花咲ける石(中編)
前回、「パンがすき、という棋士をきみは知っているか」としたためて擱筆したのち、キクチは街へ出た。
言うまでもなく、やけ酒のためである。
TOMOVSKYに「散歩のための散歩」という曲があるが、まさにやけ酒のためのやけ酒。なんだそれ。ああ、このまま冬になっちゃえ。
19時ごろから翌朝5時まで、テキーラ、木村先生を褒め称える、ダーツ、木村先生のお茶目さを吹聴する、ボトル空ける、木村先生がいかに棋界にとって大きな存在か、ボトル入れる、木村先生がついにかじゅき呼ばわりになる、テキーラ、かじゅき、テキーラ、かじゅき…といった手順で、アルコールの海を泳いだ。安直に手抜いてときどき溺れた。がしかし、そのたび人口蘇生してもらっていたのでなんとなく生きている。ひとはパンのみに生くるにあらず、というが、ぼくはだいたい酒と女の子があれば死なない。
気がつけば朝方の定食屋でビールをのんでいた。店を閉めたバーテン2人、そのうちひとりの恋人、居合わせた知らない女の子、ぼく、の5人。しらじらと街の明度が上がり、ぼくらのくたびれてあぶらの浮いた横顔を照らした。
バーテンたちを見送ったあと、ぼくはどうしたことか、その子の部屋にいた。シングル・モルト。座卓。年季の入ったエアコン。チェブラーシカの靴下。すこし厚ぼったい目と、かたちのいい耳朶。
名前も連絡先も知らない女の子と寝るのはひさしぶりで、けれどそれがぼくのこころのうちのなにものかを動かすことがない、とわかっているのもひさしぶりだ。ただし、彼女はとてもかわいい女の子で、どうやら彼女自身もそれを知っているようだった。悪いひと(たち)だ、とすこしおもった。違和感、ちょっとは仕事しろ。
昼過ぎ。傘を借りて部屋を出てすぐ、小雨は上がっていた。ああ、こういうふうにしてはじまるものもある。はじまらないものもある。
彼女のうちからぼくんちまでゆっくり歩いて5分。
スーパーで、豚肉とキャベツ、えのき、ニラ、それからコロッケを買って帰った。すこし冷めたコロッケは、なんとなく懐かしい、ピントのぼやけた味がした。
往生際もわるく、後編へつづく。