キクチミョンサ的

「なれのはて」ということばがよく似合う、ちいさなぼくのプライドだよ

TOKYO SKYWALKER

たましいが、なにかぼんやりしているので、外へ出てみたら寒かった。

寒いといっても最低気温15度やぞキクチ、そういえば、つい2ヶ月前なら15度もあれば「わー、あったかーい!」と喜んでいたものだ。ことほどさようにわたしは相対的にできている。逆にテンションが上がって半袖のまま「わー、さむーい!」といいながらコンビニへ走った。

 

5月31日。東京。

どうしたことか、窪塚洋介さんと会った。2時間ちょっとおしゃべりをして、ワインをのんだ。なんとなく、お会いするまえから、自分の目盛りでははかれないひとのようにおもっていたけれど、想像していた以上にやわらかな余白だった。語彙の崩壊したわたしは脳内で「マジヤベエ」と56回くらいつぶやきながら、実際は一緒にフリースタイルをしたり、わりといつものキクチであった。

話の流れで、窪塚さんが千利休のことを「ちょりくんのじいちゃん」と何度もおっしゃるので、その都度リアルじいちゃん(存命中)と混同しかけつつ、ああ、でも、これリアルじいちゃんに置き換えてもだいたい合ってる、じいちゃんすげえ、などとおもった。これは余談。

とてもおおきな茫漠。掴まないと感触のつたわらない背骨。明るい深海魚。しいてなにかことばを弄するなら、そんなひとだな、とおもった。たいそうたのしかった。

 

辞してからは電車を乗り継ぎ、ひとり渋谷ふらふら道中。TOKYO TRIBEかよ。

行きたかったラーメン屋の場所がすっかりわからなくなり、泊まるつもりのネットカフェの影もかたちも見当たらず。せっかくスマホにしたのだから調べなさい、とはいうものの、あんまりそういう気分でもなく、行ったり来たり。井の頭、宇田川町、文化村、道玄坂、松濤。

むかし「TOKYO SKYWALKER」という詩を書いた。9.11の直後くらいだったとおもう。渋谷で風俗を探して2時間くらい歩いた、みたいなセンテンスがあるのだが、そのときほんとうは風俗など探していなかった。ただ迷っただけで、それでもいまではなんとなくそんな記憶に上塗りされている。ぼくらは地に足がつかないから、どこへでもゆける。

ぼくらって、なんだっけ。

結局、目についたネットカフェに入る。朝まで「嘘喰い」プロトポロス編を読んで、ああやっぱり夜行さんは柳沢教授にしかみえぬ…などとおもうわが感性やいかに。小雨に濡れながら、6時過ぎの新幹線で帰洛。

 

棋聖戦の対局開始にどうやら間に合う。

そこからは一瞬だった。田村先生の解説にはもれなく定期的な呼吸音が挿入されるので、農耕民族たるキクチはそのリズムでどんどんねむたくなる。とある将棋ファンの姉さん(ダンサー)が「寝るまえに田村先生の動画を観る」とおっしゃっていたが、ちょうわかる。それ。そんなわけでワインをのみつつ、定期的にねむり、定期的に起き、またワインをのみ、以下同文。繰り返すは嘘と罪悪感。

 

結果は個人的にせつないものだったので、なにかトチ狂った頭で「棋聖戦残念会」をひらいた。ひらいた、たってひとりである。

6月1日から2日にかけて、ワインを5本のんだ。逆にいえば、その程度ですんだ。だってまだ第1局だもの。

しんちゃんは、もとい、斎藤先生は、おうちへ帰って味噌汁をつくったりしたんだろうか。それとも、ワイングラスを積み上げたんだろうか。

すくなくともキクチの部屋にはワインがボウリングのピンのように並んだ。スカさんならストライクを取ってくれるだろう。

 

 

6月3日。

いまもどこかしら、ふわふわしている。

コンビニで納豆とネギを買った。電気代を払った。

生活めいたものはそれなりにつづいてゆくのだ。跳ぶんだろ兄弟?

ルーク・スカイウォーカーのTシャツが抱くひとはここにいないけれど、ぼくは。

地に足がついてないからどこへだっていける。まだまだ、いける。