キクチミョンサ的

「なれのはて」ということばがよく似合う、ちいさなぼくのプライドだよ

浮かむ瀬2017ラストライブ

f:id:myeongsa_kikuchi:20171127141633j:plain

 

11/26 浮かむ瀬 at yamne

(写真:みっしゃん)

 

1.静脈

2.踊る死体

3.cadenza

4.希望について(さいとういんこ)

5.トロンプルイユ

6.旗を燃やせ

7.恋愛映画

8.おぼれるものは

9.光のようね

10.街と賛美歌

11.汽笛

12.アンダーコントロール

13.血と水

14.生きることとそのまわり

15.静かに暮らすんだ

16.海鳴り

 

en.ベイビーグッドラック(chori)

 

ゆうべはご来場ありがとうございました。

雑貨屋yamne×momo endo「あたたかな金属」展×浮かむ瀬ライブ「とちがら」ということになるのかな。

 

たのしすぎて、村島もキクチも会場で(雑貨屋さんなのに!)ビールを5本くらいのみ、打ち上げ先では「焼酎ダブル」が通じなかったので「焼酎ロック、2杯ください」なキクチ、「ブリの刺身」を「ゴリの刺身」に空目して「え、ゴリ(小魚です)って刺身にできるん?」となぜか盛り上がっていた村島(あとなんかマムシ酒みたいなのものんでた気がする)。

二次会は近辺にお店がないため天下一品へ。

そしてわれわれは果敢にも、どういうテンションかわからないが日本酒をのみ倒した。天一で。熱燗。アホかいな。

4人いたけど誰もラーメンは食べなかった。

メンマとか、いろいろ注文はしました。

 

三次会でわたしはハイボールをのんだ。

補記するとそこまでの道程で二回転んだ。それも盛大にうしろに。さすがに二度目は天丼というか、ボケでしかない。しかし真剣にだったんだ。

 

朝起きて今度は薬用養命酒みたいなのと、鉄幹(焼酎)を3杯ほど、くいっとな。

帰ってきて、チューハイののち、いいちこお湯割り。

救いようがないとはよく言いますが、

きみに助けてもらうのを待ってるんだぜ。

 

と、どこかの詩人が上手いこと言ったていで死んでいる。

 

  

 

 

 

「旗を燃やせ」

旗を燃やせ
きみがたいせつに隠し持っていた
腹の中に巻き込んだ旗を燃やせ


冬の朝、手を洗う水のひゃっこさ
木綿豆腐に踊るかつぶしのチリチリした匂い
射精、うつくしい死に顔と寝息
コンビニ袋持ってるから、ごめん、片手しかつなげないんだ


旗を燃やせ
熾火のようなやさしさと
落雷のひらめきで旗を燃やせ

 

なんとなく念じた人から電話がかかってくる夜
SNSはまだ何もつないじゃいない
エナメルのパンプス、かかとの折れた
それが横断歩道の上空を綺麗な放物線を描いて飛ぶんだ

 

思想はぼくらを糖分過多にする
だけどそれだけじゃ舌が疲れてしまう

 

酔っ払いに殴られた頬骨の痛み
電車を待っているときの踏切の音が好き
きょうは少し化粧が濃い肉屋の姉さん
ぬるい缶ビール、間違えて買った

 

旗を燃やせ
永遠の消費期限にそろそろ飽きないか
小さな街の小さな家で
何度も小さく滅びるのさ
口づけた瞬間
思い出せないような
味がする明日へ

 

 

コンビニ袋持ってるから、ごめん
どっちの手ならつなげるかな

 

 

 

 

「踊る死体」

なんとなく
1日に1分くらい
きみのことを考えている
思い出さない日はないけれど
10分は言い過ぎだ

ベイビーフェイスもヒールもトゥ、からステップ
すっ飛ばされた夜にたくさんの嘘になりきれなかったことば
踊り続ける死体のような記憶たち
涙はうつくしくも醜くもなく、ただ無機質にあたたかいものです

