キクチミョンサ的

「なれのはて」ということばがよく似合う、ちいさなぼくのプライドだよ

午前3時の吉本隆明をぼくは忘れない

 

 

午前3時に凍った血が

ことばの触手から逃れようとして

室外機のかげで汗をかいている

ぼくもまたひとつの原像

群衆の波にうもれているうち

体温はすこし

上がったみたいだ

 

敗北の構造は

ゆがんだ背骨に似ている

祈りはそこをすべりおちて

ちいさく光ったあと

地べたへ吸い込まれてゆく

 

片結びにしてしまって

ほどけない靴ひもとロジック

いつのまにか身体は冷えきっていた

夜明けが近づいても

この場所は真っ暗なまま

午前3時の吉本隆明をぼくは忘れない

 

 

 

ぼくが「読む将」になったわけ

将棋ファン、という存在の下部カテゴリが数多登場しだしたのはここ数年の話だとおもう。いわく「指す将」「観る将」「撮る将」「描く将」「ネタ将」など、その分類は多岐にわたり、それ自体はSNS(および個人メディア)時代においてほかの分野と足並みをそろえている、きわめて自然な流れではあるんだろう。ようするにそれぞれの「ちいさな物語」を生きてゆくことがぼくやあなたの人生の骨子になってきたんだ。

適切なたとえではないかもしれないが、阪神大震災はまだ「みんなの」ものだった。そして東日本大震災は「みんなの」ものにはならなかった。なりえなかった。「それぞれ」を足し算した「みんな」と、「みんな」の構成員たる「それぞれ」、は根本的にちがう。

本筋からそれるのでこの話はこのあたりで措く。

 

さて。

「なんとか将」に積極的に自分をあてはめるつもりはないが、その伝でいえば「読む将」(そんなひとはいるのかわからない)になるだろう。ぼくは棋書(ここでは戦法や戦型についての本をさします)はからっきしだが、棋界史や棋士の随筆、観戦記といった、いわば「将棋読み物」を好んで読んでいる。だいたいひと月に20冊程度、古本でまとめて買う(絶版本が多いから)。

ただ、そこにおいて蒐集癖というものはあくまで従である。あえて順番をつけるなら、将棋(界)への意味不明な愛情、知識欲、ペダンチシズム、そのつぎくらいになるかしら。

 

もともと、古今東西とわず歴史がすきだったのと、活字中毒の気があるので、「将棋読み物」にふれるのはさして特別なことではなかった。しかし、その最初がよかった。

升田幸三先生について書かれたある本を読んだのだけれど、そこでは有名な「ゴミ・ハエ問答」についての項があり、「ゴミにたかるハエみたいなもんだ」で文章がおわっていた。当然、これだけみると文脈としては升田先生が木村名人をうまく言い負かしたエピソードなのだな、と受け取れる。ぼくもそのときは「へえ、なかなか落語みたいなオチでかっこいいな」とおもった記憶がある。

ところが数ヶ月後に別の本を購うと、そこには「ゴミにたかるハエみたいなもんだ」のあとに「まあ、君も早く名人戦に出てくることだな」とある。まったくもって話がちがうではないか。実際、その現場の雰囲気はわからないまでも、これは木村名人が最後に(まだ名人挑戦経験のない升田先生に)痛烈な捨て台詞をぶつけたということで、まあ指し分け、すくなくとも「升田勝ち」の流れではない。

 

こういうことがあるから本を読むということはおもしろい。行為というより、むしろ営みとでも言いたいほどだ。

歴史好きゆえに、いやというほど類似のケース(砕いていえば「みんな言ってることチガウヨー」とか「この著者はこの発言とか挿話を意地でも書かないよね」とか)を体験し、いわば手筋は承知しているのだが、その一事が「あ、将棋も歴史だ、歴史として読める」という認識につながった。

 

そこからぼくの「将棋読み物」蒐集がはじまる。

たとえば河口先生の「対局日誌」シリーズや多くの観戦記を読み倒すことは、いうなれば日本の中世~近代史を勉強するならまず司馬遼太郎を読みましょう、というようなことだ(とおもっている)。そもそも分量が膨大だし、時代も多岐にわたるから(将棋の場合は戦後~平成十年代ではあるが)なんとなく「知った」気になるんだ。けれどそこで止まってしまうと「河口史観」「司馬史観」というフィルターを通してでしか事物を見ることができなくなる。おなじことは菅谷北斗星、倉島竹次郎、加藤三象子(治郎先生)、山本陣太鼓(武雄先生)、天狗太郎各氏をはじめとした、いわば観戦記者のレジェンドのもの「ばかり」読むのにもいえる。現役なら出版点数のきわだって多い先崎先生などもそう。

