読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

キクチミョンサ的

「なれのはて」ということばがよく似合う、ちいさなぼくのプライドだよ

「Lucky」

ゆうべはうどんを食べて寝た、と書いた「ゆうべ」がおとといのことならば、ゆうべは漬け物を食べて寝た。つぶれた。べっぴんさんを相手にキスもできなかった(したかもしれない)。

つまり記憶がない。記憶がない、ということは、記憶がないということを記憶しているのかもしれない……とハイデガー的境地へ迷い込んでしまいかける自分の手綱をしっかりしめる。はいどうどう。部屋の鍵もちゃんと閉めよう。

こんばんは、身体は大きいがこころは小さい男、キクチです。ヴィクトリアマイル?知らないG1ですね。

 

身体は大きい、といってもよほどのキクチ研究家でもないかぎり、178センチ57キロという彼の公式プロフィールを知るものはいない。でかいんだ。意外と。中学生のとき騎手になるのを諦めたんだから。ほんとうは小学校のおわりごろ、乗馬中になんだか目や鼻や頭がおかしくなり、いや頭はもともとおかしいとして、ともかく自分が寝藁アレルギー(そんなものあるのかしら)だということに気づいた時点で断念したのだけれど、とりあえず彼の公式プロフィールにはそう書いておいてください。後世のひと。

 

これはよほどのキクチ研究家でも調べ上げるのは困難だろうからここに書き記しておくのだが、じつはわたしの人生の文字通り揺籃期はほとんど馬とともにあった。

祖父がお馬さん大好きだった(国体に出たことがある。馬場馬術)ので、その所有する、たしかアングロアラブ種かなにかだったとおもうけれど、「ラッキー」という牡馬(セン馬だったかもしれない)を毎日のように誰かに連れられて観に行っていたらしい。

ラッキーはおとなしくて、でかくて、鹿毛黒鹿毛の中間くらいの濃い毛色で、かっこよかった。そのころすでに10歳くらいだったから、わたしがいまみたいなゴミムシペダンチシズム野郎になるまえに死んでしまったが、ある意味でもっともたましいのきれいな時期をともにできたことはキクチ一生のよろこびである。わたし、もう今じゃ、あなたに会えるのも夢のなかだけ。

 

そんなわけで本題だ。

そんなわけでも本題だでもなかろうが、わたしは馬肉が食べられない。

ラッキーとの思い出ももちろんある。しかしそれにくわえて、小学校高学年ごろから爆発的に流行った「ダービースタリオン」、ご多聞にもれずわたしもまたその熱烈な信者であった。それまでゲームにおける信仰のアレにより流血の惨事を見るのは「ドラゴンクエスト」と「ファイナルファンタジー」という二大巨頭(いまでは手打ちしてスクエアエニックス組になってます)の抗争くらいだったのが、なんだか気がつけば「ダービースタリオン」派と「ウイニングポスト」派なんて対立軸までできてきてしまった。しかしこちらは哀しいかな、コーエーパリティビットにボコられる構図で数年もすると逆に胸が痛かった。

 

わたしは「ダビスタ」を遊ぶうえで、何百頭という愛馬の死を目の当たりにしてきた。ずるずると下がっていくわが馬。システム的にNPCの馬はそうならないから一発でわかる。「やばい」。あの、夕暮れっぽい背景に悲痛なBGM、そして「予後不良」のファッキン四文字ワード。いくらゲーム上のこととはいえ、あれはきつかった。きつくても翌週になれば「来年の種付けどうしよっかな」とかおもうのだけれど。

ただ、現実でもおんなじようなことは起こる。しょっちゅうといえばしょっちゅう起こる。それでも、日曜のうららかな午後3時、ミルクティーとクッキー片手に「ドリーム競馬」観覧中、向こう正面でサイレンススズカの姿がふいに消えたとき、やめてくれ、神さま、おれサイレンス買ってないけどそれでもやめてくれ、と頭をかきむしったりした(※中学生は馬券を買ってはいけません)。

モノの本によると、まずそもそもサラブレッド(いわゆる中央競馬で走っているお馬)は競走用につくりだされた品種なので食用には向かない、とか、安楽死処分は薬を使うのでその肉を市場に出すことはない、とか、いろいろあったので、理性としては「ああ、別にこれで明日の夜に木屋町の居酒屋で”新鮮馬刺し!”なんてことにはならないんだな」とはわかっているのだが、感情というのはやっかいなものですね。

 

ぜんぜん本題じゃなかった。

ただ単に、わたしは馬刺しが食べられない。食べたくない。ので、そこらへん、あらかじめお含み置きください、後世というかこれから出会うであろうひと。とくに信州とか熊本とか会津とか、馬刺しのおいしいところのひと。

 

ラッキーはアングロアラブなので、もともとケイバ馬ではない。刃折れ矢尽きた、あるいは箸にも棒にもなんならハミすらかからなかったサラブレッドが乗馬に転職したわけではないし、彼の一生がどこからはじまって、どれほどの充足や幸福にめぐまれたかは知らない。なんとなれば、わたしは彼の死因すらちゃんとおぼえていない。数字だけみればそこそこの長生きだったけれど、馬は腸捻転とかである日突然死んでしまうから。

そして、彼との思い出の9割くらいは、もううすぼんやりとしか残っていない。

「ラッキーとの思い出があった」ということを、なんとかおぼえているにすぎない。

これでラッキーがサラ牝馬青鹿毛、とかだったら笑えるのだけれど、それはそれで笑いの虫養いにはなるだろう。

スーパーカーみたいな速さじゃなくても、走るし、跳ぶし、生きる。アングロアラブって、なんだかそういう種におもえる。

 

自分ももしかしたら、サラブレッドじゃなかったかもしれない。でも、サラブレッドよりうつくしく走れれば、そんなの問題じゃないよ、って、キクチはキクチに言ってやりたい。でもやっぱりサラブレッドがいいなあ。もはや詩人刺しにしても筋ばっかで硬くて食えたもんじゃないでしょうが、それでも30歳以上500万下、出走を待つ。

 

結局ファンファーレは鳴る。

どこで聞いているか、それだけだとおもう。

 

内心はこんなぼくのどこがいいかなんてわからないんだけど、それでもぼくに少しの男らしさとか広いこころが戻れば、まだラッキーなのにね。