キクチミョンサ的

「なれのはて」ということばがよく似合う、ちいさなぼくのプライドだよ

33歳

いささか旧聞に属するものの(10日)、33歳になりました。

 

当日は祖父、父母、妹夫妻、弟、叔母、イトコ弟とともに水炊きを食べにいった。

19時には寝たい祖父(「ボクちゃんおねむやから帰る」がパワーワード)を鑑み、「じいじタイム」で17時半から開始。

 

そのときの乾杯の挨拶をなぜかいまでも覚えているので、書きます。

 

「おかげさまでこのたび無事に33歳を迎えることとあいなりました。32歳の1年間はキクチ個人としては”冴えんなあ…”でしたが、10月末から運気も上昇してきまして、”菜の花はトウが立ってから花が咲く”とも申します。わたしもかくありたいものです。それではみんな、ご参集いただいてありがとう。乾杯!」

 

ヤン・ウェンリー提督の「1秒スピーチ」には劣りますが、われながら悪くない(元来が故・原田泰夫先生のような長っ尻の喋り好きなのです)。

 

そうそう。

10月末から、食客(男)が転がりこんできました。いつまでいるか未定です。

その話をしたとき、6歳年下でテニサー(という名の飲み会サークル)出身の弟が「古代中国みたいな?」と言ったのにびっくりしました。

「そうだよ、孟嘗君とか信陵君みたいな。もっとも鶏鳴狗盗じゃなくて部屋掃除してくれるぶんだけ日々役に立ってるけどね」と返したけど、まさかそれがパッと出てくるとはおもわなんだ。成長したね…。

転がりこんできた男は、居候というより食客と評するのが正しいような気がするので、これ以降もこういった表現をつづけようとおもっています。

 

翌11日。

10年以上まえに自分が主宰していた関西朗読詩人の勉強会「花形朗読詩人会"ENTA!"」(ネーミングが完全に茂山狂言のパクリです…)の再結成(?)イベントがありました。

当時20歳すぎ、紅顔の美少年だった最年少キクチも33歳。年長組はとうに不惑を超え。

けれど、みんな、いい歳のとりかたをしたなあ、きれいに歳をとったなあ、とおもいました。

当たり前のようでとってもむずかしいことだと、いまならわかります。

空き地で遊んでいるうち、つぎつぎ呼ばれて帰っていって、自分はひとりさみしく壁打ちでもしてると信じ込んでいたけれど、彼らが父や母になっても本然は変わらないのだな、と己が不明を恥じた。

いいライブでした。

わたしは「きょうは全編カヴァーをやります。chori(前名)の詩を」というMCでドッカン受けたのでそれも満足です。

会場でビール4杯、焼酎7杯ほどのんで、打ち上げで焼酎5杯くらい、それでたのしくなってしまってお客さんふたりを拉致して自宅で朝までのんでしまった。ふたりが帰ってからは帰宅した食客とまた昼までのんでしまった。やりすぎやーん。

 

きょうはとある打ち合わせでした。

10代のころからお世話になっているボスと、初対面のデザイナーの方と。

「打ち合わせ」と聞いていたけれど、実質打ち合わせらしき内容は10分で終わる、これはボスあるある。

3月のライオン」のあかりさんみたいに、若いもの(といってもわたし33歳ですが)がたくさん食べているのを見るのがすきなのでしょうね。

ファーストオーダーで6品も頼み、そこでストップをかけたからいいようなものの、ほうっておくとはてしなくいきそう(結果、10品くらいになりましたが)。

問題は、彼女は自分がそんなに食べないのに、目の前にたくさんごはんがあるとしあわせ!というタイプなので、小食のわたしのこともすこしは考えておくれ…ということです。

ただ、十年以上のつきあいなので、焼酎をアホのようにのみながら、もう粛々と、ふだんの1日ぶん以上の量をいただきました。がんばったキクチ。

血糖値があがり、帰ってきて3時間ほど呻いていましたが、生還してちびちび焼酎をのんでいます。やっぱりお酒は空きっ腹がいちばん。

 

そんな近況報告でした。

あしたのあたしはあたらしいあたし。