 

誰が正解か、そうでないか、ではなく。誰がどんな立場で、どんな性格の書き手か。好悪の情のはげしさや向かう先は。執筆当時の棋界事情、また利害関係は。ぼやかさざるをえないことは。そういったタペストリーの縦糸横糸や、人間同士のあいだにある陰翳まで(もちろん、あくまで「作品」として上梓されたものだから、いまtwitterをみて評価するようにはできない)それなりに読み込んで、いったん分解して、自分のなかで地図を再構築しないと、フィルターは取り除けない。逆にいえば、自分のなかに「自分のフィルターをつくる」作業であるともいえるかもしれない。つまり、誰々さんが誰について書くときはすこし悪意をさっぴいて読む必要がある、とか、このタイミングでこういう内容にふれるのは相当頭にきていたんだろうな、とか。

それはあるいは、当方の勘違いかもしれない。邪推やこじつけかもしれない。

ただし、ひとたび書かれた文章は、書籍のうえで甦ることはないし、たったひとりの証人の発言で事実や真実を決めつけてしまえるほど、ぼくは乱暴になれない。自分にも他人にも都合のよいような「情報を集めてきたんで、それをそのまま知識として開示しますね」というスタンスとは、気が合わないんだなあ…どうしても。

 

なんだか脱線ばかりしたけれど、なぜキクチがいわば「読む将棋ファン」なのか、そして「将棋読み物」を読みつづけるわけは、という、ひとつのちいさな物語でした。

 

 

 

恋をしよう

ぼくらは解散しても
ヤフーニュースには載らないから
ちょうどいいだろ

 

きみの目線が斜めに上がるまえに
恋ができる

 

浮かんで沈んで
ふくらんだ自尊心を脅かすような強いことば、ことばがほしい
飛び込んだのはぼくで、けれど流されてるのもぼくだ

 

どうか
嫌いになっておくれね
見えなくなったらおしまいだから

 

きみの目線が斜めに上がるまえに
恋をしよう

 

 

  

血と水

血なんて単純な道を流れてるから

つまらないな

迷いもしないし行き先をうしなったら

帰る場所しかみえないじゃないか

 

うすめたって飲めない話がある

うすめたからこそ飲めなくなったぬるい愛情

最高のパーティの端っこ

取り換えのきく飾り付けみたいな顔で笑ってた

きみをぼくは忘れはしないよ

 

あんなに雨がふったあとの水たまり

なにもなかったように歩くひとがすき

 

歩くひとがすき

 

 

  

3分間だけ夢見たいからBABY離れられない

カラータイマーというのがありまして。

わたしのようなものは「ウルトラマンだ!」とおもう。もうちょっと正直なわたしのようなものは「実際に知ったのは”帰ってきたウルトラマン”からだ!」とゆっている。知識と体験は塩と砂糖に似ていて、見た目は一緒でもことほどさように別ものなのだよフジ隊員。などと悪いムラマツキャップを演じている。ひまか。ひまなのかお前は。

 

かんじんのカラータイマーというものはウルトラマンが地球上で活動できる上限「3分間」を教えてくれるのだ。いわば「ごじゅうびょーう…いち…に…」というあたりで彼(?)が怪獣をぶっ倒すという様式美である。

 

さて、キクチはいちおう将棋ファンであって、べつに観たり読んだりするだけでもいいじゃない、とはおもうのだけど、やってることといえば細々とtwitterで絶版・稀覯本からの将棋ネタを散布するくらいで、ほかはオークションで競り落としたりCFに寄付したりグッズを購入したりと「てめえただ金払ってるだけじゃねえか」的な活動に終始している。それがあかん、わけではないし、そういう種類のファンがいてもいいではないか(もちろん菊池寛先生や七條兼三先生ではないゆえ、パトロナイズでなくあくまで一般アイドルファン的な応援レベルだ)とおもうのだけれど、やっぱりどこかで「あいつ駒の動かし方しかわからないくせにえらそうだ」なんて言われているかもしれない、なんて被虐妄想にとらわれ、年末からちょびっと勉強をした。

 

そして先述したように新年あけまして20年くらい駒をさわってもいない還暦すぎた父親(べつにアマ何段とか何級とかいう認定を持っているわけでもない)にスコンクでぶっとばされた。悔しい。そりゃあ悔しいぞキクチ。

 

