キクチミョンサ的

「なれのはて」ということばがよく似合う、ちいさなぼくのプライドだよ

夕暮れ時を待ちながら

妖怪ぶちまけ娘がやってきて、今度はなにも起こらなかった。

なにしろ彼女は、誕生日ケーキを落とし、ワインをひっくり返し、これまでキクチ家に多大なる損害を与えてきた一種恍惚の人である。成長したんだね。えらいえらい、とわたしはこころのなかでそっと彼女の頭をなぜた。

 

その日の昼には、旧い友だちから、ずいぶんと理不尽な電話があった。理不尽というのは彼女側の問題ではなくって、彼女が直面したとある出来事を指す。バカオロカキクチは寝起きの焼酎をのみながら3時間ほどそれを聞いていた。ときどき茶々を入れながら。もっとも、その内容がおなじく旧友と絡むものだったので、それなりに傷んだ。

ずっとみんなと空き地で遊んでいたはずなのに、友だちはどんどん「夕飯よ」の声に呼ばれて家に帰ってゆく。気がつけばひとり、ふたりと影が消えている。欠落ではなく、喪失。持ち重りのする喪失。今の自分の気持ちを喩えるならそういうところである。

とはいえ、みんなもう三十路を越えたのだものなあ、家庭やら仕事やら、このあとはローンや介護や色々出てくるだろうからなあ……致し方なし。と割り切れないあたりにキクチのモラトリアム気質が如実に浮かび出ているようにはおもう。おっ、なんだか今回の雑記はまじめだな。12時間前からのんでいるというのにな。

 

妖怪ぶちまけ娘は会うたび綺麗になってゆく。

はじめて会ったのは20歳のときだったから、たかだか3年程度のつきあいでしかないのだが、「男子三日会わざれば」どころのスピードじゃない。いい女は問答無用ですくすくいい女になるんだ。怖いような、うれしいような。

またそれを観ている自分がゆっくり齢を経てゆくのも、うれしいような、怖いような。

 

朝方、将棋を指した。平手。後手ゴキゲン中飛車

約60手ほど後、「この王様、いただいとくよ」と、塚田名人が大野九段に言ったふうを想像しながら、口にした。

どうしてそんなことが起こりうるのかって?彼女が将棋を指すのははじめてだったからだ(つまりなんにもえらそうに語れない)。

ただ、龍や馬をバッサバッサ切って詰めていくのは、手合い違いとはいえ愉しかったです。感謝、感謝。

 

気がつけば妖怪ぶちまけ娘と20時間近くのんでいた。

前日からかぞえれば(仮眠をふくめ、だけれど)40時間以上になる。

それから10時間くらいぶっ倒れて、鬼のようなふつか酔いを経て、またのんで、のまれて、肴はあぶったイカじゃ嫌なので漬物なぞつまんで、一度断酒(せいぜい半日なんだけどな)を挟んでまたのんで、なんだかんだと今に至る。

 

晩秋から初冬へ衣替えした午後、目にうつるものすべてがなんとなくキラキラしていて、なんだろう、この気持ちは。

 

うん、読者諸賢にはとっくにお分かりのこととおもうが、つまりそれは、酔っぱらっているからです。

わたしはまだ、人気のない空き地で、遊んでいるよ。

夕暮れ時になったって、意地でも帰らないよ。