キクチミョンサ的

「なれのはて」ということばがよく似合う、ちいさなぼくのプライドだよ

BOYS BOYS BOYS BOYS

名古屋へいってきた。

滞在時間4時間ほどの弾丸ツアー。

 

体調が悪すぎて、「ロイ・ビーン」であのタマネギ馬肉野郎に足の指ふっとばされてひょこひょことしか歩けないおじさんみたいになっていた。でも、いった。尾籠ながら、途中駅や新幹線のトイレで何度も吐いた。

観なきゃいけない。この面々(ハルラモネル、ピーターことドキュメンツ杉本、MILKBAR北小路)は(岐阜・東京・京都ということもあり)精神的に先番を取らんと出会えんもんでね。赤い電車桜通線に乗ったんだ。

 

ハルラモネルがガンガンに決まっていた。

本人はだいたいいつも「そんなことないよー」とかいうのだけど、骨にひびく歌だった。「ランプ」でこんだけピークになってどうすんだい、とおもったら、ラスト2曲、軽いのに重い。ことばの持ち重りが半端じゃない。「にがくてあまい」みたいだな。わたしの骨や筋や血がよろこんでいた。なんじゃこりゃあ。感性が複雑骨折しちまうよ。おい、おまえ。

 

ピーターは歌に信じられてる男だな、とおもう。

歌を信じてる歌い手はいくらでもいるし、そこにも残念ながら階級めいたものはある。勘違い、思い込みのやつ。愛は伝わるけどそれはベクトルがちがうよねというやつ。信じ方の問題。エトセトラ。

ピーターはほんとうに歌に信じられてる。だから、それ以上でも以下でもない、「ふつうのうた」がとっても映える。誰でも歌えるようでいて、ピーターが歌わないと意味が通らないのだ。これってすごいことなんだ。

 

北小路直也。

至宝。

なんにもしなくてもいい(ちょっと言い過ぎかしら)。

このひとがギターを抱えて、なにかしらの発声をしただけで、うたが生まれる。

そこに、うたが生まれるのだよ。

 

わたしはそんなメロディとリズムと感情のなかをちゃぷちゃぷして、たいそうぬくまりました。

ビール3本。焼酎ロック(というにはあまりにも多いミキティの心遣い)3杯か4杯。帰りの新幹線でメーカーズマーク。

名古屋に移住したいくらいだったです。

 

でも絶対、おれのほうがかっこいい、と学生バンドのようなことをゆって擱筆したいとおもうのだ。