Why I'm me
歌をうたい終えたあとのパーティに、ひびく声のこと。
テーブルごとの雑談、ちょっとしたジョーク、だれかの噂話、灰皿交換するスタッフの「そろそろ帰ってくれんかな」という気持ち、PA卓をやさしくなぜて布をかぶせるおっさん、ちょうどいいところでなくなったリキュールに一喜一憂する発注のやりくり、シフト表の確認、ふとしたところであらわれる聖者の行進。
ぼくはライブハウスというものがとてもすきだった。
過去形にみせかけてじつは現在進行形(すきだった、そしてすきだ)でもある。ちょっとばかり、距離や時間をおいたむかしの恋人のような。
その子の首筋からシャンプーや化粧品のにおいがする。性器を舐めればそれなりになまぐさい、生きているものの味がする。けれど、そういうのもぜんぶふくめて好いていたのだから、それは控えめにいってもなにかしらの愛でしょう。勘違いは勘違いであればあるほどいい。なぜなら疑いから一周した場所で出会えるからだ。これは妄信じゃない。もう死んじゃいられない。
7月12日はそれなりの意義をもってわたしのなかで暮れていった。
一人称がぶれるのはいつものことだ、けれど、どうにかならんもんかなあ、ともおもう。
5日後、心斎橋でライブです。
なぜか流しそうめんを終演後にやるらしいよ。
しゅうえん、と聞くとすぐに記号論の話にしたがるキクチをおさえて、ぼくわたしそれがしは、こっそりこれから練習をするのだ。