キクチミョンサ的

「なれのはて」ということばがよく似合う、ちいさなぼくのプライドだよ

SS

午前中、ちょっとした手続きのため上京区へ向かった。

などというと、いかにも足をのばした体に聞こえるが、なんのことはない、ぼくの家(左京区)からは5分も歩けば、というか鴨川を渡ってしまえば、もうそこから西が上京区である。寸借詐欺的誇大広告といおうか。なんのこっちゃ。

ともあれ目的を果たして、お天気も悪くはなく、帰りは歩くことにした。西陣エリアからなので、ゆっくり考えごとをしながらでも小一時間あればじゅうぶん足りる。ちょうど実家の近所からいまの家まで、そういったルートになった。

3月に上部消化管出血および十二指腸潰瘍およびアルコール性肝障害および腎なんとかおよび、あとどれだっけ、ともあれ「デパート」まではいかずとも「展示会」程度の病気を併発して入院した。われながら長い二週間だった。退院した日から半年以上、それでも毎日酒をのんだ。24時間以上のまなかったことはなかった。それがどうしてだか、きのうはしらふだった。この場合のしらふというのは「のんではいるが酔ってはいない」意ではなく、文句なしにアルコールを一滴も入れていないということである。それほど体調が悪かった。

そんなときにかぎって、半年間、毎日のんでいたくせ、どうしてだか半年ぶりのしらふのときに訃報が訪れる。

 

「しんたがしんだ」

午前0時過ぎ、頭のなかがぐるぐるしている。しらふだから頭のまわりは速いはずなのに、あれー、おかしいなあ、マイクを握っていたとおもったら大根だったぞ、みたいな現実と処理速度の乖離。何周かしてはじめてそのおかしさに気づく。

「しんたがしんだ」はいくらなんでも韻踏みすぎだろう、なにやってくれちゃってんだお前。そうおもって言い換えようとした。

「しんちゃんがしんじゃった」

おいおい00年代初頭のMCバトルじゃないんだからオヤジギャグと一緒にはめんなよ同じ枠。ていうかなんだろう、これ。おまえいくら名前の漢字が「ところてん」と一緒でヤヤウケ人生送ってきたかもしれないけどそんなふうににゅるっと生きたり死んだりするもんじゃないよ。さすがにまだ後が詰まってるわけないじゃんか。おれより3歳か4歳若いじゃん。酸いも甘いもまだまだじゃん。酢醤油でも黒蜜でもかけたっていいんだけどさところてん。あれ、おれもしかしてうまいこと言った?

そんなこと言ったって、しんたは、しんだのだ。しんでしまったのだ。

 

しんちゃんは数少ない、というか、ぼくのバンドメンバーを除けば、ほとんど世界に数人しかいない「一緒に曲を演奏した仲間」だった。こちとら詩人なので使い勝手も使われ勝手もよく、すでに31歳の現在ですらそういったセッションは数十回、数百回ではきかない。また、どちらが主従にせよ、ゲストとして絡むミュージシャンも多い。しかしそれはあくまで「その場かぎり」の、よくいえば緊張感にあふれた、そうでなければ行きずりの恋に似たワンナイトスタンドだ。

しんちゃんと、彼のバンドと、ぼくやぼくのバンドはなぜかよく隣り合った(それはぼくが彼らを大好きだったからだ、といってどこからか疑問符のつく筋合いはない)。年齢はすこしだけこちらが年上だったが、ぼくは彼らのなかにお邪魔して彼らの曲中で詩を朗読した。彼らはぼくのバンドの曲をアレンジしてくれ、何度も「~ヴァージョン」というべきかたちで共に鳴らした。恋ではなかったかもしれないが、愛と情がそこにあった。

 

ぼくは満身、詩人であって、そして音楽家のかかとの先くらいをかじって生きてきた。指を折ってみればそれぞれもう17年と13年だ。

当たり前のごとく、詩人も音楽家も、早く死ぬ。すくなくとも、サラリーマンや主婦よりかは、目に見える場所で、あるいは理不尽なやりかたで、経緯で、原因で、いなくなってゆく。こういう言い方は不適切な部分をふくむことは重々承知しているが、たといそれが事故や宿痾といったある種の不可抗力をはらんだものであれ、自分で選んだ、または死に選ばれたことが決め手であれ、同業者や友人知己の死には10代のころから慣れていたつもりだった。否、慣れざるをえない、といったほうが正しい。もはやそこにいちいち新鮮な驚きと悲しみを感じてしまっていたら、次には自分が死に引き込まれてしまう。

 

そうおもうと、しんちゃんがしんで、ぼくみたいななれのはてのアル中野郎が生きている、すくなくとも仮に今夜斃れたとしても、人間の一生をただ長さではかるならば、しんちゃんより長生きしてしまった事実の消えないことにまったく納得がいかない。

ぼくにとっては、はじめて、おそらく(と言いつつ、もし既にそういうひとがいてぼくが把握していないだけだったらどうしよう、そう暫時不安になるほどには物故者が多すぎるが)おなじステージで、ぼくの詩を、ぼくのそして彼らのために演奏してくれた音楽家が逝ってしまった。

しんちゃんはただただいいやつだった。すばらしいベーシストでもあった。けれど、思い出なんか、いざ思い出になった瞬間、嘘みたいにあっさり美しくなるから、これはただの自己愛の発露にすぎないだろう。

ぼくが彼について言えることはそれほど多くない。人間的なエピソードなら叩いて売るまでいかずとも、一晩くらいなら語りつくせるほどには持っている気がするが、あくまで彼は音楽家だったのだから。いや、音楽家なのだから。

 

しんちゃんは鍵盤とギターのツインボーカルのバンドのベーシストだった。ドラムはいない。3人だけのバンドだ。

 

彼にピンスポが当たることはなかった。

けれど、彼にいちばん似合う明かりはSSでもあった。