キクチミョンサ的

「なれのはて」ということばがよく似合う、ちいさなぼくのプライドだよ

「光のようね」

月明かりにぼくはどっか

持っていかれちまいそうです

あなたとしたセックスのせいで

まだ骨が痛いや

 

さみしさも温かさに変わる

名前をつければすべての隙間が居場所になる

 

算数が苦手なので

この先のことは考えてない

細い夢が糸をひいて

続いてゆくだけ

 

うつむいたぶんだけ影は捲くられて

困った顔が光のようね

 

罪のない話半分で繰り返す泣き笑い

すこしだけ甘えたくなるぼくの

長い眠りの出戻り先に

なんとなく待ってくれているんでしょう

あなたはまるで光のようね

 

 

 

 

「人、人、人」

そのときのぼくはといえば
ほんとうに手首を切ったくらいで死ねるのか試して
痛かった、ほんのちょっとした切り傷が死んでしまいそうに痛かった
流れ出したレーテン何ミリリットルの血液は
存在証明をするにはあまりにも頼りなさ過ぎて
生きたいのか死にたいのかぜんぜんわからなくなってしまった

 

バビロン発銀河鉄道の切符をふっと買いたくなって
先に行ってしまった若い友だちのことをおもいだす
これからどれだけのことばを口にするのかわからないけど
今はありがとうとかまた会おうとかありふれたことが言いたい

 

死んだひとたちがあまりにもみんな星になってしまうものだから宇宙は光で飽和してる
誰でも新しい星を名づけることができるから、夜でもまるで昼のような明るさです
それにひきかえぼくの地上はどんよりと暗く濁って
会いたいひとに会える気もしないまま今、夏が終わろうとしています

 

ほどほどに生きるなんてできないね、とごまかして
かぎりなく開かれた現実とは逆方向にハンドルを切る
切れるような手首も身銭もカードもなんにも持ってないぼくは
笑っていた、待ちくたびれてもいないくせやってくる八月の夜明けに笑っていた

 

会いたくて会いたくて震える音楽も
日々の中に行くたびにお前を殺したいなんていう音楽も
結局のところ液晶画面の向こう側で誰かを安心させるだけなんだろう
そこに星は光ってますか、きらきらと光っていますか

 

見渡しても、見渡さなくても、ここにはむせかえるほどの人、人、人
やさしくなりたかったひと、誰かを笑わせたかったひと、なにかを否定したかったひと、大きくなりたかったひと、あと一日生きていたかったひと、昨日死んでしまいたかったひと、あなたに会いたかったひと、ことばをなくしてしまったひと、
見渡しても、見渡さなくても、ここにはむせかえるほどの人、人、人

 

河原町三条の交差点に立っているぼくは昔
プロ野球選手になりたかった
すくなくとも、今よりずっと格好いい何かになりたかった

 

明け方の街にもう星はみえない
あるいは、星しかない宇宙にもう隙間はない
いつかそのなかへ吸い込まれてしまうまでが不安だ
人、人、人波のあいだで

 

信号待ちのあの子の左手にも、ぼくの左手にも、
今はおなじ名前で呼ばれるためらい傷
たとえその内側でぼくらすれちがってさえいないとしても
ぼくらつながっているような錯覚におそわれている

 

消えてしまう前に花を飾ろう
あの子の左手に、ぼくの左手に
これからどれだけのことばを口にするのかわからないけど
今はありがとうとかまた会おうとかありふれたことが言いたい

 

 

 

*2011.8.3→2017.11.6rewrite

 

流れよわが涙、と霊能者は言った

体調をくずしてお酒ものまず、三食きちんと食べ、服薬し、ごろごろしていた。

 

台風とともにきのう突然居候までやってきた。掛け布団を持って。

そんな1日半を経て今朝起きるとなんだかもういつものバカオロカキクチ節が出て、「体調?知らない子ですね」となり、焼酎をあおりながら掃除、洗濯、そしてスーパーへゆき、自分のための朝昼兼用のごはんをつくった。

居候はわたしが寝入りばなだったゆうべ18時くらいからどこかへ出かけたっきり、いまだに帰ってこないので、「自炊派」という奴のために肉や野菜や加工食品はじめ一通りそろえ、バスタオル類なども盛大に洗う。基本的にチョロい。家賃は1ヶ月あたりハイライトメンソール1カートンである。愛みたいなものでできている。