ひとくち分だけ余した缶ビールと
ぼくの右手はつかの間同盟を結んだ
真っ暗な遊歩道、渡りきるまでは離れないよって
突っ立ったまま事切れた電灯の下、風がふいている

ミラノの夏、パリの秋、そしてベイジンの冬
きみのことを考えるようになったのはきっと
忘れてしまったからではなくて
幕間にふっと光が消える一瞬を
もう怖がらなくていいと腑に落ちたのだ

 

ワントゥ、よれよれのダンス
二の腕を拾って指先で口づける
爪痕は残っているからもうあまり強くは握らない
不完全な日々の連続のなか、血の流れる音だけ聞いていたい

 

気がつけばぼくは東京の片隅に佇んでいて
この街がどう滅びてゆくのか、考えていた
きみのことよりもすこし長く
夜をすっ飛ばして、ことばをすっ飛ばして
ディレイド、もつれた足が進む
ぼくもまた踊り続ける死体のひとつとして


涙はうつくしくも醜くもなく、ただ無機質にあたたかいものです
ただ、誰かの頬をあたためるためのものです

 

 

 

 

愛と和音

「感性とは手持ちのカードのようなもので、まだあるとおもっていても失われてゆく(大意)」

わたしが非常に感銘を受けた先崎学九段のことば。

 

3時半ごろまで夜っぴて原稿を書いていた。

それからコンビニへ行って、焼酎とたばこ、納豆にお粥、チョコレートとアルフォートという、やや錯乱気味な買い物をした。最近入った若いアルバイト店員は190センチになんなんとする偉丈夫で、とても無愛想だ。しかし誰だってこんな冷え込む晩秋の深夜にそんな買い物をしてゆくロン毛ヒゲの怪しい三十路男に愛想をふりまこうとはおもわないだろう。

自分の目が悪くてよかった、とおもうのは、こういうとき、彼の名札を読めないからだ。

もし仮に田中さん(仮)だとわかってしまえば、わたしのなかで彼は「無愛想な田中さん」として像を結んでしまう。

いまのままなら、他人のなかでもずいぶんと遠い存在としてすれ違ってゆける。

 

帰宅してしばらくすると、夜勤を終えた食客が帰ってきて、ラーメンをつくりはじめた。コンビニのVLの、安いラーメンなのだが、具はチャーシュー、メンマ、もやし、ネギと本格的(?)だ。

ちゃっかりチャーシューとメンマのお相伴にあずかった。

彼はずいぶんと疲れているようで、昼からも予定があるとのこと、それでもなんとなく人恋しくなっていたので、すこしばかり隣で焼酎をのんだ。

 

感性は共通言語のようなものだとおもう。

そのひとそのひとに、A(ラ)とかそれぞれ鳴っていて、それが仮に異なったキーでも、うまいこと和音になったりする。

もっとも、克明な言語表現として帰結はしないから感性という言い方をされるのであって、そこはcadenza、cadenza、cadenza……。

「その話前も聞いたで」と言われ、「忘れたぶんだけ楽しめるんだ」なんて強がりを言った。

なんの話かって?

「このひとべっぴんさんでしょ?」って話だ。

三十路の男ふたり、早朝にかたやラーメン、かたや焼酎でくだらない話。悪くない。彼とわたしの共通点は、きょう、おなじチャーシューとメンマを食べた、というだけなのだが、コード進行としてはじゅうぶん合っている(こういう適当なことをおもって言うからキクチバカオロカなのです)。

 

すっかり夜が明けていた。

エアコンの温度を上げる。

 

むかしは容易いように感じられた「自分を信じる」ということ、それが最近ではとてもむずかしい。

正確にいえば、それが過去をふくめたものの上に建っているのか、いま現在の自分を曇りない目で眺められているのか、ということでもある。

遠回りは悪くないが、非戦略的撤退ともいえる道草はほどほどにしておきたい。

 