「将棋ウォーズ」という著名なアプリがある。

てっきりスマホのみかとおもっていたら、PC版もあるとのこと。即決で(無料でも1日3局まで指せる)加入。そして練習将棋を指してみたら8級相手(とはいえこれはコンピュータなので設定が甘いのだとおもう)に突然勝ってしまった。調子にのって対人で3局、10分切れ負けを指してみたら圧倒的…惨敗…!当たり前か。

 

そしてきょう、10秒将棋をはじめてやってみたところ、30級(最初はそうなるもよう)のキクチはなぜか4級と手合がつき、超短手数(△34手まで)でまたも勝った。どうした、キクチ。

ひとり感想戦をしていたら、どうもふつうに向こうのトン死だったっぽい。

先手四間飛車、後手(わたし)ゴキゲン中飛車からはじまり、こっちが位をとったあと、向こうが囲っているあいだに、なぜか9筋の局地戦を選び駒得しまくった(角桂香歩2)。こちらは居玉かつ裸玉だったのだけれど、ほぼ常に攻める側だったので王手ラッシュ・アンド守り駒を剥がす、そうしたら先方がたぶん1枚目の角の利きを見逃していたようで角打ちで詰み。

10秒将棋なのと、内容が内容なのでまったく威張れたものではないけれど、一勝は大きいなあ、とおもいました。明日もやりたくなってしまう。

余話として、そのあと調子にのってもう2局指してみたら10級前後の方々にボッコボコにされました。ああん。

 

わたしは将棋ファンのなかでもある意味空気のような存在だけれど、ちょっとは指すほうが上達すれば、もうちょっとおもしろいかもしれん、なんて感じたこの2日。

「車」谷さんの曲が聴きたくなってこんなタイトルにしてしまった。

毎日毎日がLast Dance。

 

 

 

なごやかな狂騒

1月6日。

体調がファンタスティックすぎて午前中から何度もちいさく死んだり生きたりしていた。どうせ斃れるなら前のめりで、とウィスキーを呷る。なぜか楽になる。こう、ぎりぎり手がとどかない距離に置いてある何かを取ろうとしているが、ひょんな拍子に手がとどいちゃったかんじ。

1時間ほどはやく集合場所のVOXhallへむかい新年初ハートランド。まこっさん、おのまん、花柄ランタンのおぼうと駄弁ったりしつつ「将棋昭和史」など再読。賞味期限切れのどうぶつクッキーをもらう。なんだかんだいって、ぼくにとってnanoが実家なら、VOXhallは祖国みたいなものであるなあ、とおもう(どちらが濃い薄いとかいう話じゃないですよ、念のため)。

 

18時、村島、マルさん、ゲンさん登場(彼らはスタジオに入っていたのだ)。てっきりマルさんがサックス吹いてるのかな、なんて最初はおもっていたのだけれど「練習観戦」していたとのこと。なにその新手!

4人で「ここら屋」。なんだかすごく、ここら屋にいきたくって、半ば無理やり「おすすめっすよ!!」と巻き込んだ感はなくもない。鴨わさが食べたかっただけ説もあり。

とはいえ、ここは飲みものも食べものも提供スピードが速い。近くには店主ひとりでやっている魚のおいしい(しかも安い)店もあるのだが、いかんせんその都合上、混んでいるとディズニーランドになってしまう。あ、これ蛇足ながら、たとえばそういう店を「だから行かない」「好きじゃない」などと評するのは勝手だけれども、「だからいい店じゃない」とぶった切るのは品が悪い。わかったうえでつきあうものだ(と新年えらそう初め)。

そろそろ河岸を変えようか、というタイミングでいなめさん合流。将棋クラスタの方に簡略に説明すると、インディーズ音楽界のオジサン(※固有名詞)みたいなひとである。旧交をあたためる。ビールは冷えている。

 

つづいて「CAPO」。ここはわたしのこころのオアシスに近い。正確にいうならば、オアシスの木陰が見えてきたぞというときの安心感だろう。もっとも「お前砂漠でもそれ言えんの?」と問われれば、いや、自信がない。キクチ、超町っ子だから。旅行とかもいかないインドア派だから。比喩表現とはかくもはかなく、かなしいものなのだ。

正直に申し上げると、もうこのあたりから記憶はない。記録にものこらず、記憶ものこらず、な一夜。いいじゃないか。ただここまではまだビールばかりのんでいた気が…いや、「いちばんかわいそうな子(CAPOでよくわたしが言うのだが、つまりいちばん残っている焼酎のことである)を」と発語したような舌触りはいまだあるので、焼酎をいってしまったかもしれない。いやたぶんいった。きっとそうだ…ウッ、頭が…。

