キクチミョンサ的

「なれのはて」ということばがよく似合う、ちいさなぼくのプライドだよ

きれいですね

狂ってしまいたいとおもううちは

まだ狂っていないから

大丈夫だ

ふざけた踊りおどりつづけて

なにが大丈夫だ?

きみの膚は見えてる

シャワー浴びすぎてカサカサだからこう言うんだ

「きれいですね」って。

 

誰かが思い出を棄てた

ひとつ、ふたつ、みっつって数えて

ぼくはそれを拾った

整わない未来のために

ぼくは、それを拾った

 

行く末も越し方も今なおここで澱む空気も

破顔一笑、そんなことじゃきみだってつまらないでしょう

木屋町を出て四条を東へ東へたどった

鴨川を越えて

あの子は言った。「きれいですね」って。

ぼくはそれに値しない

 

どうでもいいようなひとと

心底愛したひとと

誰の隣でも夜は平等に過ぎてゆく

「なんか、へんなかんじだ」

ぼくはおもうよ

生きてるやつが「死」について語るとき

意味はなくともほんのすこしだけ

そこからこぼれるものも

またひとつの、ふたつ、みっつの

「生」じゃないかと

 

 

シャワー浴びすぎたんだろ

知らない男の咥えすぎて疲れたんだろ

きみがねむりにつくころは

どこか遠くにいる

けれど

整わない未来のために

ぼくは、それを、拾った

 

 

  

あたらしい世界じゃなくても(2)

午前9時過ぎの三条は、土曜日ではあったが、雨上がりのしずけさが散りばめられていた。あちらこちらに目には見えない水泡のようなものが漂っていて、ときどきそれがパチンとはじけるかんじ。

 

バイト先のシネコンへゆく。

かつて7台あったチケットカウンターはすでに無く、かわりに立派な券売機(自動発券機)が鎮座していた。わずかに人間の担当するボックスが旧ポディアムのあたりに3台あり、そのうち1台はclosed、残った2台にも客が並ぶことはなく、社員が(おそらく)新しいバイトを指導するために開けている、という雰囲気だった。

それでもどうも機械でチケットを買う気持ちになれず、心中スマヌスマヌとつぶやきながら、そちらへ向かう。「一般です」「10時からの聖の青春を」「J8で」。シアター3だからJではすこし前すぎるかなあ、ともおもったが、なるべく周囲にひとの少ないほうがいいので、数秒間の脳内自分会議のすえ、J8、きみに決めた!なお、通路側なのはキクチがパニック障害の前科をもつためで、閉鎖空間(劇場や新幹線など)では定跡手順である。ふふふ。なんかかわいい。余談ですが10代のころは「~障害とか~症とかそういうのかっけえ(意訳)」と、あまりにもばかな憧れ(作品やパフォーマンスのかっこいい詩人にそういうひとが多かったんですね)を抱いていたものの、いざ自分がそうなるとぜんぜん笑えない。けれど笑わないほうがもっときつい。なので笑う。という三段活用で、ほんと、くだらないなりに生きてます。

 

無事チケットを購入し、開場までまだ30分ほどあったので、となりのドトールに入る。小さいコーヒー。砂糖なし、フレッシュ。越智信義さん編の随筆集を再読。

 

封切初日ということもあってか、「聖の青春」が上映されるシアター3は約360席の、MOVIX京都ではもっとも大きな部類に入る劇場だ。数日後からは中規模のところに変わるのだが、はっきりいって不安である。もちろん当日の上映スケジュール的な兼ね合い(他作品との相対的な動員予想など)はあるとして、いやいやいくらなんでも、これは大きすぎやしないか。それは悪いほうに的中した。映画の成功を願う将棋ファンとして、事実とはいえ言うべきではないのかもしれないが、一般人のお通夜でももうちょっと大勢くるだろう、というくらいの入りである。

だがしかし、一面においてそれはほんとうにどうでもいい話。上映がはじまるまでの約20分(予告ふくむ)、おじいちゃんおばあちゃん、ないし、おじちゃんおばちゃんたちの小声での会話に耳をすませていると、これがなかなかにディープなのだ。故・村山先生のエピソードを語るひと、「先日の~戦はこれこれこうだった」などと棋戦の解説をはじめるひと、将棋界の未来について熱弁をふるうひと。ああ、(おそらく家を出るころは)雨の、土曜の朝にここへこの映画を観にやってくるひとというのはたいがいが将棋への熱をもっているのだな、と、なんだかうれしくなってしまう。

 

ぼくは、だまってJ8席にすわっていた。1階からコンセ(売店)のにおいが上がってくる。あの、ハチミツと砂糖とトウモロコシがないまぜになったような甘ったるい「映画館のにおい」。映画館で映画を観るなんて、もう5年以上ぶりだ。