まだ自分を信じているひとの顔をおもいだして、あらためて、自分を信じたい、とおもう。

自分を信じている自分こそ、まぎれもなく、いっとう格好いいのだから。

 

 

 

 

 

33歳

いささか旧聞に属するものの(10日)、33歳になりました。

 

当日は祖父、父母、妹夫妻、弟、叔母、イトコ弟とともに水炊きを食べにいった。

19時には寝たい祖父(「ボクちゃんおねむやから帰る」がパワーワード)を鑑み、「じいじタイム」で17時半から開始。

 

そのときの乾杯の挨拶をなぜかいまでも覚えているので、書きます。

 

「おかげさまでこのたび無事に33歳を迎えることとあいなりました。32歳の1年間はキクチ個人としては”冴えんなあ…”でしたが、10月末から運気も上昇してきまして、”菜の花はトウが立ってから花が咲く”とも申します。わたしもかくありたいものです。それではみんな、ご参集いただいてありがとう。乾杯!」

 

ヤン・ウェンリー提督の「1秒スピーチ」には劣りますが、われながら悪くない(元来が故・原田泰夫先生のような長っ尻の喋り好きなのです)。

 

そうそう。

10月末から、食客(男)が転がりこんできました。いつまでいるか未定です。

その話をしたとき、6歳年下でテニサー(という名の飲み会サークル)出身の弟が「古代中国みたいな?」と言ったのにびっくりしました。

「そうだよ、孟嘗君とか信陵君みたいな。もっとも鶏鳴狗盗じゃなくて部屋掃除してくれるぶんだけ日々役に立ってるけどね」と返したけど、まさかそれがパッと出てくるとはおもわなんだ。成長したね…。

転がりこんできた男は、居候というより食客と評するのが正しいような気がするので、これ以降もこういった表現をつづけようとおもっています。

 

翌11日。

10年以上まえに自分が主宰していた関西朗読詩人の勉強会「花形朗読詩人会"ENTA!"」(ネーミングが完全に茂山狂言のパクリです…)の再結成(?)イベントがありました。

当時20歳すぎ、紅顔の美少年だった最年少キクチも33歳。年長組はとうに不惑を超え。

けれど、みんな、いい歳のとりかたをしたなあ、きれいに歳をとったなあ、とおもいました。

当たり前のようでとってもむずかしいことだと、いまならわかります。

空き地で遊んでいるうち、つぎつぎ呼ばれて帰っていって、自分はひとりさみしく壁打ちでもしてると信じ込んでいたけれど、彼らが父や母になっても本然は変わらないのだな、と己が不明を恥じた。

いいライブでした。

わたしは「きょうは全編カヴァーをやります。chori(前名)の詩を」というMCでドッカン受けたのでそれも満足です。

会場でビール4杯、焼酎7杯ほどのんで、打ち上げで焼酎5杯くらい、それでたのしくなってしまってお客さんふたりを拉致して自宅で朝までのんでしまった。ふたりが帰ってからは帰宅した食客とまた昼までのんでしまった。やりすぎやーん。

 

きょうはとある打ち合わせでした。

10代のころからお世話になっているボスと、初対面のデザイナーの方と。

「打ち合わせ」と聞いていたけれど、実質打ち合わせらしき内容は10分で終わる、これはボスあるある。

3月のライオン」のあかりさんみたいに、若いもの(といってもわたし33歳ですが)がたくさん食べているのを見るのがすきなのでしょうね。

ファーストオーダーで6品も頼み、そこでストップをかけたからいいようなものの、ほうっておくとはてしなくいきそう(結果、10品くらいになりましたが)。

問題は、彼女は自分がそんなに食べないのに、目の前にたくさんごはんがあるとしあわせ!というタイプなので、小食のわたしのこともすこしは考えておくれ…ということです。

ただ、十年以上のつきあいなので、焼酎をアホのようにのみながら、もう粛々と、ふだんの1日ぶん以上の量をいただきました。がんばったキクチ。

血糖値があがり、帰ってきて3時間ほど呻いていましたが、生還してちびちび焼酎をのんでいます。やっぱりお酒は空きっ腹がいちばん。

 

