ミラノを見て死ね
ずっと京都で死ぬつもりだったけれど、ミラノでもいいな、と突然おもった。ナストロ・アズーロとカプレーゼを六文銭がわりにわたる三途の川があっても悪くないだろう。
キクチは31年、というか明日でもう32年も生きているくせ、たいして海外の街を訪れたことがない。パリ、フィレンツェ、ローマ、ブレシア、ミラノ、北京、ハワイくらいであろう。そのなかでもミラノは仕事の関係上約一週間滞在したこともあって、多少なりとも感慨の溝がふかい。
「ナポリを見てから死ね」は有名な俚諺なのだが、ぼくにとっては未踏の地であるナポリより、明けても暮れてもカフェ「チンチン」(乾杯、という意味です)のテラス席にて「ウン・ビッラ・ペルファボーレ!」とおだをあげつづけたミラノにやはり三千点くらいポイント付与したいところである。
なぜミラノの話をしているのかが自分でもよくわからないのだが、これはおそらく、「うわーそういえば活動再開的なライブまで1ヶ月を切ったぞーそしてなんの練習も用意もしてないぞーさらにいえばそのことについて一抹の不安も感じてないぞーどうしようこれどうしよう違和感仕事しろ」みたいなこころの動きではなかろうか。
そう、ぼくらの最後のライブはミラノだった(っていうと、ちょっとかっこいいな)。
明日、ぼくは32歳になる。
相変わらずの汚い部屋に詩行が散逸して久しい。
ここより落ちたらもう掃き溜めしかないというような、場末の詩人の気持ちで、しっかりやりたいとおもう。
ぼくは天才ではないが、ひとと比べてどうこうというレベルでない才能だけはある。