これまで自分が何万枚のチケットを発券したかわからないけれど、いざ客としてこうやって腰をおろすと、ぜんぜんちがった風景がみえてくる。聞こえてくる。香ってくる。

きのうがいかにうつくしくても、きょうがどれほど予測不能でも、「ここから先」はなにがなんだっていいじゃないか。それがたとえ、あたらしい世界じゃなくても。

 

目をとじる。

 

目をあける。

 

「聖の青春」が、はじまる。

 

 

 

あたらしい世界じゃなくても

11月18日、早朝から家で焼酎をのみながらごろごろしていると、夕方ごろ旧友Tから電話。「のもうぜ」ということになる。

Tは数奇な運命をたどったひとで、福井にうまれ、舞鶴の高校にかよい(そのころなぜか京都のぼくと知り合った)、山口の大学へいき、途中休学して東京へ出て、大学卒業後そのまま山口で就職し、気がついたら今春京都へ引っ越してきた。解せぬ。ぼくにとってはもはや空気のような存在なのだが、なんというか、「イラッとする空気」である。たぶん先方も似たようなふうにおもっているだろう。ふたりとも、表現するもの同士だからそれでいい。

 

彼が遊んでいるというボードゲームカフェへゆく。正直なところ、ぼくはあまり気が進まない。タクシーを待っているあいだに調べるかぎり、どうやら禁煙のようだったから。「たばこも吸わずにゲームができるか!」キクチはそう言ったとか言わないとか。ともあれ、アルコールはあったため、ビデオ判定の結果セーフ。白ワイン、500円くらいだったとおもうが、大ぶりのグラスになみなみ。ここで機嫌いくぶんか直る。

なんとかというドイツの資産増やしゲームのようなものに興じる。T、そしてカフェの常連らしきひとと3人。当たり前のようにカモと化す。その後、ガイスター。3局つづけて負け、最終4局目で幸運にも一番返す。これはおもしろいな、とおもった。われながら現金なものだ。

 

そこからDD。生ビールがうまい。途中、Nから「おちょりさん、今日は飲みにでてはりますか?もしお近くでしたら(後略)」という「ここにいるよ」メール着。かわいいかわいいN(ここらへん、入江相政日記をイメージしてください)のためCAPOに移動。しばらくのんで、またDDへもどる。すでに意識はもうろうとしている。しかし、さまでそう見えないのと、自覚がないのとが、わが酒癖のよろしくなさよ。とはいえまだまだのめることに変わりはない。ほうこうする夜はつづく。

何時ごろだったかすでにおぼえていないが、そこそこいい時間、Tの恋人来。聞けば近々結婚するという。披露宴だか二次会だかでなにかやれといわれたので、それならTと一緒に恥ずかしい過去作でもやろう、と提案する。われわれのつきあいはすでにお互いの人生(同い年である)の半分をかぞえる。いろんな意味で戦友であり、いろんな意味で兄弟であり、いろんな意味で敵である。どことなくかびくさい、青春のにおいを(すくなくともぼくは)いまだ引きずっている。草に埋もれてねむったときのようなにおい。

 

気がついたら、Tたちは帰っていた。ぼくはYと魁力屋にラーメンを食べにいった、気がする。ということはまだ2時より前だ。たいして深くもない時間帯ではあるけれど、個人的には24時間以上のんでいた計算になる。

そのあと目覚めると、漫画喫茶で、朝の6時半だった。腹は減っていなかったけれど、なか卯に鴨そば(うどん)が出たので、ありとあらゆる肉のなかで鴨を最上とするキクチ的にはどうしても食べる一手しか見えず、足を踏み入れた。うまかった。しかし、あんのじょう、帰宅してすぐ吐いた。

 

二日酔いなのだが、正確には二日酔いになりきるまえの二日酔い(このニュアンス、伝わるだろうか)だったので、約2時間後、ぼくはまた三条へとんぼ返りする。

 

「聖の青春」を観るために。

 

 

 

おぼれるものは

おぼれるものは藁をもつかむというが

ほんとうは

笑いをつかもうとしているのだ

最後にきみの

しらけきった顔が見たい

 

喜劇はいつも無言のうちに幕を上げる

棺オケをワインで満たし

ひびわれたパンと接吻をかわす

日曜日くらいは

休んでみたっていいだろう

それから

拍手ひとつ聞こえない淵に

深沈としずんでゆく

 

 

一夜

おぼれるための準備体操をしながら

ぼくは妄想する

みずからの表札を取り外すまえに

そこへこびりついた浮世の垢や汚れを

聖者みたいな顔して

ぬぐい去ってやろうと

 

 

 