 

さておき。

そんな1日半のあいだにポカリと生姜のど飴とパブロンだけが友だち(愛と勇気より多い)、布団にもぐるチョウチンアンコウと化したわたしはひさびさに本腰を入れて直近のG国(人狼BBS)のログ読みをしていた。

 

ところが、おどろいたね。

実際に自分もここしばらく体験していたのだが、G国おける霊潜伏ブームがおもいのほか巻き起こっていた。

霊潜伏といっても色々あって、少人数村では珍しくない、または鉄板の戦法といえる。ただ、フルメン(16人村)ないしそれに準ずる場合でもやたらと推すひとたちがいて、それも霊潜伏教徒というわけではなさそうだ(※人狼界には「霊ロラ教」「斑吊り教」など多種多様な宗教があるのです)。

これが自然な流れなのか判じ得ないけれど、なにかあるぞこれは。とおもった。トリ頭で暫時考えた。魚になったりトリになったりまったく忙しいな。

 

しかし、結局のところFO派(フルオープン=1dから占い師と霊能者を開ける=カミングアウトさせる進行)が相対的に減ってきたか、新規参加・流入勢(どうしても初手、第一声は様子見で占・非占COになりがち)が増えたか、「直近の村がこんなかんじだったから乗ろう」といった空気なのではないか、という結論に落ち着いた。

しかしよく考えたらそういうトレンドって2~3ヶ月タームではたしかにこれまでもありましたね。

わたしはFO教徒…までいかずとも在家信者くらいなので、わかるとは言えないが、わかってくれとも言えぬ。実際FOにしたって人狼ゲームの歴史的には新宗教みたいなものである。

 

霊能者はたいそう孤独な役職である。

確霊すればすればで半ば強制的にまとめをやらされ胃を痛めざるをえず(なぜならば1d時点では確定村側が他に出ることはない。対面だと事故で1-1とかもそこそこありますが)、複霊なら粛々とロラされるのを待つ、「ボロ雑巾」とも呼ばれるポジション。

なので「村PL(プレイヤー)」「狼PL」あるいは「狩PL」などというのはあっても、「霊大好き!!たーのしーい!!」そんな声はまず聞いたためしがない。たいていのひとは深夜台所でしじみのお味噌汁などつくりながらため息を漏らしているはずなのだ。

そう考えると、すくなくとも2dが終わるまでそういったプレッシャーなく、純灰としてゲームをたのしむ(たのしんでもらう)うえでは霊潜伏は(これは戦略の話ではなく、感情論です)悪くはない、とおもう。

 

しかし、これが、けっこうな割合で透ける。

霊潜伏のメリットのひとつに、たとえば「占い師が3COなら狩人は2dの護衛先が減る」があり、もし複霊になれば役職者5人中3人が人外なためロラってLWを見つければいい(なのでほぼ現れない陣形・確霊前提)というのがあり、それはとても大きなものなのだけれど、裏を返せば、2d襲撃先で潜伏霊ピン抜きされての乗っ取りという危険性がある。

単純に人数からの比率でいえばその可能性は低めとはいえ、初級者、あるいは中級者でも霊という役職もしくは霊潜伏に慣れていないと2日間もあれば透けることは少なくないのですね。クローンでの霊聖(霊共・霊鳴)ギドラにも言えることだけれど、このあたりは「宗教のひとが自宅に押しかけ布教にきたら、知識と文化水準の差がものをいう」by司馬遼太郎理論(ざっくり、相手より自分が強ければ恐るるにたらない。論破できる)かもしれない。

さらにいえば万が一1d占いに被弾してしまうと基本回避COとなるけれど、FOよりややこしくなる。あまりよい言い方ではないけれど「1日の推理、考察、議論が無駄になった」感を村に与えてしまうわけだから。

加えて潜伏霊が立会不可能、または接続環境に不安があった場合そもそも2d遺言(+α)がハマらない。

 

そういう点を掬うと、ある程度参加メンバー(のスキルや経験)がわかっている再戦村や身内村はともかく、現行のG国で、そのレギュレーションで霊潜伏を推すのは、なかなか難しいのではないか、とわたしはおもうのだった。

