キクチミョンサ的

「なれのはて」ということばがよく似合う、ちいさなぼくのプライドだよ

狼は二度笑う

わたしが人狼ゲームをはじめたのは2015年9月のことであった。

6月にchoriバンド最後の仕事、ミラノ万博でのライブを終え、8月いっぱいでchoriという名乗りを廃業し、ひとまず精神的ニートとなり後顧の憂いがなくなったところで満を持して参加した(ここでいう「人狼ゲーム」とはネット上のBBS型、長期人狼を指す)。

 

初戦は二重の意味で無残だった。

ないよりあったほうがよかろうが、ROM期間とログ読みの量は実戦ではまったくといってよいくらい役に立たぬのだと嫌というほど思い知らされ、初手占いにて確白に、おまけにG10編成(占い師、霊能者が潜伏する)だったため、まとめをやるはめになり、すぐお弁当(確白化した村人のこと。狼にとって好きなときに噛めるので)として墓下へ。格闘技なら試合後のコメントは「なにもさせてもらえませんでした」といったところか。

しばらくは、右と左がわかるくらいでそのどちらへも踏み出せず、RPに凝った。何かから逃げようとしたのか、それとも向き合うべき正面が見えていなかったのか。

 

はじめてから10戦の戦績は、なんと、1勝9敗である。

さすがに(真面目にやっていて)こんなレコードを叩きだしてしまうPLはなかなかいないとおもう。

将棋の順位戦であれば、他者関係なしにかるがると降級点がつくレベルだ。

村人、人狼、占い師…いずれの役職でもわたしは負け続けた。

 

すこし状況が変わってきたのは、クローン(人狼BBS=G国から派生したサイト群)に積極的に参戦しはじめてからだろうか。

発言回数制ではなくPt制、飴(促し=発言Pt回復)の存在、そして狐や共有者といった特殊役職を含む編成。

自動生成、固定レギュレーションのG国と違い、村建て(PLの誰かが村のルールを決めてつくる)の意向次第なクローンは村によって振れ幅が大きい。

それなり手練れのPLでも経験の少ない編成や条件が多々ありうるため、自然とスタート時点でのスキル差は縮まる。

 

気がつけば、そのつぎの10戦は、7勝3敗。

順位戦なら昇級には届かなくても大幅に順位を上げられる星取りだ。

とくに狩人(守護者)でよく勝った。

このころのわたしは気がつけば狩人ばかりやっていた。

初級者にはかなり難しい役職だと今となってはおもうが、GJ(狼の襲撃先を護衛し、死体を出さない)を狙うことより、狼1匹と刺し違えてでも死ぬ、みたいな思想というか偏見をもった狩人だった。

そのうち人狼で何度も同村(一緒にプレイすること)したPLも増え、twitterでつながったり、人狼SNSに招待してもらったり、ゲームとしての人狼だけではなく、人狼を通じた出会いや交流にわたしはのめり込んでいった。

 

のめり込みすぎたのだろう。

2016年3月、人狼ゲーム中に身体の異変をおぼえたわたしは、エピローグを迎えた朝、入院した(それは2週間続く)。

直接的な理由は純粋な不摂生(胃や十二指腸がボロボロになっていた)にちがいないが、その村が自分にとってあまりに辛いゲーム展開だったため、すこし人狼が怖くなった。

しかしトリ頭のバカオロカキクチは退院してまもなく、この世界に舞い戻り、さらに10戦ほど重ねる。勝ったり負けたり。

 

6月、ある村を終え、きゅうに気持ちが切れてしまった。

理由は今もってわからない。

格闘技なら「もう充分やりきりました」だろうか。

この時点でのわたしは、年数と戦歴でいえばまだ中堅ともいえないが、9ヶ月で32戦(長期人狼は1戦に約1週間かかる)というチェーンだったため、あんまり強くないけど特徴的なPLという立ち位置だったのではないかとおもう。

自分でもそこそこ名前が売れた自覚があったし(名前を売ってどうするのだ、という問題はある)、とくにトラブルも起こさずここまで来れて、まあよかったな、が近いのかもしれない。

 

ふつうなら、このまま人狼の世界とはサヨナラバイバイとなる。

 

そもそもわたしはライブをしたり詩を書いたり、そちらで名前を売る稼業である。

周囲の友人たちはそっと胸を撫で下ろしたことだろう。「ああ、キクチがついにヘンな宗教から足を洗った!」「ああ、キクチがやばいクスリをやめた!」彼らは喜び庭駆け回り、わたしはこたつで丸くなっていた。

なにしろ、自分の主催イベントにはるばる伊豆から十数年来の旧友を呼んでおいて、「ごめん、(このあと更新時刻だから)帰る」と言い放った男である。

大事な相談があると言われて「ちょっと今夜は都合が…」そう返してせこせこ人狼をプレイしていた男である。

控えめにいって、意味がわからない。

倫理はあっても道徳がない。

そんなキクチ、ついに真人間になりうるか、と誰もがおもい、静かに時が過ぎていった。なんと1年1ヶ月も。

 

 

2017年7月、なぜかわたしはまた人狼ゲームをやっていた。

 

ブランクの間はログ読みすらしていなかったから、人狼に関するポテンシャルや技術が上がったわけでは決してない。むしろ風化したり流行の戦型についていけない部分が多かっただろう。

しかし、再開してみると、なぜか入る村入る村で「手練れ」「高スキル」扱いをされ、なんならそのせいで疑われることもあった。

いったいいかなる現象か。

やはり10戦(完全に昔のペースを踏襲している)ほど続けながらしばらく考えていたのだが、結論は「それだけこの界隈にも若い(新しい)ひとが入ってきたのだろうな」であった。

 

人狼は将棋とおなじく、歴の長さと強さの比例、相関関係はない。初戦から異常ともいえる強さ(勝ち負けではなく個人のクオリティの話である)を発揮するPLもいれば、100戦以上やっているのに「イマイチだな…」という古参も、また短期や対面からの流入組(異国勢)もいる。

ただ、どうもわたしは、空白期間を経て、義務感ではなくたのしみのために人狼をやる、ということを知ったようなのだ。

当たり前じゃないかおおげさだなあ、とおもわれるかもしれないが、もともと名前を売ることで生きてきた自分は、人狼ゲームにおいてさえ、爪痕を残そうとしすぎていた。

連絡先を交換するわけでも、ライブに来てくれるわけでもなく、ただ一期一会の匿名のPLたちは、詩人にとってはなんら建設的ではない、発展性のない存在だ。

ならば「遊びをせんとや生まれけむ」でいいじゃないか。

詩人としてではなく、いち人狼PLキクチ(IDはmyeong)として、骨の髄までしゃぶりつくすような感覚でこの村をたのしみたい。他の人狼PLと一緒に。

なんとなく、今、そんな心持ちでいる。

 

 

夜が明けて、台風が近づき、雨はこれから徐々に強くなるようだ。

きみの街ではどうですか。

 

いや、きみの村では、どうですか。