キクチミョンサ的

「なれのはて」ということばがよく似合う、ちいさなぼくのプライドだよ

近くて遠い、遠くて近い

妹の結婚式、披露宴でした。

 

三笠宮百合子妃殿下、彬子女王高円宮久子妃殿下、承子女王はじめ宮様方のご臨席を賜りまして、わたしは恐懼のきわみ、鞠躬如の態でございました。

 

ざっかけない言葉で言えば「祖母」「叔母」「イトコたち」ではありますし、実際「ばあば」「久君さま」「つぐちゃん」などと呼んでいるのですが…特に94歳の妃殿下が遠路ご帰洛あそばされた感動と感謝の念は到底文章で表現できるものではございません。

 

キクチは思想信条とかいうものを持ち合わせない人間ですので、ここまでの文章を深読みすることなく、無色透明の、ただ新婦の兄として自分の家族親族(と今日だけは平易な言葉で言わせてください)へのリスペクトで綴っていること、ご理解ください。

 

なお、やはり94歳の父方の祖父は、いつもなら19時には「ボクちゃん眠いから」と言って(マジです)寝室へ向かう(そのわりに毎月海外へ出張し、なんなら旅行でもそれがばれると現地で次々に講演などの仕事が生まれるというスーパー茶道人…)のですが、披露宴ではお色直しの際に新婦のエスコートをするというご本人好みの大役を仰せつかり、なんと宴終了の20時まで元気に活動していました。というか、席にいない。気づけばどこかでシャンパンのロック(!)片手に談笑している。すげえなじいさま。

 

わたしと妹は3歳違いで、小学生のころはよく喧嘩をしました。わたしは活字中毒の読書家、学級委員長を務めたり、生徒会長には推されたもののそれが嫌だったので親友のミチノブ(ごめんな…)の応援演説にまわって2年連続当選させる(えらそうでごめんな…)など、基本的に黙っていても喋っていても場の中心にいるタイプでした。

妹は妹で、漢字が読めない、慣用句を間違えるなど「アホの子」キャラでしたが、3歳からはじめた水泳で頭角をあらわし、エスカレーター式の女子校を中学までで止め、全国常連の強豪高校に進み、水泳部の主将、近畿大会出場という、完全な実力主義の世界でとてもよくがんばりました。

要するに、ちょう文化系の兄、ちょう体育会系の妹で、共通点といえば顔や雰囲気が瓜二つ(わたしが現行の長髪になってからは、後ろ姿で両親にすら間違えられる)といったくらいでした。

 

ただ、彼女は大学を出、家の仕事を手伝うようになってから、飛躍的に変化しました。いえ、もともと持っていたけれど、わたしにはわからなかった要素が顕在化したといえましょうか。

目の前の相手がどのような方で、何をされればうれしいか、どんな話をしたいのか、ビビッと感じ取るセンサーに長け、またどのような環境でも物怖じしない度胸と愛嬌、そして他者を慮る精神。

兄が言いますと過褒に過ぎるかもわかりませんが、得がたい人材であり、非常に魅力的な人間であります。年齢や性別や生まれたところや皮膚や目の色で語れない(あ、ブルーハーツ出た)「人間」としての厚み、重み、凄みのあるひとです。

居玉のまま戦って気持ち良く相手を詰ますような、そんな棋風と言えましょうか。

 

いつのまにか、妹はわたしのような跳ねっ返りで微妙な立場の兄の、最大の理解者となっていました。

しかしよくよく考えれば、わたしは高校時代、はじめてできた恋人を彼女にだけ紹介したり(平野神社の裏のお好み焼き屋に行ったなあ)、なんだかんだと頼りつづけていたのだとおもいます。

 

そんな妹が、晴れてきょうの華燭の宴を迎えたこと。

たいへんうれしいです。

 

また、義弟(年上ですが)のムネリンが大変いい男で、いや、ここはもう素直に「めっちゃいいやつ」と砕けた表現をさせてください。

初対面のとき、あちらからすれば義兄、こちらからは年上、という微妙な関係性だったので、わたしは大政奉還直前の一橋慶喜公的に泥酔して(ふりをして)「これからはムネリン・みょんちゃんで行こう」と、幕末の土佐藩(とともに封建制度)を脱した浪士のように(「これからはおら・おまんで行こう」)言いました。