もっとも、かつて流行った「狼の沈黙時間」(1d夜明けに10~30分程度、全員表ログで発言せず、人狼に相談する余裕を与える。クローンからの輸入かしら)はプロで申し合わせもできるけれど、こちらはメタ推理を誘発しかねない、かなりデリケートな問題なので、事前の談合はあまり現実的ではなさそうである。

 

わたしは初参戦が2015年9月のG10編成、つまり「~に黒を出す占い師ではない」のやつだったので、やはり経験の少ないPLがどこかにいるかもしれない、ということを鑑みると、なるべくフルメン=FOでいきたいなあ、などとおもうのです。

「3年ROMれ」世代ではあったのだけど(あれ?1年だっけ?)、自分はそれを愚直に、すくなくとも人狼に関しては遂行したものの、結局10の実戦>3年ROMという実感があるので、よけいに。

そういう意味ではFOは中堅~ベテランには歯がゆいかもしれないけれど、特殊編成や特殊レギュのあるクローンは別として、ベーシックたるG国ならそれがいいんじゃないかしら、と愚考する最近です。

 

涙あまいかしょっぱいか。

 

 

 

 

鍋の中

わたしの実家では「お味噌汁の具はふたつ(お吸い物の場合は+お吸い口でみっつ)までというアンリトゥン・ルールがあり、それ以上になると「豚汁」「粕汁」「けんちん汁」といった別役職にジョブチェンジした。

例外として茄子のお味噌汁は茄子+煎りゴマ+辛子であったが、この場合は具+お吸い口ふたつなわけで理解できる。お吸い口とはつまりあれだ、柚子とか山椒の葉とかそういうもの。おつゆを啜るときに口元にあててその香りを楽しむわけです。うわーなんか精神性がブルジョワ

 

特に多かったのは、千切り大根。わかめ。しじみ。豆腐となめこ。玉ねぎとじゃがいも。といったあたりだろうか。

「わかめだけじゃ寂しいからおあげさんでも入れようか」といった類いの感性はわが家の台所にはなかった。ついつい「そういえば賞味期限のせまったナニナニもあるし」となることもおそらくなかった…とおもう。

 

もっともこれは昔話で、去年あたり実家で夕食を喫した際、レタスのお味噌汁が出てきて愕然とし、しかもそれをおいしいとも不味いとも言わずごく当たり前のように食べている家族に顎がはずれかけた。愕、顎と似ている。

話によればトマトとか、ナニナニとか、少なくともわたしには想像のつかない(料理として、ではなく、実家の献立として)具も一般化してきているらしい。主にこのあたりは嫁いでいった妹主導によるものが大きいようだ。そりゃそうだよね。なんでだか塩だけで岩塩やら抹茶塩やらカレー塩やら8種類取りそろえる家になってたし…(かつては食卓塩とアジシオのみだった)。

 

こういうわけだから、20代後半に同棲していた恋人がとにかく具だくさんのお味噌汁をつくるのにはびっくりしたし、「いや、それが仮に一汁無菜(with白米)ならわかるけれども、そのうえに豚の生姜焼きだの煮物だのなんだのがあるのは世界の均衡としておかしくないかね」とおもっていた。そんなふうにおもっていたせいか、ふられた。

 

そもそもわたしは汁物でお酒を飲むのがすきだ。

「いやーキクチさんまじそれ意味わかんないっす」と散々言われてきたが、20代前半からそうだった。もっとも後輩と行くような店に立派な汁物、椀物があるはずもなく、あくまで会話のうえでのやりとりではある。

深夜、おもいたって自分でつくるような、ざっかけない品であれば、その相手は焼酎で充分。けれど、ほんとうにおいしい汁物(この場合は8割方お吸い物を指すわけだが)に出会うと、ふだん飲みつけぬ日本酒をぐいぐいやってしまう。やっぱり、あるんだなあ、血と水のような脈絡が。

 

ただし、わたしのつくる汁物は味噌でもお清ましでもなんでも大抵は昆布とアゴで出汁を取り、酒のみ用にいささか辛くしている。おまけに一度に食べきるわけではないから徐々に煮詰まり、具に味も染み、カサも減る。

汁物の汁物たる尊厳を冒している気分だ。

 

けれど、じわじわと、そんな鍋の中を覗いているのが、たまらなくすきだ。

 

 

 

 

