キクチミョンサ的

「なれのはて」ということばがよく似合う、ちいさなぼくのプライドだよ

鍋の中

わたしの実家では「お味噌汁の具はふたつ(お吸い物の場合は+お吸い口でみっつ)までというアンリトゥン・ルールがあり、それ以上になると「豚汁」「粕汁」「けんちん汁」といった別役職にジョブチェンジした。

例外として茄子のお味噌汁は茄子+煎りゴマ+辛子であったが、この場合は具+お吸い口ふたつなわけで理解できる。お吸い口とはつまりあれだ、柚子とか山椒の葉とかそういうもの。おつゆを啜るときに口元にあててその香りを楽しむわけです。うわーなんか精神性がブルジョワ

 

特に多かったのは、千切り大根。わかめ。しじみ。豆腐となめこ。玉ねぎとじゃがいも。といったあたりだろうか。

「わかめだけじゃ寂しいからおあげさんでも入れようか」といった類いの感性はわが家の台所にはなかった。ついつい「そういえば賞味期限のせまったナニナニもあるし」となることもおそらくなかった…とおもう。

 

もっともこれは昔話で、去年あたり実家で夕食を喫した際、レタスのお味噌汁が出てきて愕然とし、しかもそれをおいしいとも不味いとも言わずごく当たり前のように食べている家族に顎がはずれかけた。愕、顎と似ている。

話によればトマトとか、ナニナニとか、少なくともわたしには想像のつかない(料理として、ではなく、実家の献立として)具も一般化してきているらしい。主にこのあたりは嫁いでいった妹主導によるものが大きいようだ。そりゃそうだよね。なんでだか塩だけで岩塩やら抹茶塩やらカレー塩やら8種類取りそろえる家になってたし…(かつては食卓塩とアジシオのみだった)。

 

こういうわけだから、20代後半に同棲していた恋人がとにかく具だくさんのお味噌汁をつくるのにはびっくりしたし、「いや、それが仮に一汁無菜(with白米)ならわかるけれども、そのうえに豚の生姜焼きだの煮物だのなんだのがあるのは世界の均衡としておかしくないかね」とおもっていた。そんなふうにおもっていたせいか、ふられた。

 

そもそもわたしは汁物でお酒を飲むのがすきだ。

「いやーキクチさんまじそれ意味わかんないっす」と散々言われてきたが、20代前半からそうだった。もっとも後輩と行くような店に立派な汁物、椀物があるはずもなく、あくまで会話のうえでのやりとりではある。

深夜、おもいたって自分でつくるような、ざっかけない品であれば、その相手は焼酎で充分。けれど、ほんとうにおいしい汁物(この場合は8割方お吸い物を指すわけだが)に出会うと、ふだん飲みつけぬ日本酒をぐいぐいやってしまう。やっぱり、あるんだなあ、血と水のような脈絡が。

 

ただし、わたしのつくる汁物は味噌でもお清ましでもなんでも大抵は昆布とアゴで出汁を取り、酒のみ用にいささか辛くしている。おまけに一度に食べきるわけではないから徐々に煮詰まり、具に味も染み、カサも減る。

汁物の汁物たる尊厳を冒している気分だ。

 

けれど、じわじわと、そんな鍋の中を覗いているのが、たまらなくすきだ。