 

そして三軒目。

どこかもふくめて、なーんも記憶がない。

焼鳥が出て来たような気はする。あれは夢かまぼろしか。夢かまぼろしかわからないつくねのおいしさだけおぼえている。このブログは原則口述筆記レベルのスピードで推敲せず書いているとはいえ、自分でいま自分にツッコミました。「どっちやねん」

あとは先輩方に支えられて無事帰宅。泥酔して小腹がすいたのか、うどんを茹でようとして賞味期限が5日前に切れていたことに気づく。キクチはそういうのに潔癖なので、とたんに怒髪天をつき、転んだ。なぜ転ぶ(※酔っていたからです)。チクショウ、とかなんとかいいながらうどんをゴミ袋にぶちこんで失神同然でねむった。

 

マルさんの話でとても感動したのは「やっぱり甘酢餡より醤油餡のほうがおいしい(すきだ)」というものだった。兵庫出身、京都で学生生活を送り、現在は東京在住のマルさんの舌はわたしと似ていた。キクチも生粋の京都人として、あんかけは醤油餡にかぎる。いや、甘酢は甘酢でおいしいと感じるので(そして、ときたまむしょうに食べたくなる)「かぎる」は言い過ぎだろうけれど、これは牛肉豚肉問題(われわれはカレーだろうと肉じゃがだろうとカツだろうと「牛」である。つまり「ポークカレー」「トンカツ」などと呼称し区別する。豚は有徴の存在なのだ)などともからんで、抜きがたい「風土」というものの重さを連想させる。あ、食べものの話だから風土…ってわけじゃないです…今度は嘘じゃないっす。

 

三軒目でマルさんからキャップをもらった。ヤンキースのキャップ。本物パチモノは別として、おそらく、世界中で何千万個とかぶられているであろう、オーソドックスな、誰もが一度は目にしたことがあるであろうキャップ。

(追記※マルさんのキャップはヤンキースタジアムで買った本場中の本場ものである。そういうとこじゃなくって、文脈は「。」で切れているはずなのだが、そうでない受け取り方もありうるなとおもったので、念のため)

 

でもわたしはそれがマルさんの手で自分の頭にかぶせてもらったことがとてもうれしかった。オーバーに聞こえるかもしれないが、御池通りをガッツポーズしながら木屋町から堀川くらいまで走りたいほどうれしかった。「がんばれよ」より「見守ってるぜ」ってかんじの、さっきまでかぶっていたマルさんの体温がまだのこっていた。

詩人はときとして無意味に過剰な饒舌を好むが、ああ、マルさんは大人の男だ。そしてかっこいい大人の男だ、とおもった。

 

マルさんは「正しい目」と「自分の目」をともに持っていて、世界(目にうつるものや聞こえることなどすべてをそう呼ぼう。だからこれは「正しい耳」「自分の耳」と言い換えてもかまわない)を複眼で受け取り、解釈し、分け入ってゆく。なかなかできそうでできないことだ。こんなバカオロカキクチが言ってもなんの説得力もないが、世界と真正面から向き合うのは、とてつもなく疲れる。傷つく。片目くらいはつむっていたいし、もう片方の視界も、できればうすぼんやりしていたいものだろう。

それはある意味で自然な防御本能、自己保存本能だとおもうけれど、それでは見えないものは多々ある。そのせいで見えなくなってしまう事物が多々ある。

 

マルさんの目はけっして大きくないが、それがとらえている真理は深い。

正しさの重みはそれそのもの自体にではなく、運用する人間の規矩にある。

 

 

 

テンペスト

夜があけて

生乾きの服もすこしは

からだから離れてくれたかい

地球の表面をなぞりながらねむるような

そんな孤独はなかなか慣れてくれない

 

あらしのようなひとに恋をした

 

やけにしゃべりたがる憂鬱だけ

膚を洗ってくれるが口許はひわれたまま

ここにいるということが

ぼくをどこへも行けなくさせる

ことばになんか

見つけられなければよかったな

 

あらしのようなひとに恋をしたのは

船が沈む五分前のこと

 

東京の夕方は居酒屋のなかで暮れていった

当然ぼくらそれを見れずじまい

なんにも知らない顔で

東京の夜、みじかい旅をした

意味がなにか連れてくることはあっても

先立った妄執のほうがきれいだ

 

雨はふっていなかった

とても平凡な夢の続きだった