狼は二度笑う

わたしが人狼ゲームをはじめたのは2015年9月のことであった。

6月にchoriバンド最後の仕事、ミラノ万博でのライブを終え、8月いっぱいでchoriという名乗りを廃業し、ひとまず精神的ニートとなり後顧の憂いがなくなったところで満を持して参加した(ここでいう「人狼ゲーム」とはネット上のBBS型、長期人狼を指す)。

 

初戦は二重の意味で無残だった。

ないよりあったほうがよかろうが、ROM期間とログ読みの量は実戦ではまったくといってよいくらい役に立たぬのだと嫌というほど思い知らされ、初手占いにて確白に、おまけにG10編成(占い師、霊能者が潜伏する)だったため、まとめをやるはめになり、すぐお弁当(確白化した村人のこと。狼にとって好きなときに噛めるので)として墓下へ。格闘技なら試合後のコメントは「なにもさせてもらえませんでした」といったところか。

しばらくは、右と左がわかるくらいでそのどちらへも踏み出せず、RPに凝った。何かから逃げようとしたのか、それとも向き合うべき正面が見えていなかったのか。

 

はじめてから10戦の戦績は、なんと、1勝9敗である。

さすがに(真面目にやっていて)こんなレコードを叩きだしてしまうPLはなかなかいないとおもう。

将棋の順位戦であれば、他者関係なしにかるがると降級点がつくレベルだ。

村人、人狼、占い師…いずれの役職でもわたしは負け続けた。

 

すこし状況が変わってきたのは、クローン(人狼BBS=G国から派生したサイト群)に積極的に参戦しはじめてからだろうか。

発言回数制ではなくPt制、飴(促し=発言Pt回復)の存在、そして狐や共有者といった特殊役職を含む編成。

自動生成、固定レギュレーションのG国と違い、村建て(PLの誰かが村のルールを決めてつくる)の意向次第なクローンは村によって振れ幅が大きい。

それなり手練れのPLでも経験の少ない編成や条件が多々ありうるため、自然とスタート時点でのスキル差は縮まる。

 

気がつけば、そのつぎの10戦は、7勝3敗。

順位戦なら昇級には届かなくても大幅に順位を上げられる星取りだ。

とくに狩人(守護者)でよく勝った。

このころのわたしは気がつけば狩人ばかりやっていた。

初級者にはかなり難しい役職だと今となってはおもうが、GJ(狼の襲撃先を護衛し、死体を出さない)を狙うことより、狼1匹と刺し違えてでも死ぬ、みたいな思想というか偏見をもった狩人だった。

そのうち人狼で何度も同村(一緒にプレイすること)したPLも増え、twitterでつながったり、人狼SNSに招待してもらったり、ゲームとしての人狼だけではなく、人狼を通じた出会いや交流にわたしはのめり込んでいった。

 

のめり込みすぎたのだろう。

2016年3月、人狼ゲーム中に身体の異変をおぼえたわたしは、エピローグを迎えた朝、入院した(それは2週間続く)。

直接的な理由は純粋な不摂生(胃や十二指腸がボロボロになっていた)にちがいないが、その村が自分にとってあまりに辛いゲーム展開だったため、すこし人狼が怖くなった。

しかしトリ頭のバカオロカキクチは退院してまもなく、この世界に舞い戻り、さらに10戦ほど重ねる。勝ったり負けたり。

 

6月、ある村を終え、きゅうに気持ちが切れてしまった。

理由は今もってわからない。

格闘技なら「もう充分やりきりました」だろうか。

この時点でのわたしは、年数と戦歴でいえばまだ中堅ともいえないが、9ヶ月で32戦(長期人狼は1戦に約1週間かかる)というチェーンだったため、あんまり強くないけど特徴的なPLという立ち位置だったのではないかとおもう。

自分でもそこそこ名前が売れた自覚があったし(名前を売ってどうするのだ、という問題はある)、とくにトラブルも起こさずここまで来れて、まあよかったな、が近いのかもしれない。

 

ふつうなら、このまま人狼の世界とはサヨナラバイバイとなる。

 

そもそもわたしはライブをしたり詩を書いたり、そちらで名前を売る稼業である。

周囲の友人たちはそっと胸を撫で下ろしたことだろう。「ああ、キクチがついにヘンな宗教から足を洗った!」「ああ、キクチがやばいクスリをやめた!」彼らは喜び庭駆け回り、わたしはこたつで丸くなっていた。

