キクチミョンサ的

「なれのはて」ということばがよく似合う、ちいさなぼくのプライドだよ

千駄ヶ谷戦記

「マジか」「この子マジか」

心のうちに藤森先生が降臨した。

と、いっても、場所は日本将棋連盟東京会館2F道場。

おそらく小学校低学年であろう彼は延々ノータイム指し。こちらが10秒でも考えこむと、すぐに隣の対局を覗きこみ、それにも飽きると椅子の上で足をぶらつかせながらこっちの顔をじっと見つめる。

(早く指してよ)(このオジサン、なんでこんなとこで考えるんだろ)(ひまだなァ)

なんて、わたしはサトリの妖怪ではないから、これはただの被害妄想でしかないのだが、おそらく八割がとこ、当たっているだろう。

 

もともと「知識」として、子どもは早指しだということはわきまえていた。実際、小学生名人戦なんかも、映像で観るかぎり相当なもので、しかしそれはあくまで小学生にして有段者という高次元での話だとおもっていた。

ちがった。

わたしの対局相手はみな、級位者のなかでも下位にかかわらず、マシンガンのように手が伸びる。

それが序盤ならまだわかる。けれど、中終盤になっても変わらない。今回対局した5人の小学生~10代半ばごろの少年たち、いずれも同様であった。

キクチは、5局指して2勝3敗。

そのうち2敗は反則負け(二歩はまだしも、もう一度は焦って自分の歩をとってしまうという愚挙)とはいえ、あえなく13級の認定を受けた。

もう1敗は認定後の最終局、左香落ち上手をもってのもの。

これにより、キクチはなんと「駒落ち初体験が上手」という世にも奇妙な経歴とあいなった。

 

これでもわたしは今年から(指し)将棋をはじめて、ウォーズ5級なんである。それも10秒で。けっして長考派なわけがなく、棋神だって、はじめたころにbot相手に一度使ってみただけで、天地神明に誓ってそれ以外頼ったことはない。

もちろんウォーズの5級というのは、実力5級もいれば、町道場での10級くらいもいる、というのもまた「知識」としてはわかっている。

けれど、いくらなんでも、ここまで自分がヘボだとはおもいもしなかった。「SLUM DANK」安西先生ふうに言うならば「下手くその上級者への道のりはおのが下手さを知りて一歩目」といったものだろうか。

 

星は●○●○●と綺麗に並んだ。もっとも、囲碁やオセロなら…などと言わないでいただきたい。

キクチは先後とわずすべてゴキゲン中飛車か5筋位取りに美濃、片美濃囲いなどといった「いつもの」。

2局目は定跡知らない同士対決、といった趣きで、なぜか序盤で相手は飛車まで使って穴熊(的なもの)を組んでしまった。はなっから大駒が死んでいる。ヤッター!とおもいながら大優勢を築いたところで決着。

4局目は今回のなかでも最長時間(子ども相手で20分超かかった)で、実力的にもいい勝負、といったかんじだったが、最後は駒得がものをいい、飛車角を叩ききって金銀を剥がし寄せきった。

もっとも、そのあと5局目ではその真逆のパターンを喰らい、詰ましあげられてしまう。とにかくわたしには8筋が鬼門です。

 

1500円の席料を払っているのに「ここまでです」と止めたキクチのことを、手合い係の女性はすこしいぶかしげに見遣った。

日曜日の午前10時(開場)からやってきて、2時間指しただけで帰るスーツ(というか準礼装)のロン毛ヒゲ男は、彼女の目にさぞかし奇異にうつったこととおもう。

しかし、もう脳みそが汗をかきすぎていて、頭もウニになっていて、菜の花がトウが立っただけでしぼむような、詩人は頭が悪いから精華大に行った、そんな状態だった。

生まれてはじめて知らないひとと対面で将棋を指し、しかもその全員が15歳から下手すると25歳くらい年下で、強い(わたしが弱いだけという説もある)。

また、道場の雰囲気、つまり数十人のかすかな囁き声、比して高い駒音、一種の儀式にも似たようなその神聖な空間。慣れてしまえば居心地よくなるのかもしれないが、門外漢におけるプレッシャーたるや、生半可なものではなかった。2局拾えたのは僥倖だった(最初は全敗も覚悟していた)とはいえ、もう、オジサンのライフはゼロよ!というところである。

ちなみに5局目の相手(中学生にしてはふけて見え、10代後半には稚い男の子)は完璧に指し手のモーションが羽生棋聖で、なんか悔しかった。

 

かくて、わたしの初道場体験は、まさかの総本山・千駄ヶ谷にてつつがなく終わった。

意外だったのは、これまで対面では友人としか指したことがなく、仮に相手が格上(元将棋部など)でも特段勝ったうれしさもなかったのだが、まったく知らないひとを負かすのは身体の奥がふるえるような高揚感があったということだ。むろん、逆はその倍も「ああん」となるわけだけれど。

対局と対局のあいま、駐車場の喫煙所でたばこを吸いながら「がんばれがんばれキクチ」「負けるな負けるなキクチ」と、どこのコバケン先生だ、どこの脇先生だ、どこの今泉先生だ、とおもいながら、それでも頭をポカポカ叩いたりした。

 

帰りに中村王座の「木鶏」揮毫の扇子を買った。

これまでは久保王将「万里一空」、佐藤(康)九段「千思万考」を使っていたけれど、いずれもいただきもので、はじめてみずから購ったということになる。

中飛車党としてはちょっとどうかとおもうのだけれど、単純に語意だけでいえば、いまの自分らしいのはこれだな、とおもう。

 

そんなわけで、将棋を指すわたしの友人たちよ。

具体的にいえばテツさんや村島、ニシヤマ、ナツキくん、ハルラモネルよ。

また今度、一局やりましょう。

 

ビールとチューハイをしこたま買い込んでキクチは新幹線に乗った。

疲労困憊していたにもかかわらず、プルタブはちゃんと開いた。まだ初心者と初級者の狭間くらいにいるけれど、悪くないな、とひとりごちる。

むかし故・升田幸三名人が記録係の故・大内九段(当時奨励会員)にむかって「きみは何級だ?」「そうか、いいなあ。どこまでも上がれる。しかしわしにはもう上がない」とおっしゃったのをぼんやりおもいだした。

 

三河安城を過ぎたあたりで、ほどよく酔いがまわってきて、うとうとしながら。

 

「将棋、大好きです」

「今度は嘘じゃないっす」