キクチミョンサ的

「なれのはて」ということばがよく似合う、ちいさなぼくのプライドだよ

匡廬便是逃名地

「革命はテレビ放送されない」とギル・スコット・ヘロンは喝破したが、べつにテレビ画面にうつらないムーヴメントすなわち革命とはかぎらない。初歩的なロジックである。そして、われわれ、含意というものをあだやおろそかに扱うわけにはいかないのだ。

 

三浦弘行九段への処分を即時撤回」というトピックが署名サイトにできた。change.orgというやつだ。ぼくは、その行動自体には敬服する。いや、敬服まではいかないにせよ、あげらるるべき声が、あげらるるかたちで発語されたようには感じる。しかし、どうしたって引っかかってしまうのがその発起人のツイアカ(このために新設したのであろう)が「shogiseigi」(将棋正義?)であり、また、くだんのサイトでの名乗りが「発起人 将棋ファン」で統一されていることである。

べつに、本名や勤務先、居住地をつまびらかに俎上に乗せなさい、とまではおもわない。仮にそのひとがそうしたあげく、なんらかの危害を受けたとて、ぼくには守ってあげることもフォローもできないのだから。

 

しかし、いみじくもこの現象は、群盲が撫でる象の数を増やすことにほかならない。さいわいというべきか、賛同者(署名をし、公開されるコメントを書いたひとたち)は、いちおう、ほんとうかどうかは別にして、本名らしき名前で参加しているケースが多い。ただ、それをもってこの運動全体をまっとうな、理性的なものであると判断することは難しい。

 

それは(私見ではあるが)あくまで「発起人の顔がみえない」ことに拠る。

 

想像として。

発起人はこのためにはじめてツイアカを獲得したわけではないだろう。SNS上でそれなりに発信をしている将棋ファンで、今回の署名活動のため、まぎらわしさや無意味な齟齬を排するため、新しくアカウントをとったのだと推察する。

けれどそうなのであれば、せめて元のアカウントへのリンクなどをプロフィール欄に記載してほしいものだ。「あくまでこのアカはこの署名呼びかけのためにつくったものですが、これこれこういう人間がやっています」というアピールがないなか「shogiseigi」「発起人 将棋ファン」という名乗りをぼくは信じることができない。いくらそこに綴られている言説ごもっともであってもだ。

 

なぜか。

 

それはこの一連の事件がいまだ「見る角度や距離によって色もちがえば、どこにプライオリティを置くかで180度視界が変わる」たぐいのものだからだ。

 

とはいえ、(おそらく)一ファンが立ち上げたこの活動自体は否定すべきではない。

ただ、その瑕瑾として、匿名の、仮に良心的であっても「匿名」の誰かさんがはじめた、ということにぼくは悲しみをおぼえる。

そのうえで、餓えた人間が水場にむらがるがごとく、短時間で署名が集まっている現状にも、すこしばかり、純粋なよろこびとはいえない寂しさを感じるのである。