キクチミョンサ的

「なれのはて」ということばがよく似合う、ちいさなぼくのプライドだよ

溺れる魚

12月11日。

朝から叡王戦を観る。

控えめに言って最高だ(と言ってみたかっただけ)。焼酎がすすむ。進といえば故・板谷先生の座右の銘は「将棋は体力」。「クロガネの不沈艦」故・坂口先生や、「夜戦になるまではなんとしてでも粘る」故・北村先生など、むかしの先生をおもいだしたりしちゃったりして。

 

なぜだかきゅうに思い立って、昼過ぎ、一乗寺へ。

村島洋一の出演する「DOP」という今年で二回目をむかえるサーキット(複数会場で開催される音楽フェスのことです)を観に。酒精の助けもあって、うきうきしている。そういえば、自分の出ない、純粋なイベントへいち観客として足を運ぶのは1年ぶりだ。

叡山電車にゆられながら、京都精華大時代のことをなんとなくふりかえる。ふりかえってもそこには誰もいないのにな。

 

イベント自体は、あまねくまわったわけでないのでえらそうなことは言えないが、よくいえば地域発信型の手作り感があり、いささか辛辣に見るならサーキットという概念に欠けていた。

たとえば「リハ時は観客追い出し」これは冬の一乗寺(寒い)というシチュエーションを鑑みるにやや不都合であるが、理解はできる。

会場スタッフいわく「ほかのお店でもライブやってますので色々観て行ってください」それもわかる。しかしそのとき、ライブをやっているのは一駅となりの一店舗だけで、タクシーを使って往復すれば次の出演者までにぎりぎり戻ってこられる、というタイミング。つまり動線やタイムテーブルの把握ができていないわけです。

お店のひとやスタッフの人柄がとてもよい、それはたいせつなことだけれど、これでは人が入れ替わったときに、というか、おそらく毎年ゼロから積み上げなくてはいけない。おもわず「来年あるならぼくボランティアやりますよ」と言ってしまったが、約束は果たさねば。なんというか、おぼこさも中くらいまでは許せるけどおらが冬、というかんじであった。ちゃんと経験と定見のある人間が(上のほうにも、現場にも必要なので難しかろうけれど)参入すればもっといいイベントになると手前味噌ながらおもうんだ。

 

村島のステージはよかった。岡田康孝(コントラバス。余談ではあるがこの2人にドラムの濱崎カズキを加えたバンドでキクチは活動していた)とのデュオ。攻めっ気の強い、正直にいえばあまりフェス・サーキット向けではない内容。とはいえ、やりたいことをやる、己が信ずるところを往く、それがええんとちゃうかな、実際めちゃキレッキレやし…などと頷きつつペンを走らせていたら、最後の曲で突然呼びこまれてセッション。

身体が覚えているぶんだけこころも動いてくれたが、いまだ山麓である。技術面では色褪せずとも、「殺してやる」という気持ちは錆を落とすのにけっこう時間がかかりそう。ましてナメとるやつ全員殺すマンの村島と、音楽愛の伝道師みたいなヤスのうえでマイクを握るわけで、これは早急にメンテナンスおよびブラッシュアップを行わないと、ただひたすらかっこよろしくない三十路の誕生となる。危ない、あぶないぞ、キクチ。日光猿軍団に弟子入りして反省のポーズ。

 

なんだかんだでその後、別の会場へ流れ、なかなか味の沁みているいいオジサンの歌を聴いたり、焼肉をたべたりした。途中からは記憶がない。村島洋一と岡田康孝とサイトウナツミといると、父と母と伯父が一度にやってきたかんじで安心する。安心したって、のみすぎには変わりない。酩酊はともかく、腰が抜けるのダメ、ゼッタイ。

気がついたらどこかで転んでいた。うまく起き上がれなくって村島の肩にすがって歩いた。まだ18時かそこら、とっぷりと暮れた北のちいさな町を、ゆっくりゆっくり。なんとか叡山電車に乗って、つぎに目覚めたら家で寝転がっていた。

 

魚のなかには泳ぐことをやめると死んでしまうものもめずらしくないらしい。将棋界では(おもに順位戦で)「サメ、カツオ、イワシ」という表現がある。順番に昇級候補、中位(昇降級にまず関係なし)、カモ、なわけだ。

つめたくて硬い床のうえに転がっている自分は、いったいなにものだろうとすこし考える。二日酔いをかかえてだらしなく寝そべるこの姿自体が、なにより雄弁な答えなのかもしれない、とおもった。

 

できるだけ早く死んでしまいたいが、まだ死ねない。

それだけはきっと、ほんとうのことのようにおもわれた。