ムネリンは優しいです。優しさにも色々ありますが、度胸と愛嬌と、全方位の目配り、気配りができるあたり、妹ととてもよく似ています。

余話ですが、医者のくせに、わたしに「煙草やめなよ」とか「お酒控えなよ」と言わないところがとても好きです(笑)。

 

長々となってしまいました。

妹との30年間を語るにはあと50000字はすくなくとも必要ですが、わたしは短距離走者の詩人ですので、このあたりで擱筆しようとおもいます。

 

兄の趣味の俳句を、あらためて。

 

 ゆきゆきて帰る道なき花見かな  墨酔

 

どうか、ふたりの、両家の未来に弥栄あれ。

先述の句は取りようによってはあまりめでたいものではないかもしれませんが、一生を終えるまで、花見しながらゆるゆると行きなさいよ、という気持ちのあらわれであります。あと、帰ってくるなよ、と(笑)。

 

ムネリン、万紀子、心の底から、いやさ、わたしの全存在をかけておめでとう。

そしてありがとう。

何があってもわたしはあなたたちの味方であることを、ここに誓います。

 

 

 

BOYS BOYS BOYS BOYS

名古屋へいってきた。

滞在時間4時間ほどの弾丸ツアー。

 

体調が悪すぎて、「ロイ・ビーン」であのタマネギ馬肉野郎に足の指ふっとばされてひょこひょことしか歩けないおじさんみたいになっていた。でも、いった。尾籠ながら、途中駅や新幹線のトイレで何度も吐いた。

観なきゃいけない。この面々(ハルラモネル、ピーターことドキュメンツ杉本、MILKBAR北小路)は(岐阜・東京・京都ということもあり)精神的に先番を取らんと出会えんもんでね。赤い電車桜通線に乗ったんだ。

 

ハルラモネルがガンガンに決まっていた。

本人はだいたいいつも「そんなことないよー」とかいうのだけど、骨にひびく歌だった。「ランプ」でこんだけピークになってどうすんだい、とおもったら、ラスト2曲、軽いのに重い。ことばの持ち重りが半端じゃない。「にがくてあまい」みたいだな。わたしの骨や筋や血がよろこんでいた。なんじゃこりゃあ。感性が複雑骨折しちまうよ。おい、おまえ。

 

ピーターは歌に信じられてる男だな、とおもう。

歌を信じてる歌い手はいくらでもいるし、そこにも残念ながら階級めいたものはある。勘違い、思い込みのやつ。愛は伝わるけどそれはベクトルがちがうよねというやつ。信じ方の問題。エトセトラ。

ピーターはほんとうに歌に信じられてる。だから、それ以上でも以下でもない、「ふつうのうた」がとっても映える。誰でも歌えるようでいて、ピーターが歌わないと意味が通らないのだ。これってすごいことなんだ。

 

北小路直也。

至宝。

なんにもしなくてもいい(ちょっと言い過ぎかしら)。

このひとがギターを抱えて、なにかしらの発声をしただけで、うたが生まれる。

そこに、うたが生まれるのだよ。

 

わたしはそんなメロディとリズムと感情のなかをちゃぷちゃぷして、たいそうぬくまりました。

ビール3本。焼酎ロック(というにはあまりにも多いミキティの心遣い)3杯か4杯。帰りの新幹線でメーカーズマーク。

名古屋に移住したいくらいだったです。

 

でも絶対、おれのほうがかっこいい、と学生バンドのようなことをゆって擱筆したいとおもうのだ。

 

 

 

 

夢を与える

さびしさは鳴る、だったか。

キクチバカオロカのトリ頭では一言一句正確におもいだせるわけではないが、綿谷りさ「インストール」の冒頭だったように記憶している。

本題といっさい関係ないけれど、わたしはもし私立の高校に進学していなければ、区域的な関係でムラコー(と地元では呼ぶ高校)の1年後輩になるところだったのだ。たまたま実家が近いからって、そんな妄想をふくらませることができるなんてすごいぞキクチ!ドリーミー!悲しいほどにドリーミー!