なにしろ、自分の主催イベントにはるばる伊豆から十数年来の旧友を呼んでおいて、「ごめん、(このあと更新時刻だから)帰る」と言い放った男である。

大事な相談があると言われて「ちょっと今夜は都合が…」そう返してせこせこ人狼をプレイしていた男である。

控えめにいって、意味がわからない。

倫理はあっても道徳がない。

そんなキクチ、ついに真人間になりうるか、と誰もがおもい、静かに時が過ぎていった。なんと1年1ヶ月も。

 

 

2017年7月、なぜかわたしはまた人狼ゲームをやっていた。

 

ブランクの間はログ読みすらしていなかったから、人狼に関するポテンシャルや技術が上がったわけでは決してない。むしろ風化したり流行の戦型についていけない部分が多かっただろう。

しかし、再開してみると、なぜか入る村入る村で「手練れ」「高スキル」扱いをされ、なんならそのせいで疑われることもあった。

いったいいかなる現象か。

やはり10戦(完全に昔のペースを踏襲している)ほど続けながらしばらく考えていたのだが、結論は「それだけこの界隈にも若い(新しい)ひとが入ってきたのだろうな」であった。

 

人狼は将棋とおなじく、歴の長さと強さの比例、相関関係はない。初戦から異常ともいえる強さ(勝ち負けではなく個人のクオリティの話である)を発揮するPLもいれば、100戦以上やっているのに「イマイチだな…」という古参も、また短期や対面からの流入組(異国勢)もいる。

ただ、どうもわたしは、空白期間を経て、義務感ではなくたのしみのために人狼をやる、ということを知ったようなのだ。

当たり前じゃないかおおげさだなあ、とおもわれるかもしれないが、もともと名前を売ることで生きてきた自分は、人狼ゲームにおいてさえ、爪痕を残そうとしすぎていた。

連絡先を交換するわけでも、ライブに来てくれるわけでもなく、ただ一期一会の匿名のPLたちは、詩人にとってはなんら建設的ではない、発展性のない存在だ。

ならば「遊びをせんとや生まれけむ」でいいじゃないか。

詩人としてではなく、いち人狼PLキクチ(IDはmyeong)として、骨の髄までしゃぶりつくすような感覚でこの村をたのしみたい。他の人狼PLと一緒に。

なんとなく、今、そんな心持ちでいる。

 

 

夜が明けて、台風が近づき、雨はこれから徐々に強くなるようだ。

きみの街ではどうですか。

 

いや、きみの村では、どうですか。

 

 

 

「生きることとそのまわり」

生きることとそのまわりに
自分がたいそう稀薄なのだ

 

朝、起きて
日本語で顔を洗う
湯気の立つ文法を噛み砕く

 

名詞、すこし味が濃い
形容詞、うっかり虫歯に当たってしまった
動詞、食わず嫌い

 

主語のないシンクに
浸かっていたい
浸かっていたい

 

生きることとそのまわりに
自分がたいそう稀薄なまま
言い訳はゴミ袋へ
回収の日を忘れちゃった
もしかしたら
ぼくだったかもしれないきみと
誰もいない台所
手をつないで踊るのさ

 

手をつないで

 

 

 

 

近くて遠い、遠くて近い

妹の結婚式、披露宴でした。

 

三笠宮百合子妃殿下、彬子女王高円宮久子妃殿下、承子女王はじめ宮様方のご臨席を賜りまして、わたしは恐懼のきわみ、鞠躬如の態でございました。

 

ざっかけない言葉で言えば「祖母」「叔母」「イトコたち」ではありますし、実際「ばあば」「久君さま」「つぐちゃん」などと呼んでいるのですが…特に94歳の妃殿下が遠路ご帰洛あそばされた感動と感謝の念は到底文章で表現できるものではございません。

 

キクチは思想信条とかいうものを持ち合わせない人間ですので、ここまでの文章を深読みすることなく、無色透明の、ただ新婦の兄として自分の家族親族(と今日だけは平易な言葉で言わせてください)へのリスペクトで綴っていること、ご理解ください。

 