そんな近況報告でした。

あしたのあたしはあたらしいあたし。

 

 

 

 

「光のようね」

月明かりにぼくはどっか

持っていかれちまいそうです

あなたとしたセックスのせいで

まだ骨が痛いや

 

さみしさも温かさに変わる

名前をつければすべての隙間が居場所になる

 

算数が苦手なので

この先のことは考えてない

細い夢が糸をひいて

続いてゆくだけ

 

うつむいたぶんだけ影は捲くられて

困った顔が光のようね

 

罪のない話半分で繰り返す泣き笑い

すこしだけ甘えたくなるぼくの

長い眠りの出戻り先に

なんとなく待ってくれているんでしょう

あなたはまるで光のようね

 

 

 

 

「人、人、人」

そのときのぼくはといえば
ほんとうに手首を切ったくらいで死ねるのか試して
痛かった、ほんのちょっとした切り傷が死んでしまいそうに痛かった
流れ出したレーテン何ミリリットルの血液は
存在証明をするにはあまりにも頼りなさ過ぎて
生きたいのか死にたいのかぜんぜんわからなくなってしまった

 

バビロン発銀河鉄道の切符をふっと買いたくなって
先に行ってしまった若い友だちのことをおもいだす
これからどれだけのことばを口にするのかわからないけど
今はありがとうとかまた会おうとかありふれたことが言いたい

 

死んだひとたちがあまりにもみんな星になってしまうものだから宇宙は光で飽和してる
誰でも新しい星を名づけることができるから、夜でもまるで昼のような明るさです
それにひきかえぼくの地上はどんよりと暗く濁って
会いたいひとに会える気もしないまま今、夏が終わろうとしています

 

ほどほどに生きるなんてできないね、とごまかして
かぎりなく開かれた現実とは逆方向にハンドルを切る
切れるような手首も身銭もカードもなんにも持ってないぼくは
笑っていた、待ちくたびれてもいないくせやってくる八月の夜明けに笑っていた

 

会いたくて会いたくて震える音楽も
日々の中に行くたびにお前を殺したいなんていう音楽も
結局のところ液晶画面の向こう側で誰かを安心させるだけなんだろう
そこに星は光ってますか、きらきらと光っていますか

 

見渡しても、見渡さなくても、ここにはむせかえるほどの人、人、人
やさしくなりたかったひと、誰かを笑わせたかったひと、なにかを否定したかったひと、大きくなりたかったひと、あと一日生きていたかったひと、昨日死んでしまいたかったひと、あなたに会いたかったひと、ことばをなくしてしまったひと、
見渡しても、見渡さなくても、ここにはむせかえるほどの人、人、人

 

河原町三条の交差点に立っているぼくは昔
プロ野球選手になりたかった
すくなくとも、今よりずっと格好いい何かになりたかった

 

明け方の街にもう星はみえない
あるいは、星しかない宇宙にもう隙間はない
いつかそのなかへ吸い込まれてしまうまでが不安だ
人、人、人波のあいだで

 

信号待ちのあの子の左手にも、ぼくの左手にも、
今はおなじ名前で呼ばれるためらい傷
たとえその内側でぼくらすれちがってさえいないとしても
ぼくらつながっているような錯覚におそわれている

 

消えてしまう前に花を飾ろう
あの子の左手に、ぼくの左手に
これからどれだけのことばを口にするのかわからないけど
今はありがとうとかまた会おうとかありふれたことが言いたい

 

 

 

*2011.8.3→2017.11.6rewrite