まあ、なにが言いたいかというと、さびしさが鳴っている。りんりん。勇気かよ。スキップはしません。

 

で、そもそも、本題って、なんだ。

 

きょうは暑かったです。すんごい暑かったです。と小学生の作文のようなことを書いた。でも実際、ものすごく暑かったとです。暑さにまかせふたりは街へ出た。そこから先はヘイヘイヘーイ。おもわず「サマー・ソルジャー」を口ずさんでしまったのだが、べつに夏の太陽はふたりを狂わせてくれたりしなかったので粛々と打ち合わせがすすみ、そして終わり、おもった以上にはやくわたしはリリースされた。そもそもキャッチされておらん。

「イフ・ユー・キャン?」とちいさくつぶやいて灼熱の三条を後にし、エアコンの下にもぐりこむ。

ああああ、ビールのみてえ、とおもった。

 

スーパーで「鴨ロースブラックペッパー味」なるものを買ってきた。これは先日試してみてたいそううまかったのでリピートしたのだが、要するに、玉ねぎとニンジンのマリネのうえに鴨ロースの薄切り、というか切り落とし的なものがのっかっている。298円。

ついでに「大分とり天」の少量(ひとくちサイズが4つ)もカゴに入れた。トリ頭のくせに骨肉相食むのだ。決め手は、ついていたゆずポン酢がおいしそうだったから、というまったくもってくだらない理由である。

あと、トイレットペーパーやゴミ袋など買って、帰路、ふと気づいた。

ああああ、ビールのみてえ、とおもったくせにビールがない。

しかしもはや川端一条というルビコン河を越えてしまったわたしに、戻るという選択肢はなかった。ええやんか。焼酎あるんやし。

 

だらだら川端通を北上していたら、前方にへんなひとがいた。

われわれはおなじ方向を目指しているので後ろ姿しか見えないが、ぱっと見たところ、150センチ70キロくらいの女性だ。黒いワンピースがぱっつんぱっつんである。

その歩調はきわめて遅い。さりとて川端は人通りに加えけっこう自転車が多く、しかも学生の乱暴な超速スマホ見ながら運転、あるいはイヤフォンでワンオクかEXILEでも聴いてんのかてめえ運転がめずらしくないので、それを避けているうち、なかなか彼女を追い抜くタイミングを見計らえない。電話をしながらふらふら左右に、つまりこの場合東西に揺れている。いつのアーケードゲームだ。またそのしゃべりかたが人力ディレイをかけたようなボーカルというか、非常に独特で、「気づいたらおれはなんとなく夏だった」とつぶやきたくなった。

ああああ、ビールのみてえ。ボウルいっぱいのポテサラでもええ。

蹴りたい背中、ってのは、こういうことですか、綿谷さん(絶対ちがう)。

 

へばりながら、どうにかして帰宅した。

うちのマンションの前にはそれはそれは大きな木(なんの木かわからないため、木には申し訳ないが「木」と表記する)があって、その生い茂った葉っぱなどたいへん風流かつ出入りに迷惑だったのだけれど、5月にばっさり切られてしまった。なんだか、そうなってみてはじめて惜しいとおもうようなことはたくさんあるな、と今さら胸が痛んだ。

そんなこんなで、ビールうぐうぐ作戦は頓挫したものの、焼酎をうぐうぐしている。よけいたちが悪いじゃないか。

アルコールが喉を、食道を、胃を通っていくたび、さびしさが鳴る。

その音は聞こえないが、ひびく。揺れる。

 

夢を与えられてきた人間が、だれかに夢を与えないまま滅びてゆくのは、なんとなく、ダサいな、と、すこしおもった。

 

 

 

Why I'm me

歌をうたい終えたあとのパーティに、ひびく声のこと。

テーブルごとの雑談、ちょっとしたジョーク、だれかの噂話、灰皿交換するスタッフの「そろそろ帰ってくれんかな」という気持ち、PA卓をやさしくなぜて布をかぶせるおっさん、ちょうどいいところでなくなったリキュールに一喜一憂する発注のやりくり、シフト表の確認、ふとしたところであらわれる聖者の行進。