寂しさをのせない口の端もあり

深夜にピーター・バラカンがリポーターをやっている英語(圏、ないし話者対象の)番組などみていると、てきめんに寂しくなる。おもしろうて寂しい。そこにキクチはいないからだ。いとしさとせつなさと心強さと、うれしいとたのしいと大好きと、そしてやがて悲しきタヌキである。あ、いま、てきとうなことを書きました。われながら懺悔早い。

 

「寂しい」と表記してはいるものの、ぼくのなかでは「さみしい」「さびしい」「寂しい」「淋しい」はすべて別ものでありそれぞれ色を持っていて、たとえていうなら、マックの商品という意味ではおんなじだが、テリヤキバーガーとマックポークチキンフィレオグラコロはいっしょくたにできぬではないか、というようなことである。しかし、みもふたもないがマックはなんでもおいしい。すくなくともチェーンならば他はどうでもいい。この意見を先日、家族親戚集まった席で披歴したら総スカンをくらった。きみたちには惻隠の情しかないのか。

 

さて、趣向を変えて、といえば聞こえだけはいいが、キクチはどうやら寂しさのあまりエゴサ(ーチ)活に励んでいた。もちろんそのような造語はない。市民権を得ていない、ではなくって、純粋な意味でそもそもない。

そうしたら、1年半以上前に自分がうっかりやっていたブログを発見してしまった。そして憎たらしいことにその文章がたいへんよかった。

この「キクチミョンサ的」は仮にぼくが劇的な死を遂げてもせいぜい家族のゴリ押しで私家版としてまとめられる程度が予想しうる最上の結末であろうけれど、彼、すなわち「墨酔奇譚」(という題名です)は、贔屓目を抜きに、プロの物書きとしてきびしい目でみても(連載ものとするなら)そこそこのクオリティを持している。なんでや。自律神経ぶっこわれていたのに。え?逆(手紙はここで途切れている)

 

であるからして、今後、たまにネタが切れたとき、というよりは、根性がつづかなくなった(訳:途中まで着地点を想定して書いているのだけどもうめんどくさくなった)とき、断片的にではあるけれど、そこからいくらか紹介したいとおもう(訳:きょうももうめんどくさくなった)。ただ、さすがにのっぺりコピペではアレなので、自戦解説的に最後にすこしだけ注釈を入れますね。また多少の編集を加えています。

「酒中日記」と題された、今回は記念すべきその第一回を。しかし「墨酔奇譚」とは、永井荷風(どうやら鴨川の東に住んでいるから「濹東」とかけたかったようだ)も七條兼三もびっくりである。

 

 

(2015年4月11日)

 

菊地氏(仮名)は3DKにひとり住まいである。
正確にはついこのあいだまで恋人と暮らしていたのだけれど、ウキウキ★同棲生活は1年もつづくことなくあえなく終焉となった。
恋人は帰郷し、実家の軒先には幸せの黄色いハンカチかなんかがたなびいているかもしれない。

さて、昼下がり、菊地氏(仮名)はすっかり廃墟と化したわが家でのろのろ起き出した。
嘘である。
7時くらいには起きていた。
なんの生産性もない嘘をついてしまった。
しかしながら、生産性のある嘘というやつほど厄介である。
などとぶつぶつつぶやきながら菊地氏(仮名)は昼ごはんを買うべくコンビニへ向かった。

今夜は名古屋でソロのライブがある。
菊地氏(仮名)は詩人という肩書のもと立ち話のようなパフォーマンスを行うことで知られる。
たいてい、観客は「見なくてもいいものを見てしまった」という顔をするのだが、ときおり「立ち話の伝統芸能化だね!」などと褒めそやしてくれる向きもなくはないので、依然調子に乗ったままこのような活動をつづけているのだ。


さておき、名古屋へは新幹線で行く。
つまり15時ごろまで時間をつぶさなくてはならない。
別につぶさなくったっていいのだけど、この場合はつぶすことにする。
物騒なことばかり言っているが、英語のkilling timeにくらべればまだ穏当である。
などとぶつぶつつぶやきながら菊地氏(仮名)はファミリーマートに入店した。
入店といっても「新しい子が入った」わけではない。
文字どおり店に足を踏み入れたのである。
説明しなくてもわかるか。

まず、菊地氏(仮名)が昼ごはんを買おうとおもったのにはいくつかの理由がある。
それらはどれもこれも非常に高潔かつ純粋な目的意識に彩られたものであったが、面倒くさいので割愛してひとつだけ述べると、「このままでは酒を飲んでしまいそうだったから」だ。笑わば笑え。
本を読むなりネットを漁るなり、3時間のつぶしかたにはいろいろあるものの、結局のところいずれも「酒を飲みながらできてしまう行為」である。
この陥穽をすり抜けるためには、血糖値を上げなくてはならない。
なぜなら、菊地氏(仮名)は食事をとると急激にねむたくなり、酒を飲む気どころかすべてのやる気がうせるという種類の人間であったからだ。
菊地氏(仮名)はお弁当や麺類のコーナーにするどい視線を投げかけた。

