけることによって、企業努力の足りないライブハウスが生き残ってしまう。もし動員の少ないバンドマンが活動をいっせいに止めたら、そういう店は滅び、よいライブハウスと将来性のあるバンドが残り、インディーズシーンが活性化する」みたいなことだとおもう。なにぶんキクチのトリ頭でまとめたので、正確さはNaverくらいだとおもってくだされ。こけこっこ。

 

これ、ちょうむずかしい問題だ。

まがりなりにも8年間ライブハウスで働いていたわたしなので、現在の立場はまだしも考え方にバイアスがかかっていない、とはいえない。

ただ「ちょっと待てよ」とおもったのである。

 

「よいライブハウス」とはなにか、といわれて、正解など出てきっこないのだ。

 

音響がすばらしい、照明がいかしてる、アクセス至便、スタッフの態度がよくて、お酒は安くてフードもそれなりに充実していて、分煙(禁煙)、逃げ場所もほどほどにあって、トイレはきれいで室数に余裕あり(もちろん男女別)……「それらしい要素」を挙げていけばきりがない。バリアフリー、託児室がある、万が一の事態のために医師が常駐……書いていて、ちょっと自分でも笑えてきてしまったのだが、もちろん、いまおもいつくままにつづったような事柄は、そりゃ、そうであるにこしたことはない。ただ、当たり前のことですが、そんなライブハウスが実在するとして、それはどう考えても街中のキャパ~300人程度の店ではない。物理的問題から、もっとオオバコになる。インディーズシーンの話ではなくなってくるのだ。

 

もう一度考えてみよう。

たとえば、あるライブハウスのよさが語られるとき、もっともよく聞くのは「音(をふくめた設備・環境面)がいい」「スタッフ(のキャラや接客態度、スキル等)がいい」のふたつではないだろうか。

これまた当たり前っちゃ当たり前なのだが、ライブハウスはディズニーランドではない。あくまで音楽を聴きにいく、音楽や音楽人とかかわる場所である。その意味で、先述したほかの要素(美点、といってもよいだろうか)は大事ではあってもあくまで従のはずだ。「あそこは駅から近いからいいライブハウス!」「あそこは完全禁煙だからいいライブハウス!」なんて言ってるお客さんがいたら、わたしは嘴でお尻をつっついてやりたい。こけこっこ。

 

もちろん企業努力や(出演者ふくめた)お客さんへの愛、というものはとっても重要で、トイレの数を増やすことは物理的・金銭的にむずかしくとも、日々きれいに保つ、とか、車いす視覚障害のお客さんや小さいお子さんが来られたときの対応をスタッフに周知する、とか、やれることはたくさんあるんですね。

だからこそ「あそこは狭いしアクセスもあんまりよくないけど、とにかくスタッフが笑顔でよく気がつくからたのしい」「あそこはフードメニューがないし椅子席がなくて疲れるけど、とにかく音がめちゃくちゃいい」みたいな文脈で語られるケースも多々あるわけだ。そして、そういうライブハウスの多種多様さというものが、その街のインディーズ文化をかたちづくってゆくのだと、わたしはおもっている。

なので、「ぼくのかんがえたさいきょうのらいぶはうす」みたいな理想をぜんぶぶちこんでしまうと、どこもおんなじになるじゃん、って話で、それはなんとなく味気ないなあ、とおもう。

 

ただ、大好きなバンドのライブを観に行きたいのに「あそこは煙草くさくなるから……」「あそこには子どもを連れていきづらいから……」といった理由で躊躇、または断念するお客さん側のくやしさ、みたいなものも理解はしているつもりです。みんなちがってみんないいんだからいいじゃん、といって終わらせたいということではない。けれど最終的にはお客さんも店側もひとつひとつ選択するしかないのも事実だ。全員にやさしい場所、というのはありえないし、万が一ありうるとしたらそれは「誰にもやさしくない場所」なのだから。

 

あれ、なんか長々と書いているうちに、こんがらがってきた。トリ頭は三連くらい書くといろいろ忘れるのだ。

 

言いたいことは「みんなにとってよいライブハウス」なんてないのだよ、ということ。

同時に「みんなにとってダメなライブハウス」も、まずない。99%ない。日本のどこかにいくつかはあるとおもうんだけど、噂はともかく実際に見聞していないのでにゃんともいえない。あるとしたらそれってもはや犯罪スレスレなレベルのダメさな気がするけれど。

 

ともあれ。

ライブハウスの生き残り合戦なんかしなくても、滅びるところは滅びるし、ぎりぎりのラインを踏み越えて存続しつづけるお店もある。強制的にフォアグラをつくったっていいけれど、なにもそれで揃えなくていいじゃないか。放し飼いのトリがいてもいいじゃないか。などとバイアスのかかったキクチは甘っちょろいことをおもい、やけくそ気味にこけこっこ、と鳴くのだった。

 

最後にひとつおもいだした。

「惜しまれながら閉店」するライブハウスの閉店理由によくあるひとつは、近隣からの苦情である。お客さん(出演者の場合もある)が外でたまる、さわぐ、ゴミを散らかす、等々。

まずはこういうところから議論をするのもいいんじゃないかしら、とおもうんだけれど、どうでしょう、海保けんたろーさん?