 

ぼくはライブハウスというものがとてもすきだった。

過去形にみせかけてじつは現在進行形(すきだった、そしてすきだ)でもある。ちょっとばかり、距離や時間をおいたむかしの恋人のような。

その子の首筋からシャンプーや化粧品のにおいがする。性器を舐めればそれなりになまぐさい、生きているものの味がする。けれど、そういうのもぜんぶふくめて好いていたのだから、それは控えめにいってもなにかしらの愛でしょう。勘違いは勘違いであればあるほどいい。なぜなら疑いから一周した場所で出会えるからだ。これは妄信じゃない。もう死んじゃいられない。

 

7月12日はそれなりの意義をもってわたしのなかで暮れていった。

一人称がぶれるのはいつものことだ、けれど、どうにかならんもんかなあ、ともおもう。

 

5日後、心斎橋でライブです。

なぜか流しそうめんを終演後にやるらしいよ。

しゅうえん、と聞くとすぐに記号論の話にしたがるキクチをおさえて、ぼくわたしそれがしは、こっそりこれから練習をするのだ。

 

 

 

 

Error

墨攻」が中国映画になっているのを知って腰を抜かした。いや、でもそりゃ舞台は中国だもんな。

わたしは漫画版(日本の作品)を愛読していたのですが、あれは地味ながらよいもので…しかしなんというか白髪三千丈的世界観とはあまりにも相いれない内容であり時代なので…できればまずは漫画からご覧になってください。

 

いま、城攻めを終えたあとくらいの疲労感が周囲に色濃く漂っている。バカオロカキクチは城攻めなどしたことがないんだけど、なんとなくそういうことにしておく。

というのも、パソコンが壊れて、新しいものに変えてからはじめてはてなにログインしようとしてみたら、IDもメールアドレスもさっぱりおもいだせない。苦し紛れに打ったむかしのアドレスで、なんと「表現をはじめて7年目です(=おそらく20歳くらい)」というはてなプロフィールとキメ顔の写真、そしてほぼ更新されなかったままの記事が出てきて悶絶した。だれだおまえ。

わたしだ。

 

遠くでちょびっとばかし雷がきこえる。

湿った空気のくせ雨はふらなさそうで、今朝、天気予報もみずに洗濯機をまわしたキクチ勝ち組…もといアキフミはその後もなんだかんだ安心して家事ができた。

いま、アル中耽溺度でいうと7割は超えちゃってそうないろいろやばい状況なのだが、とにもかくにも一局です。

 

ちょっとさぼるとすぐ書かなくなるこのブログ。

なんで書かないの?

レスポンスがないからだぞぉぉジョジョォォォと言いたい気持ちを笑い飛ばしたいな。わたしはもともと、いい詩を書くことになんてさして興味がなく(自分が書く詩はすべてそこそこいい詩だとおもっている。紅顔が厚顔になった典型だ。ホーガンにウェスタン・ラリアート喰らっちまえ)、売れてる詩人になりたいという一念で18年生きてきたのだった。そしてそれはいまも変わらない。

ふざけたお題で詩を書けと言われても、わたしに躊躇はない。消費されることになんの恐怖も憎悪も感じないでやってきた。消耗さえしなければよいのだ。

ただ、それは、あくまで、自分が詩の第一人者になれなくても別にいいや、というスタート地点があったからなんだろう。

 

この話は長くなるし、まとめられるような場所にわたしはいないから、ときどき振り返っていつかの夕方をおもいだす。

それはちょっとばかし反則だといいたくなるような、ことばにした瞬間ゆめか幻になってしまうような種類のうつくしさだった。

余白のない、うつくしさだった。

 

つまりは、なんのことはなく、自分の深層に分け入っていくそのIDが、どうしてだか、まだ、見つからないのだ。

 

 

 

ドッグイヤー

そのリハスタには柴犬がいた。

賢明なる読者諸兄に対して、こしあんのうえにつぶあんを重ねるような神をも恐れぬ所業かとはおもうが、いちおう説明すると、リハスタとは「リハーサルスタジオ」、つまりバンドマンみたいなものが練習みたいなことをする場所である。