数分後、帰路につく菊地氏(仮名)の右手には、缶ビールのロング缶が3本入ったコンビニ袋がしっかりと握られていた。


いったいどうなっちゃうんだ、おれ。


今夜は名古屋でライブである。
立ち話の伝統芸能化、その未来やいかに。

 

 

【解説】

文中にある名古屋のライブは、たしか吹上の「鑪ら場」だった気がします。缶ビール(ロング)3本は新幹線の乗車時間(30分台)も鑑みれば指しすぎかとおもわれますが、現地は桟敷席もあってリハ後から開場まで横になれるという読み筋からこういった決断に至ったような感もあります。

あと、かたくなに「菊地氏(仮名)」をつらぬくあたり、ほんとうに改姓(注:わたしは2014年12月に分家しました)に対する気持ちのしこりというか、「誰だよ菊地って」という距離感が未だぬぐえなかったのだろうな、とおもいました。おしまい。

 

 

 

煙か牛タンか馬の骨

馬上少年過
世平白髪多
残躯天所赦
不楽是如何

 

いまでもよく涙を誘いにくるのはこれだ。たいてい、夜も更けたころに訪れる。紅顔の美少年(!)時代から厭世気分のつよい、あるいはそれを気取りたがるぼくにはよく似合う、伊達政宗晩年の作である。

 

馬上少年過ぐ、世平らかにして白髪多し、残躯天の赦すところ、楽しまずしてこれいかにせん。

 

「気がつけばなんか齢とっちゃって。仕方ねえけど余生を楽しむか」あるいは「こんな不本意な人生だったわけで…楽しめるわけある?ないっしょ?」。解釈は正直なところわからない。

伊達政宗自体は有名であっても、この詩は司馬遼太郎の短編に採り上げられたことで人口に膾炙したのではないかとおもう。

 

ぼくの父方の曾祖母は仙台出身だった。

自分が生まれる前に亡くなっているので直接会うことはなかったものの(そもそも明治のひとで、87歳ちがう)、士族出身(ここは諸説あり※~の実子か養女かとかそういうのもふくめ)でのちには仙台名誉市民に叙されたという。ついでにいうなら京都の名誉市民でもあったらしい。これはいまネットで調べた。ネットのことはぜんぜん信用していないが、ソースが複数あったので(また、エピソードならともかく、生年月日や公的な賞与に関しては記述者が嘘をつくゆえんがないため)たぶんそうであろう。

宮尾登美子「松風の家」では彼女をモデルとしたひとが第二部の主人公として描かれている。

余談だが、ぼくの祖母も字こそちがえど訓みのおなじ「登三子」である。だからかなあ、宮尾さんのことはどうしても好意をもって視てしまう。

 

仙台には一度だけ行った。

あれはたしか、洞爺湖サミットのあった年(ちょうどその期間、札幌を皮切りとして福岡までのツアーをおこなった)だから8年前のこと。

札幌駅でビールやら焼酎を買い込み、いまは亡き夜行列車「急行はまなす」の普通座席に乗り込んだ瞬間、頭のわるいキクチもさすがに気づいたんだ。

「この列車には喫煙車両も喫煙所もない」

青森まで。

 

もう一回殺してくれ来週、じゃなかった、ヒゲだけどもぼくは、ともかく、その後数年して厳冬期のはまなすに乗ったときはいい具合に函館で目がさめた。15分だか20分の停車。ホームには、それはそれは寒いとはいえど、いちおうちゃんとした喫煙所が設けてある。天国かとおもった。実際、天国だった。午前3時ごろに見上げた電光掲示板には別の電車「上磯行」の表示。ああ、旧い友人のいる街だ、とおもった。

 

ちょろっと話が錯綜して申し訳ないが、前述一連だけすっ飛ばしていただきたい。

2008年7月のキクチ(当時はキクチでもなんでもなかった)はそれでも午前10時くらいに仙台に着いた。いま調べると途中で乗換えなどあったようだが記憶にない。「うわーあれが青葉城だー」と呆けた詩人は、どうしてだか国分町だったか、のファミレスに入った。ファミレスに入った。なんでだ。と、2016年のぼくならあきらかに怒髪天をつくのだが、23歳の若僧が、10時に開いてる酒場をもとめて異境をさまようのは正直無理でござったよ薫どの…(緒方さんの声でご再生ねがいます)。

 

ぼくは、そのファミレスにどういったわけか午前~昼のハッピーアワーがあったのをいいことに、それから8時間くらい飲みつづけた。それでもまだ夕方なのだ。

国分町のアーケードのなかでいちばん安そうな漫画喫茶を見つけてそこでねむった。

 

牛タンは食べなかった。