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キクチミョンサ的

「なれのはて」ということばがよく似合う、ちいさなぼくのプライドだよ

煙か牛タンか馬の骨

馬上少年過
世平白髪多
残躯天所赦
不楽是如何

 

いまでもよく涙を誘いにくるのはこれだ。たいてい、夜も更けたころに訪れる。紅顔の美少年(!)時代から厭世気分のつよい、あるいはそれを気取りたがるぼくにはよく似合う、伊達政宗晩年の作である。

 

馬上少年過ぐ、世平らかにして白髪多し、残躯天の赦すところ、楽しまずしてこれいかにせん。

 

「気がつけばなんか齢とっちゃって。仕方ねえけど余生を楽しむか」あるいは「こんな不本意な人生だったわけで…楽しめるわけある?ないっしょ?」。解釈は正直なところわからない。

伊達政宗自体は有名であっても、この詩は司馬遼太郎の短編に採り上げられたことで人口に膾炙したのではないかとおもう。

 

ぼくの父方の曾祖母は仙台出身だった。

自分が生まれる前に亡くなっているので直接会うことはなかったものの(そもそも明治のひとで、87歳ちがう)、士族出身(ここは諸説あり※~の実子か養女かとかそういうのもふくめ)でのちには仙台名誉市民に叙されたという。ついでにいうなら京都の名誉市民でもあったらしい。これはいまネットで調べた。ネットのことはぜんぜん信用していないが、ソースが複数あったので(また、エピソードならともかく、生年月日や公的な賞与に関しては記述者が嘘をつくゆえんがないため)たぶんそうであろう。

宮尾登美子「松風の家」では彼女をモデルとしたひとが第二部の主人公として描かれている。

余談だが、ぼくの祖母も字こそちがえど訓みのおなじ「登三子」である。だからかなあ、宮尾さんのことはどうしても好意をもって視てしまう。

 

仙台には一度だけ行った。

あれはたしか、洞爺湖サミットのあった年(ちょうどその期間、札幌を皮切りとして福岡までのツアーをおこなった)だから8年前のこと。

札幌駅でビールやら焼酎を買い込み、いまは亡き夜行列車「急行はまなす」の普通座席に乗り込んだ瞬間、頭のわるいキクチもさすがに気づいたんだ。

「この列車には喫煙車両も喫煙所もない」

青森まで。

 

もう一回殺してくれ来週、じゃなかった、ヒゲだけどもぼくは、ともかく、その後数年して厳冬期のはまなすに乗ったときはいい具合に函館で目がさめた。15分だか20分の停車。ホームには、それはそれは寒いとはいえど、いちおうちゃんとした喫煙所が設けてある。天国かとおもった。実際、天国だった。午前3時ごろに見上げた電光掲示板には別の電車「上磯行」の表示。ああ、旧い友人のいる街だ、とおもった。

 

ちょろっと話が錯綜して申し訳ないが、前述一連だけすっ飛ばしていただきたい。

2008年7月のキクチ(当時はキクチでもなんでもなかった)はそれでも午前10時くらいに仙台に着いた。いま調べると途中で乗換えなどあったようだが記憶にない。「うわーあれが青葉城だー」と呆けた詩人は、どうしてだか国分町だったか、のファミレスに入った。ファミレスに入った。なんでだ。と、2016年のぼくならあきらかに怒髪天をつくのだが、23歳の若僧が、10時に開いてる酒場をもとめて異境をさまようのは正直無理でござったよ薫どの…(緒方さんの声でご再生ねがいます)。

 

ぼくは、そのファミレスにどういったわけか午前~昼のハッピーアワーがあったのをいいことに、それから8時間くらい飲みつづけた。それでもまだ夕方なのだ。

国分町のアーケードのなかでいちばん安そうな漫画喫茶を見つけてそこでねむった。

 

牛タンは食べなかった。