キクチミョンサ的

「なれのはて」ということばがよく似合う、ちいさなぼくのプライドだよ

花咲ける石(前編)

初夏にはじまった王位戦も第6局、とっくに晩夏である。

しかし巻菱湖といえば書家であり、真木よう子といえば…キクチは現実逃避することにした。すでにここまでにおける発想がオヤジギャグの三番叟だ。そして王位戦は銀波荘ではやってない。陣屋だ。あと本局の使用駒は菱湖でなく錦旗だし、昼食こそ相掛カリーではあったけれど戦型は角換わりである。もう「つらぽょ」ということばにくるまれたい。わたしは鶴巻温泉を抱いていたい。抱けるか。こぼれる。涙とか。

 

この家の名物たる「陣屋カレー」は、木村一基先生の兄弟子である故・米長永世棋聖のリクエストでうまれたという説がある。ご存知ない方のためにすこし補足すると、これは陣屋のレギュラーメニューではなく、将棋・囲碁のタイトル戦開催時のみ対局者や関係者が食することのできる、いわば裏メニューだという。

 

棋士とカレーの縁はふかい。

戦前から戦後にいたるまで多くの内弟子をとり、それのみならず超一流棋士を幾人も輩出した故・木谷實先生(囲碁)の「木谷道場」では、ひとの出入りの多い日には50~60人ぶんのカレーを大鍋につくっていたというし、将棋ならばタイトル戦でのカレー定跡が過ぎて(?)ついに半公認Tシャツまでつくられてしまった森内先生をはじめ「ああこの先生ならここでの注文はカレーだな(カレー系のうどん、そばもふくむ)」という、カレー党が居飛車振り飛車などと並んですでに一党一派をなしているといって過言ではない。余談ながら窪田先生が先日ご自身でおつくりになられた(とおもわれる文脈と写真)のはスープカレーであった。新手!

とはいえ、そのあたりはキクチがだらだら語るより、松本博文さん「棋士とメシ」や、松本渚さん「将棋めし」をはじめとした連載中の随筆や漫画、そしてつい昨日リニューアルされた将棋連盟での直江雨続さんのコラムなどすぐれたものが多々あるので、どうかそちらをご照覧いただきたい。

 

さて。

木村(一)先生といえば順位戦など持ち時間の長い対局でも原則的にあまり量を召し上がられない。一時期はバナナとヨーグルトと飲み物、のような定跡が有名だった(実際、本局の1日目も豚重「ごはん少なめ」)。

ほかにも挙げればきりがないが、加藤(一)先生の昼夜かぶせのうな重or天ぷら、丸山先生の定食になにか追加、羽生先生の(なぜかホテルニューアワジのみ)きつねうどん連採、永瀬先生のお寿司サビ抜き、何人前平らげてもだいたい「足りないんですけどね」とおっしゃる田村先生、かたくなに出前をとらない門倉先生、などなど。

ことほどさように棋士と食事はその性質上、切り離せない部分があるのだけれど、ちょっと待った。われわれはなにか見落としてはいやしないか。

 

そうだ。

棋士と食事を語るうえで、「~党」「大食漢」「~類のひと」「気に入ったものを一定期間注文しつづける」「この店に決めている」「食事よりおやつが楽しみにみえる」とか、そういった観念はある。そういった印象はある。

しかし、「米よりなによりパンがすき」という棋士

パンがすき、という棋士をきみは知っているか。

 

次回、後編へつづく。

 

 

 

書き終えて終局を知る。木村王位がみたい。