もう一度繰り返す。

そのリハスタには、なぜか柴犬がいた。

これが百歩譲って最寄駅から車で30分かかる老夫婦だけでやっている中華料理屋、なんてシチュエーションであればまだわかる。実質は32分ぶんくらいなわけですね。ええい、よけいなことを言った。

 

キクチは、そうとうな犬猫アレルギーである。

このご時世、犬や猫の写真をtwitterinstagramにアップすれば、まあたいてい、現世に友だちのいないひとでも5や10のイイネ的なものがもらえるわけで、富良野は寒いわけで、お前が好きなわけで…まちがえました、ひっこんでなさいわたしのなかの秀隆と洋次郎。

しかし、ふだん使っているもろもろのスタジオがちょうど空いていなく、はじめて予約したその店に、その受付兼休憩スペースに、当たり前のように犬がいるなぞとはつゆほどにもおもわない。だって、リハスタだぜ?ギターをギューンと鳴らしたり、ドラムをスッタカターンと響かせたり、ヴォーカルがウォウウォウウォウ叫ぶ部屋のことなんだぜ?リハスタって。

 

とまれ、あとは典型的な「犬アレルギーのおっさんがポケットティッシュを瞬殺してゆく」業を披露する3時間となった。

 

いや、あのね、飲食店に「喫煙マーク」貼らせるなら、とりあえずすべてのお店に「犬とか猫とかいますマーク」を掲示させてほしいのです。これはひどい片手落ちだ。だって、アレルギーは、健康への害悪は聖人君子然ぶって措くとして、そもそも好悪の域を超える。無理なんだ。

実際わたしも犬や猫がすきである。すっごいすきといっても過言ではない。ただし、現存在として物理的におなじ空間に共生できないだけで。

遠くから眺めていたいだけなんだよう、と涙目シパシパ、鼻水ジュルジュルになりながら、キクチはおもった。

 

そして、首脳会談の結果、このスタジオ(すごく安くてアクセスもよい。おまけに水のペットボトルまでサービスでくれた)は二度と使わない、という結論に至った。

相棒にとっては、高校の軽音部もかくや、という、圧倒的薄っぺらすぎる防音がその最大の要因だったかもしれないが、わたしにとっては犬だ。犬だった。まさかこの年齢になって犬を理由にリハスタに見切りをつけるとはおもわなんだ。時間は速い。過ぎたことを忘れるくらい速い。

 

そんなわけで、われわれはひとつスタジオを喪ったわけだが、浮かむ瀬はがんばります。

つぎのライブは6月30日(金)、大阪は江坂・パインファームにて60分のロングセット。

 

おそらくのセットは以下9曲(順不同)であろうかしら。

並び替えて「ぼくのかんがえるさいきょうの~」を考えたりすると、たのしいかもね。

 

・トロンプルイユ

・血と水

テンペスト

・静かに暮らすんだ

・忘れたころにかえってくるよ

・海鳴り

・四月になれば彼女は

・どうにかなる日々

・静脈

 

 

 

どうにかなる日々

冷え切ったラザニアを

フォークで突き崩して

手応えのないやわさと固さに

そこで満足した

フェイク・プラスティック

そんな顔しなさんなって、あやふやな初夏の断面

冷蔵庫になんて入らないまま

なんとなくふたりで

ゆっくり死んでいこうぜ

 

ぼくの名前は嘘にかぎりなく近く

愛を語るときもっともそれに似ていた

つきつめれば白色と赤色でできてる

ありあわせの食卓、地味な柄のテーブルクロス

ささやかな晩餐会

血と肉の味を同時に呑み込んで

もうしばらくなにも口にしない

たわむれにキスでもしてはくれまいか

 

さんざん殴ってきたのに

壊れないものだから

あなたが生きていたのか

ときどき不安になる

フェイク・プラスティック

賞味期限を忘れてしまったので

おそるおそるふれてはいるのに

相変わらずいい匂いがする

やわらかな乳房、かたくなな背骨

 

冷え切ったラザニアを

フォークで突き崩す

たいてい予想通りの

なんてことない日々を

なんとなくふたりで

それでも

なんとなくあなたとぼくで

死んでいきたいとおもったのだ