キクチミョンサ的

「なれのはて」ということばがよく似合う、ちいさなぼくのプライドだよ

フィルムとシャッター

きのうの昼から今朝にかけ、BAR choriにて妖怪ぶちまけ娘の卒論提出おめでとう呑み会を粛々と執り行った。

 

BAR choriというのは黙っていれば肴が出てくる、要するにわたしの家であって、妖怪ぶちまけ娘は彼女が誕生日ケーキやらワインやらなにやら、とにかく前世の業に憑かれたごとくなんでもぶちまけることに典拠する。

そういえば、どういういきさつで彼女と親しくなったのかまったくおぼえていない。このあいだ、スマホで写真を撮るときのピントの合わせ方を教えてもらったはずなのに、これまた忘れてしまった。「好きな日本語は?」と問われて「散らかす」と答えるわたしである。散逸、おおいにけっこう。断簡零墨だっていいじゃないか、詩人だもの。

 

土曜日の昼酒はやけに身体に染み、それでも、ご対面がしらふなのはひさしぶりだった。チューハイからはじめる。ストロング・ゼロが違法ドラッグ化した近未来を書いたくだらないけどおもしろいweb小説を読んだ話などした。この、「くだらない」というのはキクチの母の口癖で、しかしたいていは「~けどよい」「~けど好き」に連結する、ある種の逆説的褒め言葉である。わたしもそのDNAを、すくなからず受け継いでいるようだ。

なお、わが家特有(?)の方言、隠語、俗諺として「死ぬ」を「滅びる」と言う。

もっともこれは、賞味期限が切れたものにも適用される。「あの塩辛、滅んだから」みたいに。なんとなく、うつくしい、とおもう。

 

妖怪ぶちまけ娘はちょうど10歳年下で、留学していたため、この(23歳の)タイミングになった。

論文(英文)の内容を「A+だよ」(想像)とやたら自画自賛するので「タイトルは?」と訊いたら「恥ずかしいから教えない」と言う。

「自分の子どもみたいなものじゃないか。自分の子どもに恥ずかしい名前をつけるやつがあるか」「どうせわたしは高校留年の大学中退なのだからわからない」と押してみてもかたくなに教えてくれぬ。

キクチはことばこそ標準語と東京弁のハイブリッドではあるが、魂は慎み深い京都人なので、そこいらで追求を止めたが、無理をしても聞き出しておけばよかったかもしれない。

 

信州佐久出身のぶちまけ娘は、BAR chori店主がなんとなく(本日二度目)つくっていた大根と里芋と鶏の煮物を食べて「茶色くない煮物がこの地上にあるとは…」と絶句していた(自慢しています、ごめんにゃさい)。どや見たか!これが京都や!と言いたいところだが、北海道の昆布はともかく、北九州のあごだしと大分の椎茸を使っているので、下地にまったく京都感はない。せやかて工藤…。

筆の滑るままに作り方を伝授する(おっ、檀一雄先生のようですね)と、昆布、あごだしパック、乾燥しいたけ、酒に、銀杏切りなり、半月切りなり、分厚めに好きに切った大根を水から煮る。沸騰する直前に昆布を上げ、中火にして数分泳がせ、あごだしも抜く。なお、里芋は洗ったのち一緒に入れてしまう(煮崩れしないので)。沸騰したあたりで薄口醤油、砂糖を加え、いったん弱火に戻す。再度煮えたら火を切って、数時間後(20分、30分後でもいいが、味を染みさせたいなら翌日食べるくらいの気概で臨むとよいとおもう)、鶏モモ切り落とし、生姜を入れ、さらに煮立たせる。鶏の場合、アクはほぼ旨味というか雑味の薄い油分といって差し支えないので、しゃくるのはお勧めしない。味がぼんやりしていたら岩塩の出番だ。好みでネギの青いところを足してもよい。いわば鶏スープのような味覚が前面にあり、ボトムには和の重厚さもある。

 

さて。

呑むとなればとことん、であるから、のんでのんで、たまに寝て、起きてまたのむ。

だいたいそういうふうにできている。

「好きな英単語は?」と訊かれ、「wonder」と答えたら、なんとそれが一致していたりして、われわれはハイタッチを交わしたことであったよ。

 

結局、なにも具体的な卒論提出祝いはできず、ただ店を開いただけであるのだけれど、約丸1日、のんで食べてしゃべってねむって、たのしかった。彼女は頭がいい。頭が悪いひとなんてそもそも名刺交換で終わってしまうから、当たり前なのかもしれない。でも、頭がいいというのはね、言うなれば5月の風を「薫風」と表現できるようなひとのことだとおもうのです。勉強がどうこう、そういう問題じゃない。どんな偉い役職についてるかのみの話でもない。世界に都合良く利用されないこと。その地力があるということ。

切ったばかりの髪の毛も、浅瀬と深海の間くらいのネイルもとてもきれいだった。

web小説で「ニューキーツ」(シリーズ)というのがあって、ご存知の方はそこまでたくさんおられないだろうけど、登場人物たるイコマの気分になった。いや、これは若干正確な表現と遠いかしら。でも、コンフェッションボックスたるBAR chori。

 

これからもたくさんのことを忘れてゆくのだろう。

そのたび、なんだか身のうちのふるえるような、出会いや別れが待っていればいい。

ピントの合わない目で、ちゃんと見ているよ。ずっと。