なお、やはり94歳の父方の祖父は、いつもなら19時には「ボクちゃん眠いから」と言って(マジです)寝室へ向かう(そのわりに毎月海外へ出張し、なんなら旅行でもそれがばれると現地で次々に講演などの仕事が生まれるというスーパー茶道人…)のですが、披露宴ではお色直しの際に新婦のエスコートをするというご本人好みの大役を仰せつかり、なんと宴終了の20時まで元気に活動していました。というか、席にいない。気づけばどこかでシャンパンのロック(!)片手に談笑している。すげえなじいさま。

 

わたしと妹は3歳違いで、小学生のころはよく喧嘩をしました。わたしは活字中毒の読書家、学級委員長を務めたり、生徒会長には推されたもののそれが嫌だったので親友のミチノブ(ごめんな…)の応援演説にまわって2年連続当選させる(えらそうでごめんな…)など、基本的に黙っていても喋っていても場の中心にいるタイプでした。

妹は妹で、漢字が読めない、慣用句を間違えるなど「アホの子」キャラでしたが、3歳からはじめた水泳で頭角をあらわし、エスカレーター式の女子校を中学までで止め、全国常連の強豪高校に進み、水泳部の主将、近畿大会出場という、完全な実力主義の世界でとてもよくがんばりました。

要するに、ちょう文化系の兄、ちょう体育会系の妹で、共通点といえば顔や雰囲気が瓜二つ(わたしが現行の長髪になってからは、後ろ姿で両親にすら間違えられる)といったくらいでした。

 

ただ、彼女は大学を出、家の仕事を手伝うようになってから、飛躍的に変化しました。いえ、もともと持っていたけれど、わたしにはわからなかった要素が顕在化したといえましょうか。

目の前の相手がどのような方で、何をされればうれしいか、どんな話をしたいのか、ビビッと感じ取るセンサーに長け、またどのような環境でも物怖じしない度胸と愛嬌、そして他者を慮る精神。

兄が言いますと過褒に過ぎるかもわかりませんが、得がたい人材であり、非常に魅力的な人間であります。年齢や性別や生まれたところや皮膚や目の色で語れない(あ、ブルーハーツ出た)「人間」としての厚み、重み、凄みのあるひとです。

居玉のまま戦って気持ち良く相手を詰ますような、そんな棋風と言えましょうか。

 

いつのまにか、妹はわたしのような跳ねっ返りで微妙な立場の兄の、最大の理解者となっていました。

しかしよくよく考えれば、わたしは高校時代、はじめてできた恋人を彼女にだけ紹介したり(平野神社の裏のお好み焼き屋に行ったなあ)、なんだかんだと頼りつづけていたのだとおもいます。

 

そんな妹が、晴れてきょうの華燭の宴を迎えたこと。

たいへんうれしいです。

 

また、義弟(年上ですが)のムネリンが大変いい男で、いや、ここはもう素直に「めっちゃいいやつ」と砕けた表現をさせてください。

初対面のとき、あちらからすれば義兄、こちらからは年上、という微妙な関係性だったので、わたしは大政奉還直前の一橋慶喜公的に泥酔して(ふりをして)「これからはムネリン・みょんちゃんで行こう」と、幕末の土佐藩(とともに封建制度)を脱した浪士のように(「これからはおら・おまんで行こう」)言いました。

ムネリンは優しいです。優しさにも色々ありますが、度胸と愛嬌と、全方位の目配り、気配りができるあたり、妹ととてもよく似ています。

余話ですが、医者のくせに、わたしに「煙草やめなよ」とか「お酒控えなよ」と言わないところがとても好きです(笑)。

 

長々となってしまいました。

妹との30年間を語るにはあと50000字はすくなくとも必要ですが、わたしは短距離走者の詩人ですので、このあたりで擱筆しようとおもいます。

 

兄の趣味の俳句を、あらためて。

 

 ゆきゆきて帰る道なき花見かな  墨酔

 

どうか、ふたりの、両家の未来に弥栄あれ。

先述の句は取りようによってはあまりめでたいものではないかもしれませんが、一生を終えるまで、花見しながらゆるゆると行きなさいよ、という気持ちのあらわれであります。あと、帰ってくるなよ、と(笑)。

 

ムネリン、万紀子、心の底から、いやさ、わたしの全存在をかけておめでとう。

そしてありがとう。

何があってもわたしはあなたたちの味方であることを、ここに誓います。